123 告白 -3
八千代は青ざめながら、最も辛い告白を、自らの口で語った。
「ごめんなさい、千鶴さんっ。私は……貴女のお父様に人を殺めさせてしまった!
しかも……彼の血を何度も求めました。苦しくて、辛くて、我慢出来ずに毒の闇に引き摺り落とされて……。
その度に綱道さんは嫌な顔一つせず、とっても心配そうに優しく腕を差し出して下さった。
……おぞましい……行為の浅ましさに、正気に戻るにつれ……自分のした事が悲しくて居たたまれなくなった。
そんな私を彼は全て受け入れて愛し、妻にして下さったのです。
のうのうとそれを受けた私を許してくれますか? 私も綱道さんを愛して……いいですか?」
変若水を飲まされ、その毒が癒えるまで。虚ろな彼女を支え、励まし、寄り添ってきてくれたのが綱道だった。
雪村の里への道のりで路銀を使い果たした後は、山で薬草を摘んではそれを売り、暮らしの足しにした。
もし彼が八千代を追わず、幕府お抱えの蘭方医であり続けたら、そんな貧苦に陥る事もなかっただろうに。
総てを投げ出し、全ての時間を自分に捧げてくれた綱道の、男としての深い愛に心打たれた八千代が、
正気に返った後次第にその愛に応えるように、想いを膨らませたのは自然な事だった。
「愛して……いるんです」
若い頃、見つめ合った時に抱いた甘い恋心とは比べようもないほど、深く大きく育った純粋で真剣な愛情。
声に、涙に、全身からその想いが溢れ出した。
千鶴は自分によく似たその顔から涙が零れるのを見て、胸が潰れそうな想いだった。
話はただただ悲しく、運命はあまりに残酷だった。彼女になんの罪があったろう? 何もありはしない。
罪は人にあった。そしてその根幹には飽くなき欲望と、それを煽り掻き立てる変若水があった。
千鶴はためらいなく、八千代の手を取った。細く温かい手は、どこか懐かしい感じがした。
母の事は思い出せないけれど、きっとこんな風だったんだろうと想像すると、幸せな感触だと思った。
「そんな事言わないで下さい! 八千代さんは何も悪くありません。本当に、何一つ悪くないです。
こうして無事で居てくださって、本当によかった! どうか父と幸せになって下さい。
きっと父様は……ずっと貴女の事が好きだったんだと思います。そんな人がいて、私も嬉しい。
あの、でも……父は今どこに? どうして八千代さんと一緒じゃないんですか?」
当然の疑問だった。大切な八千代さんを放って、一体父様は何をしているんだろう? と不思議に思った。
「有難う、千鶴さん。きっと貴女なら受け入れてくれるだろうって、綱道さんも言ってました。
本当に優しく立派に育って……綱道さんもここに皆さんが来ると知っていたら、きっと出立を延ばしたでしょうに。
実は、私を救い出す時に置いてきた変若水を探して、当時の一派の足取りを追っているんです。
危険だから同胞に頼ろうかと思ったんですけど、この政局のゴタゴタのせいか、八瀬には連絡がつかなくて。
それより西は遠すぎて頼めませんし。ほんと、すれ違いで行ってしまわれて残念だわ。
私は松本先生の医学所を手伝いながら、彼の帰りを待つつもりなんです。迎えに来ると約束しましたから」
八千代は綱道の事が心配だったが、彼なら必ず迎えに来てくれるだろうと信じていた。
三年がかりで自分を探し出し、更に一年かけて正気に戻し、惜しみなく愛を注いでくれた。
だから自分も、亡き夫と子供と一族を心の奥に弔い、古くて新しいこの愛情と絆を大切にしよう、と決めていた。
……長い苦しみの果てに得た愛で、強くなった凛々しい女性がそこに居た。
千鶴の手をしっかりと握り、八千代は心を込めて想いを伝えた。
「千鶴さん、私は貴女にも幸せになって貰いたいの。よかったら、何もかも片付いた後、一緒に暮らしませんか?
それとも……フフフ、もう誰かいらっしゃるのかしら? 松本先生からは、まだ結婚してないはずだと伺ったんですけど」
その言葉に、千鶴の顔はみるみる赤くなった。……正直者なので。
どう言えばいいか分からずモゴモゴしていると、後ろで話を聞いていた土方がクックッと笑った。
「千鶴、別にもう隠すことはねぇ。皆言いはしねぇが、大体分かってるみたいだしな。
八千代さん、千鶴の相手は俺だ。新選組副長、土方歳三だ。色々片付いたら挨拶に来るから、その時はよろしく頼む」
「ひ、土方さん!?」
「クスクス、あらまぁ、赤くなって初々しい。きっと綱道さんも大喜びするわ。ずっと心配してらしたから」
義理とはいえ母親との初顔合わせ。土方は躊躇なく自分の願いを言い切った。
戦の雲行きはかなり怪しいが、どうにかして乗り越えてみせるつもりだった。
赤い顔の千鶴を愛しげに見下ろす土方の目は、いつになく優しかった。
……苦労してきた甲斐があったな。まだ終わっちゃいねぇが、お前には笑顔が似合う。
その笑顔をいつか……全部俺だけに向けてくれ。
とても口に出しては言えそうになかったが、見つめる瞳にその分の想いを込めた。
千鶴はその甘く優しい視線に絡め取られ、土方の顔以外何も見えなくなってしまった。
幸せで……どうかなりそう。
速まる心臓と赤い顔は治まりそうになかったけれど、いつもと違って気にならなかった。
言葉にしない想いが瞳から流れ込んできて、千鶴はそっと小さく頷いた。
私も。貴方と同じ気持ちです、と。
「あ〜〜、ゴホンッ。雰囲気は壊したくないが、大事な話があるんだ。まぁこっちも朗報といえば朗報だ、勘弁してくれ」
そう。千鶴には見えていなかったが、ちゃんと周りに人は居た。松本も、斎藤も、千恵も。
多忙な松本には、仕事が山ほどある。彼は場の空気を一新するように、ハキハキと喋りだした。
「ようやく変若水の吸血衝動を抑える薬が完成したんだ。後で持ってけ。まだ何人かいるんだろう?
そのよく効くっていう雪村の里の水を飲ませてやりたいが、遠いらしいんでな。当座はこれで乗り切ってくれ。
だが、早いとこ連れてってやった方がいいな。鋼道さんから聞いたが、羅刹は寿命が来ると灰になっちまうらしい」
綱道が医学所に立ち寄り、その知恵を借りた結果、ようやく衝動抑制薬が完成した。
体に宿る一生分の生命力を前倒しで使用するから強いんだ、という松本の説明に、土方達は驚きながらも納得した。
元は人間の体なのだから、鬼の力を使うにはやっぱりどこか無理があるんだろう。
けれど、衝動を抑えておいてゆくゆくは雪村の里に羅刹隊を向かわせれば、生き残れるかもしれない。
……変若水を飲んだ者でも、湧き水を飲めば解毒が出来る。八千代の存在がその効果を立証していた。
行き詰まりを見せていた研究が進んで希望が見え、この朗報に皆、安心したように肩の力を抜いた。
「分かった。その件は山南さんに伝えとく。薬は喜ぶだろうな。俺もあいつらを救う道が見えて安心した、感謝する」
土方は松本に礼を言うと八千代に会釈し、近藤と沖田を見舞う為、千鶴を連れて奥の隠し部屋へ行った。
松本は仕事に戻り、部屋に残った八千代は、ずっと傍らで話を聞いていた斎藤と千恵に向き直った。
二人から感じる鬼の気。特に強い気を放つ千恵の話は、松本から少し聞いていた。
月宮千恵さん。……この子が私達月宮の血と名を、次の世代に繋げてくれる。
あの日の炎で一族は皆焼死したのだから、他に考えられるのはただ一つ。
「ねぇ、時を渡ったのでしょう? 月宮千恵さん。有難う、この時代に来てくれて。抱き締めて……いいかしら?」
「ええ、勿論です! 私も会いたかった。ずっと……無事かどうか心配だったんです。
まさか貴女が実は千鶴ちゃんの叔母様で、しかも鋼道さんの奥様になられたなんて、驚きましたけど。
本当に……生きて出会えてよかった!」
八千代の腕が千恵の体にふわりと回された。その優しく穏やかな抱擁には、感謝と願いが込められていた。
本当にありがとう。どうか貴女も幸せになって、と。
けど後の言葉は不要でしょうね。千恵さんの傍らに立つ男性は、どうやら彼女の大切な人らしいから。
八千代はそっと腕を解くと、二人を交互に眺めてなんとなく関係を察した。
「雪村八千代です、斎藤さんは千恵さんの……旦那様かしら? フフフ、とってもお似合いのご夫婦ですね。
なら、これは千恵さんにお渡しした方がいいかしら?一応、万一の時に再び鋼道さんに会えるよう、
いつも大事に懐に入れてあるんです。でも、まだ斎藤さんが戦い続ける気でいらっしゃるなら……。
きっと必要なのは千恵さんだと思うから、お渡ししましょう。肌身離さず持っていた方がいいわ」
八千代は懐から蒼い数珠を取り出して、千恵の手に乗せた。
二人が出会うきっかけとなり、愛し合う運命を引き寄せた、蒼い数珠。
四年の歳月を経て、時渡りの数珠は再び、千恵の手に戻った。
────運命の輪がようやく一つに繋がった。
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