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ああ、お母さんに知れたら大儀な事ね。絶対間違いなく一刻はお説教される。

いえ、案外ご機嫌を伺われるかもしれない。太夫は……打ち出の小槌だもの。

借りた着物に着替え、濡れた方を風呂敷に包みながら夕凪は苦笑した。

まさか新選組の屯所に連れて来られるとは思いもしなかった。

自分と年のそう変わらない男に呼び止められ、短い言葉を二つ三つ交わすと「付いて来い」と言われた。

自身が危険と目されたわけではないだろう。たぶん置き去りにするには気掛かり過ぎたのだ。

昼なのに、雨のせいで木戸の閉まった邸内は暗い。彼女は行灯を見つめながら、小さく嘆息した。




局長は別宅、副長は出張中という事で留守を預かっていた山南は、斎藤の連れ帰った珍客に目を瞬かせた。

「着物までお借りして、お世話様でした」と指をついて優雅に頭を下げる所作は美しく、貸した着物が馴染まぬ気品を漂わせている。

どこかの藩邸から気まぐれに抜け出した姫君、という風情。

柔らかい微笑を湛えたままそう推し量っていると、蒸す室内に木戸の隙間から風が吹き込み、知った香りを鼻に届けた。

昼日中には似合わぬ白粉の香り。細いうなじに艶やかな黒髪。改めて見た面差しは凛として、この場に緊張すらしていない。

……島原の夕凪太夫、ですね。なるほど、三度通って初見叶わずという噂通りなら、私は実に運がいいらしい。

「店に送るにしろ、雨が降り止み水が引かないうちは叶いません。そちらの方が心配なさらないよう、文を届けておきましょう。

 面白い書物を幾つか所蔵していますから、ご一緒にいかがですか? 無聊を慰める足しにはなるでしょう」

家とは言わず“店”と言えば、事情を察したことが伝わり。顔を上げた彼女の瞳に、面白がるような色が浮かんだ。


少し奥まった山南の部屋には、言葉通り舶来の珍しい書物や貴重な写本が幾つもあり、棚には実験の道具が並んでいる。

その一つ、ギヤマンのフラスコを見つめ、

「新選組に蘭学を学んでいる方がいらっしゃるとは存じませんでした。外に出ないと分からない事が沢山ありますね」

と夕凪が独り言のように呟けば、微苦笑を零した山南はかぶりを振って、素人の手遊びです、と肩をすくめた。

日頃相手をしている馴染みの方々より素朴で、かといって愚鈍という訳ではない。

最近多い攘夷思想のお客人様と同じく、武士らしい精悍さがあり、でも纏う雰囲気はとても柔らかい。

眼鏡の奥ではこの状況を楽しんでいるように目が笑っていて、機知に富んだ人だと分かった。

自分の身分位を察して色めかない男性は珍しい。既にいい人がいらっしゃるからかしら?

そんな事を脳裏に想像しながら態度には出さず、異国の絵本を開いて彼の解説に耳を傾けた。

よいお声だわ、とっても心地いい。

綺麗な挿絵を指差して物語のあらすじを話す言葉はあまり耳に届かず、その優しい声音に心が凪いだ。

山南も、気取らず出しゃばらない夕凪の相槌に時を忘れ、彼女の為に御伽噺を読み続けた。

届いた夕餉を差し向かいで食べる頃には、「気鬱を晴らす為に抜け出したんです」と夕凪が事情を打ち明け。

傾城の美姫から子供っぽい内緒を聞いた山南が、愉快そうに笑った。

その顔を見て、夕凪の胸の奥が数拍……鼓動を弾ませた。



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