夕飯の買い出しを終えた聖夜は、バス停で芽太の帰りを待っていた。
今夜は芽太のリクエストのロールキャベツだ。重たい袋を膝に抱え直すと、まだバスの来ない道路を見つめる。
こうして座っていると、ひどく懐かしい気がしてくるから不思議だ。訳もなく胸が詰まり、泣き出す前の息苦しさがする。
もしかして以前よく来たのだろうか。けれど、いい思い出とは少し違う気もしたので、聖夜は受け流すことにした。
自分の感情に鈍感であれば、失った過去を分断することが出来て、精神的にも楽だ。
小さな溜息をついて顔を上げると、丁度バスが姿を現したところだった。
「ただいま!」
開いた降車口から顔を出した芽太は、バス停の聖夜に気が付くと、ぴょんぴょん跳ねながらステップを降りてきた。
「お帰り、芽太」
ぎゅっと抱きしめてやると芽太は「くふふ」と仔猫みたいに笑う。迎えに来てもらうのが嬉しいやら照れくさいやらで小さな胸がいっぱいらしい。可愛いのでしばらくそうしていると、背後で小さな影が揺らめいた。
振り返れば、こちらの様子を伺っている男の子。顔が小さくてすらりと足が長く、白いTシャツと細身のパンツがよく似合っている。
「あっ、奏ちゃん」
はっと気が付いた芽太が、一際優しい声をかけた。
ふうん、なるほど。あれが奏一君か。
芽太よりまだ背は低いが、はっきり男っぽい顔立ちと浅黒い肌をして、賢そうな切れ長の瞳がタンザナイトのように光っている。
「こ、こんにちは!」
奏一はやや緊張した面持ちで挨拶した。
「家が近いんだよ。一緒に帰ろうって僕が誘ったの」
「じゃあ送っていこうか」
「ねぇ、せいちゃん、奏ちゃんちのパパとママはまだお仕事でお留守番なんだって。それでね、あのね」
上目遣いのおねだり仕様になった芽太が、次の言葉を言わなくても分かった。
たぶん一緒に家で遊びたいんだろう。
「いつ非常警報が鳴るか分からないし、いいでしょう?」
「そうだね、うちは別に構わないけれど」
「やったぁ!」
聖夜が承諾すると、幼い二人は手を取り合って喜んだ。
バス停から然程遠くないアパートへ帰る。
窓から見える満開の桜を芽太が奏一に見せている間、聖夜は冷蔵庫に閉まっておいたケーキの箱を取り出した。
今朝月輝がお土産にくれたものだ。
紅茶をいれようと棚から茶葉の缶を選んでいると、芽太がキッチンへ入ってきた。
「わあっドルチェのケーキっ、僕大好き」
「月輝が持ってきてくれたんだ。芽太の進級祝いだって」
「月輝さんが来たの!?」
「擦れ違ったって言ってたけど、気づかなかったか」
「うん……」
目に見えて落胆した芽太の頭を撫でてやる。それこそ写真に撮って月輝に見せてやりたいくらいだ。
「ほら、ケーキどれがいい? 奏一君も呼んできて」
「……っはぁい!」
ドルチェはE区にある洋菓子店で、その味もさることながら値段も超一流の店だ。それで一般庶民の口にはなかなか入らないのだが、月輝はいつも箱いっぱいに買ってきてくれる。
芽太が目を輝かせながら選ぶのは、決まって大粒の苺が乗ったショートケーキだ。
月輝もそれが分かっているのだろう、二人で食べきれないほどの数が敷き詰められているが、中でもショートケーキの割合が高かった。
奏一がナッツ入りのガトーショコラを選ぶと、二人は卓袱台に仲良く並んだ。
芽太はご機嫌そのもので、「奏ちゃん口にチョコついてるよ」とか「僕のも食べる? はい、あーん」とかあれこれ世話を焼いている。お前は新妻か。
「奏一君の家はどこなの?」
「二番区なのでここから近いです。花屋の角を曲がったところ」
「朝のバスがいつも一緒なんだよ」
「ふうん」
「聖夜さんは、芽太のお兄さんですか?」
「うん、年は離れてるけど」
「二人ともそっくり。きらきらしてる」
「そうかな? ねえ、芽太」
「えっ」
芽太の薄い耳たぶが染まっている。自分も誉められたことに気がついたらしく、正座した膝頭を擦り合わせると、恥ずかしそうに俯いてしまった。
二人の関係が少々気にはなるが、とりあえず見守ることにしよう。多少生暖かい目になることは否めないが。