思ノ子
 人体研究所 / ソラ


「……っく、ひっく」

 啜り泣く声がする。
 誰の声かは、雨に混じってよく聞こえない。
 砂嵐のような灰色の世界で、何かが炎を上げて燃えている。
 トラックと乗用車に見えたが、それが定かでないほどに両方とも大破していた。

 ザザ、

 時折、古いテレビのようなノイズが走る。

「お母、ン――…ッと、……さん」

 隣で泣いているのは、自分と同い年くらいの子供。
 きちりとボタンが留まった白い衿のシャツと、小さい膝小僧がのぞくサスペンダー付きの半ズボンを履いていて、俺は途方もなくその子の手を握っている。

 ザザ、ッザ――……

 伸ばした左手が癖のない黒髪を撫でる前に、一層激しさを増したノイズに視界は遮られた。



 目を覚ますと、ソラは自分の頬が濡れていることに気がついた。
 何だかすごく悲しい気分がしたけれど、覚醒した意識はどこか冷静だ。ちぐはぐになった二つを天秤にかける作業に、然程時間はかからなかった。
 呆然と涙を拭い、隣を見ればアタルが一緒のベッドにいて、しがみつくように眠っていた。
 飴色の髪を確かめるように撫でると、細い紐を手繰るようにゆっくりと記憶が戻ってくる。
 変わり果てた瑠依を目の前にして、自分はあのまま気を失ったらしい。それでもアタルが無事でいてくれたことに、心底ほっとする。
 どのくらい寝ていたのだろう。数時間か、それとも何日か経っているのかもしれない。

「……ん、そら?」

 髪を撫でられたアタルが、泣き腫らした顔を重たそうに上げた。

「ソラ……っ、そら、大丈夫?」

 アタルは飴色の瞳を見開くと、みるみると大粒の涙を零した。
 ソラの胸に顔を擦り付けて、緊張が解けたように泣きじゃくる。

「……アタル、熱下がったか?」
「うん、っ……でも、ソラが」
「すぐ戻らなくて、ごめんな」

 必死に首を横に振るアタルは、その頬に涙の雫を散らせた。お饅頭みたいにぱんぱんに張った顔が可哀想でありながら可愛くもあり、苦笑しながらその背中を撫でる。

 窓の外にゆらりと黒い頭が覗いたのは、ほとんど同時だった。

 それが瑠依に見えたソラは心臓が凍りついたが、ドアを開けたのは羅依だった。
 均衡の崩れた表情をうっすらと顔面にはりつけたまま、亡霊のように近づいてくる。
 その異様な姿を見て、咄嗟にアタルを強く抱き寄せた。
 いつもと雰囲気が違う。
 希薄なその瞳は、何も映していない。
 自分が命を奪ったかもしれない人が最後に見せたのと同じだ。二人がこれ以上ないほどひたりと重なって見えた気がして、ソラは震え上がった。

「なあ」

 首を掴まれ、そのまま捻り潰すように壁へ叩きつけられる。

「ぐっ、ぁ」
「……ッひ!?」
「やっぱり、瑠依はお前が殺したのか」

 めり、と指が食い込む音が聞こえた。苦しくて暴れても、びくともしない。
 それは、確実で明確な殺意だった。まだ幼いソラは抵抗すら許されず、大人しく平伏すことしか出来ない。
 アタルの泣き叫ぶ声が聞こえる。

「あんな死に方、普通じゃない」

 息が、出来ない。
 殺される、殺される、殺される――

「…………、俺たちは何のために生まれたんだ?」

――え?

 羅依の目から、涙が零れ落ちた。

 びし

 以前と全く同じ光景が目の前で起きた。
 羅依の頬を流れ落ちた透明な筋。
 それを上書きする、血の涙。
 いや、顔面が割れている。

 びしゃ、びしゃびしゃ
 びしゃ、

 首を戒める力が消えて、ベッドへ踞ったソラは激しく咳き込んだ。
 一気に肺が膨らんだが、それを満たしたのは血生臭いにおい。
 それで初めて、羅依がベッドの上で肉片になっていることに気がついた。

「……っ、ヒぃ」

 驚いてシーツを蹴ると、ほんの一瞬前まで羅依の体内を巡っていた血液が、足の裏に温かくぬめりつく。
 まただ、また、人がバラバラになって死んだ。
 これが単なる偶然とはもう思えない。
 パニックを起こしそうになりながらも、血肉の山の向こう側でしゃがむアタルを探した。
 怖がって泣いているかと思えば、魂を抜かれたように、ぼうっと自分の右手を見つめている。

「……アタル?」
「……ッ」

 びくん、とアタルは震えた。
 悪いことをして見つかった時の子供のように。
 その顔が、泣き出しそうに歪む。

 まさか、

 ひとつの疑惑が確信を帯びた刹那、ソラはアタルの右手を掴むと部屋を飛び出した。

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