戦禍ノ子
初恋 / 虎太
体力の続く限りに夢中で快楽をむさぼった二人は、疲れ果てると抱き合ったまま畳に転がった。
窓を閉めるのも忘れていたことに気がついたのは、全身にかいた汗がすっかり冷えて、咲人が控えめなくしゃみをしてからだった。
まさか聞かれていないだろうな、と虎太は花模様の入ったガラス窓をカラカラと閉める。外は夕闇に包まれ、提灯の明かりが入り口の方まで連なっているのが見えた。
まあ、ここは花街だ。喘ぎ声のひとつやふたつ聞こえたって、誰も気に留めないだろう。振り返った咲人は、未だに動けない様子でこちらをじっとりと見上げていた。
「……大丈夫か?」
「…………」
先刻までは「コタ、コタ」と泣きながら足を絡めてくれた幼馴染は、その熱もくしゃみと共に吹き飛んだらしい。虎太はすぐそばにあった花柄の布団を持ち上げると、言い訳がましく咲人の体を包んだ。
「ごめん」
「なんで謝るんだよ、今夜は赤飯でも炊いたら?」
布団の上から咲人を抱きしめた虎太は、美しく透ける薄茶の髪を撫でた。
「……なあ、座敷に出るなよ」
安っぽい言葉に聞こえるだろうか。けれど、そう言わずにいられない。
布団に隠れた咲人の表情は見えなかったが、ぴくりと体が震えたのは確かだった。
「じゃあ、俺を買ってくれる?」
「え?」
「俺の借金を返して、俺を食わせてくれる?」
「……が、頑張るよ」
俺も男だ、責任はとる。腹を括ってそう答えれば、腕の中の咲人が突然震え出した。感動して泣いているのかと布団を捲れば、声を押し殺して笑っている。
「お、おい、俺は真剣に、」
「ご、ごめん、何でもない……でも、ぷふ」
どうやら涙を流すほど可笑しいらしい。そんなふうに笑う咲人を初めて見たのは初めてだったので、虚をつかれた虎太がぽかんとしていると、階下から月子たちが帰ってきた音がした。
「お、俺、タオル貰ってくるから待ってろよ」
「くくっ……、うん」
笑いの止まらないらしい咲人をひとまず置いて、ギシギシと軋む階段を降りる。
二階から虎太が現れても、月子は対して驚きもしなかった。「あんた帰ったんじゃなかったの?」と言いながら油ののったアジの開きを七厘の網に並べている。
「虎太も夕飯食べていく?」
「いや、俺は家で食うからいい」
「独り暮らしでどうせ碌な物食べてないんでしょう。咲人も喜ぶから食べていきな」
そう言うと月子は、問答無用で三枚目のアジも箸でつまむと網の上に乗せてしまった。
パチパチと白炭の赤い火の粉が散る。それを見て無性に煙草が吸いたくなった虎太は、尻のポケットからくしゃくしゃの箱を取り出すとフィルターを咥えて火をつけた。月子の小さな後ろ姿をじっと見つめながら、煙を吸い込む。そういえば彼女も男に買われて抱かれるのだ。
「……月子姉、咲人が座敷に出てたなんて、俺知らなかった」
肺に溜めた煙を吐き出しながら、ぼんやりと呟く。
すると、月子はぎょっとした顔をしてこちらを振り返った。
「は?」
「……え?」
「あんた何バカなこと言ってんの。咲人は男だよ」
「いやでも、だってさっき咲人が」
「あの子が座敷に出る訳ないでしょ」
煙草の灰が、ポロリと落ちる。
一瞬頭の中が真っ白になり、思考が遮断された。
え? 今何て言った?
咲人は座敷に出ないって?
じゃああの腰使いは何だ。あの苺ジャムの瓶は?
何度も抱かれたことがあるみたいに慣れていたのは、どういう訳だ。
咲人の白い横顔が頭を過る。しかし虎太は忘れていた。
彼が息をするように嘘をつくことを。
一枚、かまされたのだ。
「……っ、咲人ぉお!!」
虎太の怒鳴り声は花街の夜空に吸い込まれ、赤い提灯はそれを笑うように揺れた。
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