あかりがまぶしい
01
 「あの日」から、一年と三ヶ月が経っていたらしい。
 春先のまだ冷たい空気が、走り疲れてはずむ僕の息にのって喉に痛い。卒業証書の入った黒い筒が潰れてしまうほどの力で握りしめ、僕はただ走り続ける。君はどこに行ったんだ 、もう君には会えないのか……。僕は焦りでのみ突き動かされていた。そしてまた、走り続けた。
 貸し出し帳簿もそこそこに、ひっつかむように鍵を取りあげた。今僕が向かっている場所は「西門部室会館」。僕ら生徒はそれを略して「西部館」と呼ぶのが通例だ。そこには軽音部や写真部、そして僕の所属する文学部の部室がある。そして。

(そして……)

 僕は君に会いに行く。




 僕が初めて彼女に会った日が、僕が最後に彼女に会った日となった。僕はあの日以来何度も部室を訪れては彼女との再開を期待する日々が続いた。あの日のように話がしたい、君に話したいことなら山のようにあるんだ。朗らかで話すことがとにかく好きな彼女に、そして誰よりも文学を愛する彼女に、僕はいつだって会いたいと切に思っていた。
 そしてもうこの校舎に用はないだろう。でも。

(あれが最初で最後だったなんて……)

 今日、僕は高校の卒業式を迎えてしまった。
 僕はただ、焦っていた。




 乱暴に鍵穴をガチャガチャと言わせながら、鍵を差そうとする。しかし思ったような手応えはなく、そこで初めて僕は異変に気づいた。自身の愚かな失態に、思わず呟かずにはいられなかった。

「しまった……これじゃない」

 鍵についたプレートは本当なら白いはずなのに、今僕が持っているそれは白に限りなく近い――しかしよく見れば間違えようのない――水色だった。ああ、しまった。僕はその扉の閉まっているのを確認し、もう一度事務室に戻る覚悟をした。
 その時だった。
 何か金属音がした。金属が、擦れるような……。
 もしやと思い、僕は百八十度翻した体をもう百八十度回転させる。無意識に、足音を忍ばせようとしてしまう。静けさがやけに耳に痛い。
 今、ここ西部館には誰もいないはずだ。そう、僕以外、誰も。この西部館の鍵は、僕がこの手で開けたんだ。 
 あり得ない、そう思いながらも僕は先ほどの扉まで戻ってきた。あり得ない。だけど、彼女なら。
 さっきは確かに開くことのなかった扉のノブに、僕は恐る恐る手をかけた。それを捻ることにもそのまま引くことにも、今度は何の抵抗もなかった。何事もなかったかのように開く扉は、軽かった。

「久しぶりだね、灯火野君」

 彼女はふわりと微笑んだ。

「本当に君なんだね……鳥遊、緋穂さん」

 情けないことに僕は、言葉を失ってしまったのだった。




 あり得ないことのはずだった。だけど、僕と彼女の出会いだって、よく考えればあり得ない出会いだったじゃないか。
 初めて出会った日のことなら、今でも鮮明に思い出せる。僕はあの日、正しい鍵を使ってこの手でこの扉を開け、そうして彼女に出会ったのだ。
 今の僕が感じていたのは、ほとんど感激に近かった。たくさん話したいことはあった。初めて出会った時のように、何もお互いのことを知らないままに話せたなら……そうとさえ思っていた。目の前の彼女に――少なくとも、生きている人じゃないと分かっている彼女に――今僕が言えることなんてあるのか?すっかり飛んでしまった僕の「言いたい事」。一体どこに行ってしまったのだろう。

「み……見てくれ、これ、全部あの日から書きためた作品なんだ」

 半ば苦し紛れのように、僕は慌てて鞄から分厚くなったファイルを取り出した。

「うわあ、すごい量」

 いつの間にかこんなに分厚くなっていた。そのファイルの表面をスッと一撫ですると、自然と心が穏やかになるような気がした。一体何作品書いたのだろう。最後まで書き終わらずに断念した作品だってある。最後まで書ききっても駄目だと思う作品だって勿論あった。それを含めての、この重さだ。僕はこれがどんなに分厚くなろうとも、いつもこのファイルを鞄に入れて持ち運んでいた。

「毎日毎日、ここに来てはこれを書いて……君が来てくれるのを待った。君に読んで欲しくて、君の感想が一番に聞きたくて」

 その結果のこの重さなんだ。ファイルを持つ手に力が入る。

「でも君は現れてはくれなかった。どんな登場の仕方をしてくれたって構わなかったさ。僕は君が壁をすり抜けようが扉をすり抜けようが驚きはしなかったはずだ」

 自分でそう言って、苦笑するしかなかった。だって君は、鍵を持たなくともこの部屋に入れるのだから。
 彼女も少し笑った。

「そう、ね。やろうと思えば出来なくもないわね」
「じゃあどうして!」

 僕の語気は荒くなる。

「どうして来てくれなかった! 僕が……僕が君を待っていたことくらい、分かってただろう! 僕は……」

 ぐっと言葉をこらえようとした。しかし今の僕には言葉のコントロールが効かない。

「僕は君に会いたかった……」

 再び降りた沈黙が、さらに僕を苦しめた。どうして何も言ってくれないんだ、と。

「わからない? 私が君にとって、何なのか」

 彼女の口調は、諭すようにゆっくりだった。その目は厳しく、僕は背筋を凍らせた。

「わからない? 私が今日まで現れなかった理由が」

 わからない? 僕の頭の中で彼女の言葉が反芻される。わからない?
 考えればわかるのか? ……それなら、考える価値はある。

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