罪ノ子
 免罪 / 伊織


「……、う」

 目覚めた伊織が最初に見たのは、光だった。先程まで、雨が降っていたらしい。雲間から差し込んだ光が、空気中に残った雨粒に乱反射して、ぼんやりきらきら光っている。
 静かだ。戦争は、終わったのだろうか。
 伊織はゆっくりと深呼吸してみた。漂っていた心が、ちゃんと胸の内側に収まった気がする。
 改めて辺りを見渡すと、自分が駆蹴のベッドにいると気がついた。シーツから、微かな煙草の香りがする。枕元にはチビが丸まって眠っていた。
 一体いつからいるのか、記憶がはっきりしない。いや、思考することを脳が拒否している。すごく怖い思いをした気がしたから、あまり考えたくない。

――それよりも、なんだかお腹が空いた。

 視線だけ動かしてみる。
 手は、動く。
 胸は、ちょっと痛いけど。うん、足も問題ない。
 羽根は?
 むく、と起き上がった伊織は、そこで初めて身体中に散らばった赤い鬱血に気がついた。
 特に胸元と、腹部、それから内股の際どい位置にそれは集中している。
 何かの病気だろうか。不安になって、慌てて背中を確認する。そこには生々しい縫合痕が残っているだけで羽根はなかったが、やっぱりそこにも赤い鬱血が散らばっていた。

「伊織?」

 涙目になった伊織を呼んだのは、部屋に戻ってきた駆蹴だった。シャワーを浴びたのか、黒い髪の先が濡れている。

(駆蹴さん!)

 デクロに背中を裂かれたのを見たのが、伊織に残った最後の記憶だ。けれどちゃんと元気そうに見えて、思わず名前を叫ぶ。

 しかし、変わりに飛び出したのは、「カ……っ、ぎゃん!」という獣のような呻き声だった。

「!」

 えっ……?
 思わず両手で喉を抑える。
 口の中の筋肉が、上手く動かせない。

「起きてたのか。いつも煩く呼ぶ癖に、今朝はどうした」

 けれどそれよりも驚いたのは、伊織の様子に全く動じない駆蹴の対応だった。
 それどころか、当然のように伊織を膝の上に乗せると、慣れたように襟のボタンを外し始める。

「もしかしてまだ怒ってるのか? 毎晩しつこくて悪いが許してくれ」
「……?」
「それより、ほら、腹空いてるだろう」

 唐突に差し出された首筋は、宏夢の腕のように赤黒く変色している。ぞっとした伊織は、慌てて駆蹴を突き飛ばした。しかしその反動で、自分のほうがベッドから転がり落ちてしまう。

「へぶっ!」
「伊織!」

 驚いた駆蹴に抱き上げられたが、涙が溢れてきた。
 だって、こんなの絶対におかしい。

「……どうした?」
「カ……っ、ぎゃ……かけ、……ッぎゃん」

 違う、違う、「駆蹴さん」って言いたいのに。
 必死に首を振る伊織を、駆蹴はしばらく観察するように見つめていたが、やがてゆっくりと抱き締めてきた。一瞬泣きそうな顔に見えたのは、気のせいだろうか。

「……伊織、か?」

 駆蹴の胸から、速い心臓の音が聞こえる。ちっとも状況は飲み込めなかったが、伊織は懸命に頷いた。

「うっ、ひっく、うえ……っうわああん」

 駆蹴にしがみついた伊織は、鼻水も涙も一緒に流して泣いた。
 なんだか上手く感情がコントロールできない。
 そんな自分が、怖くて堪らなかった。


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