贖罪ノ子
贖罪ノ子 / 伊織
誰かが泣いている。
決して手の届かない、暗闇の底で。
あんまり悲しそうに泣くから、こっちまで涙が出てきそうだ。
どこにいるの?
今から行くから、そんなに泣かないで。
「……ん、あれ?」
目を覚ました伊織は、ぼんやりと辺りを見渡した。
たっぷりしたレースで四隅を囲われた、天蓋付きのベッドに寝ている。身体には何も纏っていない。
さっきまでケイトとおしゃべりをしていたはずだ。高級そうな皿やティーカップを割らないようにと緊張していたのに、いつのまに眠ってしまったのだろう。
「どこ……?」
極限まで落とされた照明に、心細さは募っていく。
知らない場所にたった一人。
自分の浅はかな行動が招いた結果に、ようやく伊織は気がついた。
「……ひ、宏夢君……っ」
いる筈もない人の名を呼んでみたが、虚しい声は広い部屋へ吸い込まれてしまう。
「目が覚めた?」
代わりに響いたのは、涼し気で透明な声。
びく、と震えて振り向けば、ベッドの横に一人の少年が立っていた。
裸体に薄いオーガンジーのベールを羽織り、毛足の長い絨毯を踏みながら、こちらへ近づいてくる。
やがて、猫のようにしなやかな曲線美が闇に浮かび上がった。柔く垂れ落つ性器の根には、銀のリングがはめられている。
「……誰?」
「会うのは初めてだけれど、君が知っている人」
少年が白い膝をベッドに乗せれば、するりとベールは床へ落ちた。
現れたのは銀更紗の髪、長い睫毛に縁どられた瞳と、丸みを帯びた優しいラインの体。
既視感のある姿に、伊織は目を疑った。
「是則……、さ……ん?」
彼は、調査班班長の四十万是則にそっくりだった。いや、本人そのものに見える。
しかし決定的に違ったのはその年齢で、まだあどけなさの残る少年の是則は、控えめに微笑んだ。
「四十万是則は、僕のオリジナル」
「え?」
「誰にも秘密だよ、僕の事はご主人様しか知らないんだ」
どういう意味だ? 混乱した伊織には理解が出来ない。「ご主人様」こそ誰かは見当がついたが、それを口に出して確認するのも怖かった。
強ばった伊織から物憂げに視線を外した是則は、ベッドサイドのチェストへ手を伸ばした。
「君は、僕と同じ匂いがする」
「匂い?」
「そう、作り物の匂い」
取り出した美しい香水瓶の蓋を開けると、慣れた手つきで中身を掌に垂らす。どうやら、オイルに入れ換えてあるらしい。
「安心して。似た者同士、仲良くしようよ」
「えっ……あ、」
悩ましげに屈んだ細い背中に、規則正しく並んだ骨が浮き出る。ちゅっと控えめに吸われたのは小さな臍。薄い唇は、慈しむように何度もそこを啄む。
「かわいい。綺麗な形してる」
無防備な部位を可愛がられて、ぞわぞわと産毛が逆立った。狭い窪みを両手で左右に押し広げられ、その隙間を丁寧に舐められる。
赤い舌先がちろちろと上下に動き、軽く差し込まれると、ぴくんと下腹部が振れた。
「んっ……、あ、いや」
「お臍、気持ちいいでしょう? ふふ、いっぱい教えてあげる」
オイルのついた細い指は、際どい内股を滑っていく。その性的な動きと迷いのなさは、伊織の恐怖を煽った。
気持ち悪いし、普通じゃない。
「ん……うぅ、やだ」
「大事な場所、弄ったことある?」
「い、や……っ触っちゃだめ」
「あ……、すごい。皮の中が薔薇色だ」
「やめて!」
癒着した皮を捲られそうになった伊織は、咄嗟に是則の腕に噛みついた。
「っ……」
驚いて手をひく是則。白い腕から滴り落ちる赤い血が、点々とシーツの上へ散る。
伊織は慌ててベッドから飛び降りた。力が入らずに膝から崩れ落ちたが、そのまま這いずるように立ち上がる。
部屋の扉を押せば、簡単に開いたので驚いたが、伊織にはそれを不自然に思う余裕もなかった。
「……待って!」
泣いたような声に呼び止められて、ふと振り返る。
是則はベッドの上にしゃがんだままだったが、伊織は構わずに逃げ出した。