禍ノ子
 初恋 / 虎太


 王蔵虎太は、一ノ瀬頼と別れると、来た道を引き返した。
 一度は去った、夕暮れに赤く染まった花街の明かりが再び眼前に見えてくる。さっきまでその入り口に立って白い手をひらひらと振っていた幼馴染は姿を消していた。
 このまま黙って帰ることなどできなかった。

 あの白い花のような幼馴染が、性の話に明るいのははなから承知していた。もともとそういう場所で生まれ育ったことは、虎太も良く知っていたからだ。
 しかし今日彼が頼に教えていたのは、実体験に基づいた話に違いなかった。虎太の範疇に収まっていた咲人の輪郭が、朧に溶け出していく心もとなさに、生きた心地がしない。
 まさか、男と交わっていないだろうな。
 あの白い首に、無数の無骨な指が這うのを想像してしまった虎太は、言い知れない喪失感に打ちのめされたのである。
 一人歩きの虎太には、昼間よりもさらに粘着気味な遊女の白い手が群がった。必死にそれを引きはがしながら、急く気持ちを落ち着かせるように唇を噛みしめる。
 咲人はこの真ん中を、まるでせせらぎを泳ぐ金魚のようにすいすいと進んだのだろう。

 白江咲人は幼い頃から不思議な少年だった。何をしても感情を動かさない人形のように、ただそこに薄らと存在していた。
 年が同じだったのでよく遊んだが、彼が感情を晒した姿を見たのはただの一度きりだ。
 まだお互いに十歳の春に、咲人が池の中を真剣に覗いていたことがあった。何か面白いものでもあるのかと虎太も覗きこめば、そこには水面に大口を開けている錦鯉の群れがあった。
「うわ、気持ちわりぃ」と思わず漏らした虎太の横で、咲人はじっと黙っていた。
 それは薄気味悪い光景だった。何故か咲人がその滑った鯉たちに食い荒らされてしまう気がした虎太は、それを払拭すべく鯉の口に向けて小便をまき散らすと、咲人が「可哀想だ」と言って激しく泣いてしまったのだ。
 最低な思い出だが、咲人が泣いたのは後にも先にも、この一回きりだった。

 やっとの思いでたどり着いた白江家は、変わらず静かだった。
 表の玄関から微かな女たちの笑い声が聞こえてくる。たぶんこれから座敷に出るのだろう。何故かそこに咲人が混じっている気がした虎太は、しんと静まった土間を抜けると狭い階段を駆け上がった。

「咲人!」

 勢いあまって、ノックもせずに鍵のかからない薄いドアを開ける。
 丁度制服のシャツを脱ごうとボタンをはずしていた咲人が、驚いた顔でこちらを振り返った。
 開け放した窓からは、赤く染まった夕日が見えた。

「……忘れ物でもした?」

 咲人の落ち着いた声に、虎太は自分が思っていたより焦っていたことに気が付いた。
 なんだ、やっぱり杞憂だった。部屋に咲人がいたことに安堵すると、思い切り溜息をついて畳にしゃがむ。そこにはまだ、空になった三つの湯飲みが、漆塗りの盆に乗せられていた。

「なんだ、どうした」
「お前に聞きたいことがある」
「……」

 咲人は薄い片眉をあげると「新しい茶を入れてくる」と言って、外していたボタンを留め直すと、階段を下りていってしまった。その華奢な後ろ姿を見ながら、虎太はその間に必死で息を整えて、頭の中を整理することにした。ついでに小便がしたくなってきたので、共用のトイレで用を足すと、漸く気持ちが落ち着いてきた。


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