120 告白 -1

大坂城に着いた千恵達を待っていたのは、温かい皆の歓迎と、思いもよらぬ報告だった。

「慶喜公は江戸に戻った」

そう聞いた時の衝撃と落胆は、大きかった。慶喜公には……最初から戦う気がなかったのだ。

暮れの大政奉還ではあっさり政権を朝廷に返上したし、王政復古後は大人しく大坂城に下って蟄居していた。

開戦はしたけれど、多分本人の意思ではなく、きっと幕臣に押し切られたのだろう。

負けが込んできたら、「自分には争う意思はない」という姿勢を見せる為、江戸に帰ってしまった。

その態度は多くの藩を落胆させ、京に集まっていた幕軍の大半は、戦意を喪失して国許に戻って行った。

京坂は西軍の統治下に置かれ、行き場と戦う場を失くした新選組もまた、船で江戸に向かった。

こんな理不尽はない、せめて一矢報いたい。誰もが同じ気持ちで、船中の空気は重かった。

重傷だった山崎は船内で息を引き取り、水葬された。江戸に上陸した途端姿を消した隊士も少なくなかった。

無理もない。何を目指せばいいか分からず、脱走を縛る隊規ももう通用しない。誰も脱走を止めはしなかった。

近藤と沖田はすぐに医学所に送られ、土方、斎藤、千鶴、千恵は二人の容態を知る為、見舞いに向かう事にした。


医学所で千恵達を出迎えたのは相変わらず元気のいい松本と、そして、奥様だろうか? ……綺麗な女性だった。

「土方君、いやぁ良く来てくれた! 勇の方はまぁぼちぼちだ。少し船旅の湿気で傷が悪くなってるな。

 しっかりここで養生すればじき良くなる。沖田の方は……静養しかないだろうな」

今は眠っているが、二人とも着いた時は熱がひどかったらしい。千恵は眉を寄せて体を案じた。

その時、松本の傍らに居た女性が千鶴に話しかけてきた。千鶴は誰かに似たその人を、じっと見つめた。

「貴女が雪村千鶴さん? 初めまして、雪村八千代と申します。本当に姉に……私にも良く似てるわ」

「雪村? 雪村さん!? ええっ、うちに親戚がいたんですか!??」

八千代はちょっと困った顔で、否定とも肯定とも取れる曖昧な笑みを零した。

彼女は呆気に取られている一同に向かって軽く頭を下げ……これまでのいきさつを話し出した。




十五年前。偶然難を逃れた八千代は、京の八瀬に急報の文を送った後、焼けてしまった我が家を見に戻った。

数日前まで笑い声が溢れ平和に満ちていた家は焼け落ち、炭となって誰か判別も出来ない遺体が多数横たわっていた。

触れるとボロリと崩れるその亡骸は、夫だろうか、それとも息子だろうか。

手についた黒い煤が本当に数日前生きていた者の体とは思えず、放心しながら辺りを見渡した。

……こんな……なぜっ? 私達が一体何をしたっていうの!?

あまりにも変わり果てた風景は、とても現実とは思えなかった。まるで悪夢。

それでも、家具の下敷きになったりして生き残っている者がいやしないか、縋るような気持ちで辺りを家捜しした。

日が暮れかかり、もう無駄だと分かっていても諦め切れず周囲を見渡した時。愛用していた鏡台の下で何かが光った。


吸い寄せられるように、倒れていた鏡台を起こすと、その下から鮮やかな瑠璃色の数珠が出てきた。

……時渡りの数珠だった。

土と煤のついたそれを握り締めると、悲しみと共に悔しさが込み上げてくる。

家宝が残っても、主がなくなっては意味もないのにっ。

守る者達全てが焼き尽くされたのに、何の役にも立たなかったそれに、やり場のない想いをぶつけた。

「もしお前にその名に恥じぬ力があるならっ!! 私をっ! 月宮を絶望から救い出しなさいよっっ!!

 鬼がいるなら神も仏もいるはずでしょうっ!? 今こそ力をっお前の力をっっ!!」

数珠を握り締め、叫んだ。誰もいない山奥で、八千代の声が大きく木霊した。

力を 力をっ――――

数珠は応えた。

次の瞬間。八千代の体は月宮の里の焼け跡から消えていた。






文久三年の夏。綱道は幕府からの依頼で、京の新選組に赴き変若水の研究を行う事になった。

十年前に焼けた故郷から千鶴を託されて脱した後、松本らと蘭学を学びながら診療所を切り盛りしていたが。

その知識に着目した若年寄から、直々に密命を仰せつかったのだ。この薬を実用化せよ、と。

最初は何か分からなかった。けれど瓶から漂う異様な気配に、それを受け取るのが躊躇われた。

「これは西洋の……鬼の血、だそうだ。ここから、有用な成分だけを取り出せるかやってみてくれ」

「っ!! 分かりました、お引き受けします」

断れる立場ではなかったし、鬼の血、という言葉に激しく心が掻き乱された。

命を賭して守り抜いたはずの同胞の血が……幕府の手に渡っている。それが異国の物であろうと、関係ない。

異国の鬼の血で効用があれば、遅かれ早かれこの国の鬼達にも、魔の手が伸びるだろう。

綱道はそれを受け取った。人を狂わせる、魔の毒薬を。

それが運命の分かれ道だった。



京に行った綱道は、役人の案内で新選組に連れて行かれた。

「ここの連中は浪士上がりのガラクタだ。その中で切腹なんて真似事しやがる奴は、ゴミみたいなもんだ。

 好きに使って構わん。遠慮なく実験に使え。ったく、こんな場所に居たらこっちまで血生臭くなる。おぞましい」

案内した上級武士は、さも汚らわしそうに屯所を一瞥すると、幹部を内々に呼んで紹介した。

新選組と綱道の関係は微妙だった。彼らも望んでこの研究に協力した訳ではない事が、すぐに感じ取れた。

その心中を慮って出来るだけ穏便に話し、組織とは付かず離れずの距離に身を置いた。

ただ、初めて変若水を服用させた日。幹部と綱道は、隊士が狂う様を、まるで悪夢でも見るように眺めた。

これを飲ませ続けろというのか? これが異国の鬼? 鬼? いや、これは鬼ではない。……化け物だ。

綱道は、自分が恐ろしい物に手をつけてしまった事を知った。

変若水は薬でも何でもない。────ただの毒物だった。

が、資金が投入されれば、成果が期待される。自ら罠に足を嵌めたような気分に陥りながら、綱道の研究は続いた。

そしてあまりに大きい「副作用」と呼ばれる部分は、異国の鬼本来の体質と性質で、変えようがない事が分かった。

これ以上の研究は犠牲を増やすのみ、廃棄を勧める、という文を送ったが、返事は「研究を続行せよ」というものだった。

……雪村の里の水で薄めてみるか。

次々に狂って処分される隊士を見て、もうどうしようもない気持ちになっていた。

軍事利用させる気はまったくなかったが、これからも飲ませるならば、せめてどうにかして毒を薄めてやりたい。

騒動は、よろずの病と傷に効く、と鬼の間では高名な雪村家の湧き水を用いて、変若水を薄めてみた。

少しでも良くなってくれればいいが。

定宿で窓の外の紅葉を眺めながら、思いに耽っていた。

紅葉の盛り。行楽客で沸く京の宿はどこも人が一杯で、それは鋼道の宿も同じ。

相部屋を頼まれて快く引き受けたはいいが、あまり目つきの良くないその男はただの観光客に見えなかった。

同室内で少し距離をとるように座っていた時、それは突然現れた。


部屋の天井が突然明るくなり……八千代が鋼道の前に降って来たのだ。



神は女の願いを聞き届けた。

数珠は時を渡った。






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