美味しい食事は人間を幸せにする、と私は常々思っている。
だから私はこんな訳の分からない状況においても食事を蔑ろにする気はないし、食堂のおばちゃんという神がかった料理を作る人がいるのにその料理を堪能しないのは愚の骨頂だと思う。
だっておばちゃんの料理をひとくち口に入れた次の瞬間からふわりと天にも登る心地になり、一時だけでもこのいつ死ぬかもわからない状況を頭の片隅に追いやる事が出来るのだ。
大袈裟と思われるかもしれないが今の私の楽しみは食事ぐらいしかないのだし、そう思ってしまうのも仕方ないだろう。

だけど、たとえそんな私に取って重要な意味を持つ食事であろうと、一時の現実逃避の為に死亡フラグを建設する気は全くない。
食事の幸福と自分の命を天秤にかけるなんてそれこそ愚の骨頂というに相応しいだろう。
天にも昇る心地どころか実際に天に登ってしまうのはマジ勘弁である。

…と、いう訳で食堂へ行く途中、遠くに尾浜を見つけた私は本日の昼食を諦める事に決めた。
食事を諦めてでも尾浜とは絶対に関わりたくない。
昨日の夜の事を思い出すと今でも体がぶるりとふるえて背筋が寒くなる。
なにせ私はあのあと恐怖でしばらく寝付けなかったぐらいなのだ。
あいつ普通に怖い。

それにしても今後の事を考えて何かしら対策をたてないとならないかもしれない。
でも休憩に入る時間は決まってるしなあ。
忍たまたちと時間をずらそうにもずらせない。
まさかたいした仕事も出来ない私が休憩時間を動かしてくれとか言える筈がないし…。

「うーん…」
「うーん…」
「え?」
「ん?」

どうしたものか、思い悩みながら歩いているとすぐ近くから同じように唸る声。
それにつられて顔を上げると、数歩先にきょとんとした表情の忍たまが立っていた。
こいつはあれだ、不破雷蔵、かな。
なんか唸って悩んでるみたいだし、たぶん合ってるだろう。

「…ええと、こんにちは?」
「えっ、あっ、こんにちは!」

目が合ってしまった以上は挨拶ぐらいはしなければと思い、一応声をかけると不破は慌てたようにぺこりと頭を下げて挨拶を返してくれる。
ううむ、いい子だな不破。
でも関わるつもりは全くないのでそれじゃあと通り過ぎようとするが、そんな事が許される筈がなかった。

「あのっ!天女さまですよね!?」

ぐいっと腕を掴まれて、引き留められる。
しかも天女さまという言葉付き。
ああうん、ですよねー。
もはや悟りの境地に至る気持ちになりながら振り返れば、不破はなんだか必死な顔をしていた。
何だ?と疑問には思うが、訂正はしなければならない。

「天女じゃありません」
「ええっ!?あれっ、えっ!?人違い…?」
「いや、天女だって勘違いされてそう呼ばれているただの一般人です」
「あ、じゃあつまり通称は天女さまだけど天女ではないという事ですか?」
「そうそう天女と呼ばれている事は知っているんだけどその呼称には納得していない通称天女さまなんだよ」
「なるほどじゃあ天女さまと呼ばれてはいるけど天女さまという呼称は止めて欲しいという訳ですね」
「そうそう、天女さま呼びは天女じゃないからほんと勘弁して欲しいと思ってるんだけど天女説が蔓延し過ぎててみんなが私を天女さまとか呼ぶから天女説を必死に否定して回っているところなんだよ」
「じゃあ通称天女さまは天女じゃないという事を通称天女さまを天女だと思っている忍たまに会ったら通称は天女さまだけどそれはみんなが天女だと勘違いしてるだけで本当は天女じゃないしその通称を通称天女さまは納得していないという事を伝えておきますね!」
「うん、天女さまという通称を早くなくして欲しいって通称天女さまが…ってなんなのこのやりとり天女連呼しすぎだよ!私の名前は名字名前ですよろしくね!」
「僕は不破雷蔵です、よろしくお願いします!」

長すぎる上に中身のない天女トークを無理矢理断ち切り自己紹介をすれば、不破の方も笑顔で名乗ってくれた。
ふう、まったくこんなに自己紹介に長々と時間をかけたのは初めてだわ。

「そう言えば何か用でもあったの?」
「あ、そうだった!…あ、うーん、でも…」
「何?」
「いや、あの…どうしよう…言うべきか言わざるべきか…」

そんな迷っている姿を眺めながら不破の特徴は迷い癖がある事だったなあと思い出す。
確か迷った挙げ句、最終的に眠ってしまうんじゃなかっただろうか。
その場合、不破の事はここに放置していっても許されるだろうか?
でも後であの女、雷蔵先輩を放置して行った!とか言われても困るしなあ…。
…いやいや、私まで迷ってどうする!

「不破くん、何か迷ってるならとりあえず言ってみて。私も一緒に考えるから」
「え、は、はい!それじゃあ、その、あっ、でもその前に天女さまじゃないならなんてお呼びすればいいですか?」
「何でもいいよ。不破くんに任せ…いや、名字さんで行こう」

あ、危ない、不破に余計な悩みを追加してしまう所だった。
気に入らなければその内自分で修正するだろうし、とりあえず名字にさん付けなら無難なところだろう。

「さて、それで本題は?」
「はい、実は、」
「おーい雷蔵!大変だー!」

ようやく本題に入ろうとした不破の言葉を遮って、ボサボサ髪の忍たまが駆けてくる。

「え、あれっ!?天女さま!?」

…もうそれの修正の話題はお腹いっぱいです。
ていうかいい加減不破のお悩み相談という本題に入らせろこのモップ野郎!


list


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -