思ノ子
 失思ノ子 / 篤


 帝国隊は見事に勝利を収めた。
 それは、最後まで防衛線を守り抜いた篤による功績が大きかった。
 降りやまない雪に、白く霞むアムネジア。
 いつの間にか夜は明けている。
 大破した篤のアグニスに駆けつけた隊員は、傷だらけの体を晒したまま、それを囲んでいた。
 篤が緊急脱出のハッチを作動させなかった為に、歪んでしまった扉がどうしても開かないのだ。通信機も作動せず、度重なる呼びかけにも応答は返ってこない。中で篤がどのような状態かはアグニスを見るに明らかだというのに、何も出来ないでいる。
 次第に激しくなる白い雪に視界は奪われ、赤く汚れたシナプスが滲んでいく。濃くなり始めた諦めの色を、一人の悲痛な叫び声がかき消した。

「篤――ッ!」

 パイロットスーツをシナプスで濡らした薫だった。ケージから一番遠い配置だったため、到着するのが遅かったのだ。普段は物静かな彼の取り乱した姿に周りは驚いたが、その美しい顔が泣き濡れているのに言葉を失う。薫はアグニスを駆け上っていくと、歪んだハッチの扉に迷わずに手をかけた。

「あっ……う、ぐ」

 未だ高温のそこを掴んだために、薫の白い手は瞬時に焼け焦げる。しかしまるで感覚が麻痺してしまったかのように、薫は絶対にそこを離そうとしなかった。

「よせ、薫! 今重機を整備士が運んできてるから!」
「だめ、だめ!! そんなんじゃ間に合わない!」

 誰もが耳を塞ぎたくなるような、悲痛な叫び声。完全に正気を失っている薫に数名が駆け寄っていき、無理矢理薫をそこから引き剥がす。

「離して! いやああっ!! 篤、篤――ッ!!」
「どけ、薫!!」

 呆然とする人の間から、紺色の影が飛び出した。
 強く体を引かれて、我に変える。目の前で代わりに高音のハッチに手をかけたのは、豹吾だった。

「ぐゥっ……!」

 肉と血の焼ける匂いと音。豹吾が苦悶の表情を浮かべたままハッチの開閉扉を回す。むき出しの腕には生々しい裂傷があり、血管が浮かび上がる度にそこから血が滲んだ。遊撃班の彼も、たった今まで死闘を繰り広げていたのだ。
 豹吾の血が蒸発し、赤い煙が昇る。金属のねじ曲がる音。薫の、狂った悲鳴。

 ガ……、キギッ、ガゴン……ッ

程なくして、ハッチはこじ開けられた。

「開いたぞ!!」
「早く出せ!!」
「あっ……」

 生温い真っ赤なシナプスの中に、篤は操縦席に固定されたまま浸かっていた。
 それを見た瞬間、薫の全身から力が抜けた。

「……、あつし?」

 数人がかりで引き上げられた篤は、あっという間に衛生班の担架で運ばれていってしまった。
 薫はぼうっとそこにしゃがんだまま、それを見ていることしか出来なかった。

 はらりひらりと、白は舞い落ちる。
 睫に積もった雪の粒。肺に吸い込んだ冬の空気。その全部がはっとするほど冷たい。
 
 ずっと手を握ってくれた熱い掌は、力を失って担架の上で揺れていた。

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