戦禍ノ子
専属医 / 大和
季節は徐々に移り、秋の気配が空気に混じり始める。
大和はデスクに座り、緋色のパーソナルデータを閲覧していた。
あれから緋色は、頻繁に当直室へ訪れている。時には薬を使う夜もあったが、最近は顔色も良くなってきたし、目の隈が薄れてきたのも、気のせいではない筈だ。
傍で見守りながら、緋色の幼い寝顔を眺めたり「おはよう」と起き抜けの声を聞くのが、楽しみになりつつある。
その一方で、緋色は決して弟の話をしなかった。むしかえす真似はしたくないが、不眠の原因は間違いなくそこにあるので、把握はしておきたい。
「機動班……、佐々倉緋色」
画面の先へ進む事を一瞬躊躇したが、これも緋色のためと割りきる。そこには、彼の経歴が詳細に記録されていた。
緋色がケージに保護されたのは、今から二年前。生まれたばかりの弟を抱えて、たった一人でアムネジアに渡航している。本来なら帝国生になる事すら異例だが、抜きん出たアグニス適応率の高さから、専用のカリキュラムが組まれていた。どうりで彼に関する記憶が少ないはずだ。
「なーに見てんのっ」
同期の橋本千草が、ココア片手に背後から画面を覗き込んできた。
「エッチな動画?」
「ばか、仕事中に見るかよ」
大和が異色の新人だとすれば、千草はおおよそイメージ通りの衛生班だろう。
低い身長とベビーフェイスは実年齢よりずっと幼く見え、患者からは大いに歓迎されている。
長い睫毛と丸い頬、子馬のようにつやつやの栗毛と砂糖菓子を彷彿とさせる唇。
性格も素直で明るく、少々天然っぽい節もあるが、そこがまた可愛いとファンも多い。
「緋色の事調べてるの? やだ、ストーカーみたい」
「人聞きの悪い言い方するな」
「最近ここ来てるよね、仲良かったっけ?」
「……不眠症っぽいから診てるんだ」
「へぇ、ふぅん、大和の顔見て眠れるの?」
「どういう意味だよ」
むふふと片手で口許を押さえた千草は、隣の椅子に座るとふと真面目な顔つきになった。
「……緋色ってさ、弟いたじゃん。茜って名前で、二歳の」
「お前知ってるのか」
「俺、帝国生の時に保育室手伝ってたから、一緒に遊んだりしたことあったんだ。緋色もすごい可愛がってて、見てて微笑ましくって。家族がいるの、うらやましいなって思ってた。けど、この前の戦争の時、行方不明になっちゃって……」
うつむいた千草は、そっとマグの縁をなぞる。
「八重が戦死した日の事、覚えてる?」
「ああ」
雛城八重はどこにいても目立つ、歩く拡声器みたいなやつだった。しかし今回の戦争で命を落としたので、ショックを受けたのを覚えている。
「茜もその時、行方不明になったんだよね」
「え……?」
「機動班、その時大変だったじゃん。龍二とか、調査班と揉めて問題になってさ。緋色はその渦中にいたから、自分の事は我慢しちゃったみたい」
その頃、機動班は殺気だっていた。班から死亡者が出た事もそうだが、隊一の戦力を誇る若い班として、周りから過度な期待を受けていたのも原因だろう。
「だから心配してたんだ。でも、最近大和に頼ってるみたいだから、ちょっと安心してる」
千草がにっこり笑うと、同時にナースコールが鳴り出した。
相変わらず、自分以外のはよく鳴る。
「誰だ?」
「尾形さん」
「お前が当番の時は、必ず聞く名前だな」
「最近、おしり触ってくるんだよね」
「はあ!? それちゃんと班長に言ってるか?」
「うーん、ちょっと病んでるっぽいし、可哀想だから、様子見中」
「お前ばかだろ」
「でも、万が一の時はパンチするから!」
尾形は、ベテランの迎撃班だ。
もし万が一があったとしても、非力な千草がどうこう出来る相手ではない。
「なんかある前に、んなとこ触らせんなよ」
「大丈夫だいじょうぶ〜! いってきます」
警戒心の欠片もない千草が、勢いよくドアを開ける。
「あっ、大和〜、緋色が来てるよ」
「えっ!?」
開いたままだったパソコンを、大和は慌てて叩き伏せた。