港の海岸線沿いを歩く。ふいに吹き付けた冷たい風に口元を隠したマフラーが乱され、それを指先で直した。
風花が舞い散る。それは聖夜が気にとめるよりもずっと淡く、一瞬で消えてしまう。
寒い、凍えるほど寒い。
ポケットに入れた掌をきゅっと丸めながらしばらく歩くと、うるさい市場へ出た。人々の活気づいた気配に気圧されながらも、聖夜はあたりを見渡した。
客引きの声を適当に受け流しながら、雑踏の真ん中を進む。
「兄ちゃん、今日はいいのが入っているよ」
「叔父さん、僕、紗綾を探しているんだけど」
「あんた紗綾の知り合いか?」
「うん」
事も無げに頷いてみせると、男は何の疑いもなく奥の方を指さした。
「今の時間なら、あそこで店番やってるはずだよ」
「そう、ありがとう」
どくん、と心臓がなる。
聞こえてくる、明るい声。
女の、声だ。
一歩ずつ近づく足の先から、不思議な感情が湧き上がってくる。
それは嫉妬か恐怖にも似た、汚い好奇心のようにも感じる。
「お客さん! いらっしゃい」
たどり着いた店先に立っていた少女は、日に焼けた肌をしていた。茶色い瞳、人懐っこそうな笑顔。
花に例えるなら向日葵のような少女は、まるで自分とは対局の存在に見えた。
「今日は、鱈のいいのがありますよ」
「そうですか。じゃあ、それを一尾ください」
「毎度あり」
よく太った鱈を掴んだ少女は、手際よくそれをビニールの袋にいれた。
それを受け取りながら口元だけで笑うと、女は突然身を乗り出して、まじまじと聖夜の顔を見た。
何か不自然だったろうか。ふいに近付く距離に後ずさりする。
「……えっと、何か?」
「あっ、ごめんなさい。あんまり綺麗なお顔だったんで、つい。この辺で見かけないから」
「そうかな、どうもありがとう」
ぱっと頬を染めた紗綾は、屈託なく笑うと聖夜を見送った。
胸が締まるほどの嫉妬に、焼き切れそうだ。
あんな魚臭い女より、自分の方がずっと、ずっと……。
ああ、僕は醜い。
部屋に戻った聖夜は、まな板の上で大きな鱈の尻に包丁を刺した。そこから、つうっと腹のほうへ切れ目を入れていく。新鮮なピンク色の内臓がもったりとその隙間から溢れるのを見ながら、ぼうっと聖夜は考えた。
この前の有島との話だ。
実験が二回しか行われていなければ、当然被験体も二体しかいないはずだ。
一体目は芹沢弥生が逃げたことで、失敗に終わっている。そして二体目は、自分の母親の雪代美里が連れ去ったという。
有島の言うことが本当ならば、自分はそのどちらでもない。
ということは、自分は実験の被験体ではないのだ。
今まで信じて疑わなかった物が、揺らぎ始めている。
鱈の内臓を引きずり出しながら、聖夜は真っ赤になった自分の掌をぼんやりと眺めた。
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