儡ノ子
 家族 / 聖夜


 夢を見ていた。
 感覚を失った体が、ゆっくりと腐り落ちていく優しい夢を。
 土へ落ちた木の葉のように時間をかけて朽ち、何に逆らう訳でもなくただ自然の施しを受ける。そうして土へ還った僕は、純粋なまま永遠に眠るのだ。
 肥えた土壌から代わりに顔を出したのは、ピンク色の幼虫。
 それが無数に這い回るのを、紺色の軍服を着たもう一人の僕がしゃがんでじっと見つめている。
 僕の精子は美味しかったか?
 ああ、気持ちが悪い。
 昔から変わらない、愚かで可哀想な自分。



「せいちゃん」
「……っ、」

 冷たい畳の上で目が覚めた。
 顔を覗きこんでいるのは、芽太の琥珀の瞳。そこに目を覚ましたばかりの自分が映っている。
 汗をかいた背中には、Tシャツがぺったりとくっついていた。

「大丈夫? うなされてたよ」

 聖夜はゆっくりと寝返りをうつと、折り曲げた膝に片方のふくらはぎを擦った。
 寒い……窓の外は、相変わらずの暗闇だ。
 今、一体何時だろう。
 日の出や夕暮れのない地下で、もういい加減頭がおかしくなりそうだ。
 むず痒い気がする股間の辺りを、無意識に掌で押しながら聖夜は起きた。
 壁の時計は、七時。どちらにせよ、食事の準備が出来ていない。

「ごめん、すぐにご飯作るね」
「せいちゃん、疲れてるんなら僕いらないよ。それにカップラーメンがあるから、」
「こら、まりあみたいなこと言うな」
「せいちゃん……?」

 ぎこちない二人の会話を遮るように、間の抜けたチャイムの音が鳴る。思わず芽太と顔を見合わせたが聖夜は玄関に出た。

 ドアの向こうにいたのは、蒼白の紗綾だった。

「……おかしいと思った」
「え?」
「あの日、てっちゃんが聖夜って言いながらドアを開けたの、覚えてた」

 よく見れば、彼女は裸足だった。
 丸く茶色い瞳は目じりが赤く、髪も乱れている。普通でない様子に息を呑むと、背後から様子を伺うように芽太が顔を出した。

「奏ちゃんのママ?」

 嫌な予感がした。

「あなたの顔をどこかで見たことがあると思ったの。何年も前に、まだ私が漁港で働いていた時だわ。今思えば変だった。私をじっと見て、笑ったの。あの時あなたは私をバカにしたのよ」

 理不尽に責められているのに、何も言い返せない。一徹との関係を自覚していたからだ。
 彼女がそれを言いに来たことくらい、聖夜にも分かった。

「あの日からてっちゃんはおかしくなった。大切だった父親のこともすっかり忘れているのに、全然気にしていないの。それどころかいつだって管制塔のほうを眺めていて……」

 そこまで一気にまくし立てた紗綾は、言葉に詰まって細い喉を震わせた。

「…………、別れてくれって言われたの」
「え?」
「好きな人がいるからって、奏一も引き取るからって頭を下げられた。てっちゃんには戸籍がなかったから、私たち結婚が出来なかったの。今更ケージに聞くのも怖かったから、私が止めた。でも、あの時無理してでもちゃんとすればよかったんだわ」
「……場所を変えませんか。芽太もいますから」
「ねえ、諦めてよ! お腹に二人目の子がいるの。私の気持ちが分かる? 自分より綺麗な顔した男に、大好きな人を取られた、惨めな、女の気持ちが」

 ヒステリックに泣き崩れる紗綾を、聖夜は静かに見下ろした。
 悪いけれど手遅れだ。
 そもそも一徹とは、ずっと愛し合っていた。
 あの時は離れるしかなかっただけで、状況が変わった今、もう邪魔するものがない。

「許せない、あんたの大事なものを私が壊してやる」

 突然這うようにして紗綾が掴んだのは、背後で怯える芽太の腕だった。そのまま力任せに玄関の外へ引きずり出す。

「ッやめろ! 芽太は関係ない!」
「う、うわああんッ、せいちゃ、せいちゃん」

 泣きじゃくる芽太が、自分の横をすり抜ける。恐ろしくなって後を追いかけた聖夜は、その一瞬で、彼女が階段から足を踏み外すのを見た。それから、バランスを失った彼女の腹を、芽太が両手で思い切り突き飛ばしたのも。

「……あ、」

 ガンッ、ガン、がん、……ッ、ごギ

 派手に頭から落下した紗綾。
 ひくひくと痙攣する彼女の下半身が、赤に染まっていく。
 階段の隅でうずくまる芽太を抱えた聖夜は、じっとそれを見下ろした。
 嘘のような、静寂。しかしそれも、異変に気がついた同じアパートの住人が消し去る。

「なんだ?」
「どうした」
「おい、人が落ちたぞ!」

 人の幸せを貪っても尚、僕は生きている。
 自分の体がひどく冷たいのに気がついたのは、その時だった。


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