禍ノ子
 天敵 / 椿


 いつもより少しだけ早く起きた椿は、冷たい水で顔を洗うと、丁寧に髪を梳かした。それから濃紺のブレザーの下にグレーのベストを着込むと、ネクタイが曲がっていないか鏡を覗き込む。久しぶりに着るので何だかくすぐったいが、この制服も今日で着納めだと思うと感慨深い。

 今日は帝国生の卒業式だ。
 普段はグレーのジャージばかりで過ごしていた帝国生たちも、この日ばかりは揃いのジャケットにネクタイを締めた姿で式典に参加する。
 その後はすぐに帝国隊の就任式があり、パーティーまであるので忙しくなりそうだ。
 椿は朝食のご飯を二人分茶碗に盛ると、テーブルに並べた。いつもと変わらない朝だけれど、それも今日でおしまいである。
 すぐ二号館へ部屋を移動できるように、閑散とした部屋にはダンボールが積まれていた。

「椿、おはよう」

 ベッドルームから出てきた長身の男は、神坂時雄こうさかときお。同じCクラスの彼は、神経質な性格で無表情なことが多い。義手の右手はむき出しの金属で、指を動かすたびにかちゃかちゃと音がする。
 そのせいで初対面は恐がられることが多いのだが、誠実で真面目な性格の男だ。
 今朝はびしりとアイロンがかかったシャツに、きっちりとネクタイを締めている。細いフレームの眼鏡が、今日は割り増しで輝いて見えた。
 グレーのジャージ姿を見慣れていたけれど、制服姿の彼は文句なしに格好いい。
 マグに緑茶を注ぐと、時雄は利き手の左手でそれをテーブルに並べる。その取っ手には、小さなパンダがしがみついていた。購買であんまり時雄がじっと見つめていたので、椿が彼の誕生日にプレゼントしたものだ。
 その時に、可愛いものや小さな動物が好きだという意外な一面を知ったんだっけ。
 懐かしい日々に思いを馳せながら、湯気の立つ茄子の味噌汁をテーブルへ置く。

「時雄とこうやってご飯食べるのも最後だね」
「……そうだな」

 帝国隊になっても帝国生の部屋割りのままなのだが、時雄は調査班を希望していた。彼らは研究室に籠ることが多く、一緒の部屋割りになっても使わなくなることがほとんどらしい。そこで最近は個室を与えられていて、椿たちは別室になることが決まっていた。

「椿」
「ん?」
「こんな性格の俺と四年間も過ごしてくれて、感謝している」
「え?」
「椿に貰ったこのマグカップも、これからもずっと大切に使う。振り返れば、毎日本当に楽しかった。椿と同じ部屋で良かったよ。ありがとう」

 突然の言葉に、椿は思わず固まってしまった。そんなふうに言われると、胸にこみ上げるものがある。
 こっちこそ冷蔵庫の中身を和菓子だらけにしたり、時雄のトイレ中にドアを開けたり、甘いものが苦手なのに大量に作ったお汁粉を一緒に食べてもらったりした。

「……時雄、僕のほうこそ、ありがとう」

 思わず声が震えたので、椿は慌てて箸を握った。二人で「いただきます」と声を揃える。
 何気ない当たり前の日常が、明日から当たり前ではなくなる。あえて口に出すことはしなかったが、誰もがそれを自覚して今日の朝を迎えていた。


(7/14)
back  next


top story


Copyright(C)Amnesia
All rights Reserved.

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -