126 転機
医学所に行った四人が、それぞれの思いに耽りながら夜を過ごす一方で。
松本からの吸血抑止薬を受け取った山南は、羅刹隊の五名に三包ずつ配ると、平助の部屋に向かった。
片手には酒瓶と杯を二つ持っている。山南から酒に誘うのは、珍しい事だった。
部屋の前に立つと、気配に気付いたらしい平助が、襖を開いて山南を迎え入れた。
「藤堂君、少しお付き合い願えますか?」
「珍しいじゃん。へへへ、そっか。……祝いたいんだろ? 付き合うよ」
「ええ、少し自分に褒美をやりたくなりましてね」
部屋に入って座した山南は、酒を受け取り杯にそれを注ぐ平助の様子を眺めながら、目を細めた。
宣誓までして戦に散る事を望んだ羅刹隊士達。だが、薬を渡した時に瞳に宿っていたのは――
生きる希望。覚悟の裏の、当たり前の願望。
汲み取ってやりたいと願うのもまた、長く共に過ごしてきた者として当然の感情だろう。
もうそんなに長くはないだろう彼らの寿命を思い、山南は新しく見出した別の道について考えていた。
「藤堂君、私は彼らを……戦線から離そうと思っています。血の匂いから遠ざけたい」
「へ? ええっ!? 山南さん、あいつら連れて新選組を抜ける気かよ!?」
「いえ、まだそこまでは考えていませんが……偵察隊としてなら、動いても構いませんし。
だが、西軍と直接刀を交える場には向かわせたくない。もう……狂って欲しくないんです」
杯に口をつけるとフワリと清酒の香りが鼻に満ち、少し辛口のそれが咽を通ると心地よい熱さが体に流れ込む。
山南はそのまま香りを楽しむように少しずつ酒を飲みながら、酔いに甘えるように己の心情を吐露した。
「最初は伊東派から隠す為。密命の隠蔽が目的でした。光のある所には陰があって当然ですからね。
ですが……実は、君が辛そうに人柱だと叫んだ時、内心はそう悪くはないと思っていました。
総長として表に残るには、私の心は弱すぎた。片腕が使えないというのは、想像以上に辛いものなんです」
「山南さん……ごめん……俺――」
申し訳なさそうに眉を下げて目を伏せた平助を見て、山南は緩く首を振った。
組織の事情を優先させた皆の前で、平助が山南個人を思って怒鳴ったあの時。山南は本当は嬉しかったのだから。
「いいえ、君の気持ちはとても有難かった。ただ、あの時は必要な事と自分の願望が一致してたんです。
実際に伊東さん達は、羅刹の事を知らぬまま隊を出て行きましたからね。本来の目的は叶ったと言える。
問題はそれからです。狂った隊士の処分は覚悟していましたし、今もそれは変わらないのですが。
少し……情を傾け過ぎたようです。正直、もう今の彼らに刀を向ける気持ちになれないのです。
そんな私は情けないと思いますか? 藤堂君から見て……羅刹隊と私はどう映っていますか?」
あくまで穏やかに笑いながら、けれど少し困ったように聞こえるのは、こんな事を問う自分自身に恥じているからか。
いつも冷静で聡明な彼の、一人の人間としての本音に触れて、平助はちょっと嬉しかった。
本当は誰よりも仲間の殺生を嫌う山南が、いずれ処分される羅刹達と共に過ごすのを、間近で見てきた。
まるで自分で自分を追い詰めているようだと感じていた。
けど、今は違う。足元の暗さじゃなく、ずっと先に見つけた小さな光に目を向けて、顔を上げている。
伏見奉行所で羅刹隊が夜営に出動して以後、少しずつ明るくなってきた山南は、怪我以前の彼に近かった。
「山南さんはさ、頭がいいから俺より色んな物が見えてんだと思うんだ。けどさ、見え過ぎてんじゃねぇかな?
もっと単純でいいと思うんだ。同じ釜の飯を食ってる連中を心配すんのは、当たり前だろ?
いかれちまったらヤるしかねぇけど、今残ってる連中って、結構男気あるっつーか。
信じてやっていいんじゃねぇかな? 駄目だった時の覚悟はもう充分出来てんだから、
千鶴の故郷の水ってのが効くなら、どうにかして連れてってやろうぜ? それまで何人残ってっか分かんねぇけど。
山南さんは……俺が知ってる中で一番強い武士だと思う」
藤堂藩が幕軍を裏切って大砲を向けた時。衝撃を受けて青ざめる自分を、山南はずっと守るように支えてくれた。
たとえそれが実父の判断かどうか分からないにせよ、平助はあまりに酷い裏切りに、言葉もなかった。
けれど山南は、まるで平助がいなければ羅刹隊は成り立たないかのような言い方をして、彼の居場所を守ってくれたのだ。
平助にとって山南は、ちょっと神経質で心配になるけれど、誰よりも頼もしい背中を持つ、兄のような存在だった。
「そうですか。君の目に、私はまだちゃんと武士として映っていますか。……ありがとう。何よりの賛辞だ」
山南は杯の中で揺らめく酒に目を落とし、静かに微笑んだ。
賑やかな原田や永倉と騒ぎたいだろうに、平助は羅刹隊に来てからずっと、自分の側にいてくれる。
内心それが本当に嬉しくて、山南はこの弟弟子にも、戦で散らない新たな道に向かわせたいと、秘かに思い始めていた。
京阪を平定した西軍は、いずれ江戸城のあるここに進軍して来るだろう。
その時、あの戦意のない将軍が挙兵を促すとは考えられなかった。
まだ戦う意志のある者達を、将軍はじめとする恭順派はどう扱うつもりだろう?
このまま武士としての義を貫こうと決めている新選組は、どこに向かうのか?
幕臣としてある以上、己の意志だけで動けるはずはなく、土方は志しとの板ばさみで苦しむ事になるだろう。
表看板を背負った同志の苦労を慮りながら、山南はその裏で生きる自分達の未来を、戦と別の方向に見定めていた。
「叶うかどうかまだ分かりませんが……生き残りたいですね。フフ、私にも意地があります。
君のお陰で気持ちが定まりました。こうなったら、とことんあがきますよ。付き合って貰えますか?」
「ああ、山南さんが好きなようにすればいいと思う。俺もさ、好きでここにいんだよ。
だって、俺がいなきゃ絶対山南さん、根暗なこと考え始めんぜ? 結構俺、役に立ってんだろ?」
「クスクス、そうですね。君は確かに、落ち込みやすいがとても立ち直りが早い。私も見習うとしましょうか」
ついこないだは藤堂藩の砲撃を見て、泣きそうな顔をしていたが。真っ直ぐ育った竹は、そう簡単には折れないようだ。
「頼りにしてますよ?」
山南は平助の頭を軽くポンと叩くと、彼の杯に酒を満たしてやった。
またそうやって子供扱いすんだから、とブツブツ言う平助を眺めながら。
山南は久し振りに、心地いい酔いに身を委ねて二人きりの酒盛りを楽しんだ。
また笑うことの出来ている自分が、嬉しかった。
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