あかりがまぶしい
01
 それは、春の陽気の眩し過ぎる頃だった。

『次は頑張れよ』
『できるかどうかじゃない、どうやるかだっていつも言っているだろう』
『お前はダメだ、ダメだ、ダメナヤツダ……』

「くそっ……」

 ガツッッ、竹がしなった。バサンバサンと葉が鳴り、耐えきれなかったものが何十枚と落ちてくる。拳が熱い。
 俺が通う学校の校庭には、ひっそりとした竹林がある。ちょうど日差しが柔らかく遮られて涼しく、常に心地よい風が流れる林。俺は暇があればいつもそこの芝に横たわり、空を眺めて無為な時間を過ごしていた。
 しかし今日みたいな日は、別だ。

(単細胞って俺みたいなことを言うんだろうな……習ったな、「単細胞」。……くだらねえ。)

「すごい量の葉ね」

 林の向こうから声がした。女の声だ。芝を静かに踏み分け現れたのは、制服姿のスラリとした女子生徒だった。
 彼女は白い指を俺に向かって指して、言った。

「紺崎、望道」
「あんた、誰だよ?」

 なぜ、俺の名を?

「四ノ倉、柚希。あなたと同じクラス」

 プリーツのスカートの裾と彼女の黒い毛先が軽やかになびき、林がまたザワッと鳴いた。




「四ノ倉さんよぉ、一人にさせてくれ」

 ゴロリと仰向けになって、俺は無愛想に言った。しかし彼女はなんともなしに俺の横に座りこむ。

「万有引力って知ってる?」

 思わず、苦りきった表情で後ずさりしてしまう。そういう単語は、俺を呼吸困難にさせる。彼女は続ける。

「私は最初、重力=万有引力だと思ってた。私たちをこの地球に縛りつける、非情な力だとね。でも、違ったのよ。万有引力って、誰にでも何にでもある力なの。互いが相手を引きつける、引き寄せ合う力の事」

 彼女は一旦言葉を止め、そこに落ちていた落ち葉を一枚拾い、落としてみせた。

「それが本当なら、あなたにも私にもこの葉にも、万有引力が働いていることになる。質量がある限りね。でも実際は、この葉は私たちに見向きもせずに落ちていった。
 じゃあどうして人間はそんな力を見つけ、名前をつけることができたのでしょう?」

 言葉がやみ、沈黙が降りる。俺はこの問いに答えなくてはならないのか?ろくすっぽ考えずに、口を開く。

「知らねえな」
「私も」

 彼女は確かにそう言った。開いた口が塞がらない。人に聞いておきながら……。

「知らない。だから知りたい。知識ののりしろって素敵。私は、世界の様々なことを知らない。私は、私のことでさえ何も掴めていない。私とは何か、生きるとは何か」

 彼女は滑らかに立ち上がる。俺の目の前を数歩歩み、振り返って俺に手を差し伸べてきた。白くて、綺麗な手のひらだった。

「一緒に探してくれない? この問いの、自分なりの答え」

 俺たちの出会いは、緑色の爽やかな風が運んでくれた。




 四ノ倉柚希は本当に頭のいい奴だ。手には必ず一冊の文庫本を携えていて、ブックカバーで表紙こそ見えないがいつも同じ本であることはくたびれ方で分かっていた。
 彼女は常に自分に問う。その日の授業の課題、担任が話していた道徳的話題など様々に。中でも多かったのが、

「私が私であることって、何だと思う? 私が私らしくあるために、私は特別な努力を以って生きなくちゃいけないの? 生きるってなんだろうって、いつも思うの」

 自分自身に対する問い。とにかくあらゆる視点から一日一つ以上の問題を眺め、ひたすら考えているのだ。
 俺はそんな四ノ倉柚希を尊敬するようになった。今まで見てきたいわゆる?秀才?はこうではなかった。もっとこう、汚い何かが腹にあって(たとえ顔は笑っていても、だ)、どこか見下されているような感じだった。しかしあいつは、自分の疑問をただ真っ直ぐに見つめていくだけだ。何のエゴも穢れもない。
 それは確かであるのに、あいつを尊敬する程に俺の心は締めつけられ、狭くなる。成績、人付き合い、性格、容姿……。他からの評価、認識、イメージが常につきまとい俺を襲ってくる。

『お前はダメだ、ダメだ、ダメナヤツダ……』

 動悸に潰されそうになり、左手首が熱くなる。黒いリストバンドの下にある、赤く、細い刻印が。

(この前は深くやっちまったな……)

 ゴロリと芝に背をつけて、ごうごうと渦巻く不快な思いを鎮めようとする。

「なんなんだろうな、これ」

 あいつだったら、ゆっくり目をつむって奥深い思考に沈んで行くんだろうけれど、俺にそんな器はない。つまり、頭も気力も足りないのだ。

「何か考えてるの?」

 しゃがんで俺の顔を覗き込む少女。他でもない、四ノ倉柚希だ。俺の視界では逆さまだが……。

「何でもねえよ」

 大義そうにして起き上がる。俺自身整理がついていなかったし、こいつにそんな弱み見せたくない。四ノ倉柚希はそんな俺に向かって、あくまで淡々と語り始めた。右手の人差し指をピンと立てるのは、彼女の癖だ。

「分からないことを分からないままにしておくことは、ストレスなの。そしてストレスは、思考を邪魔してくる。そして分かることも分からなくなる。悪循環。人はいつだって答えを求めたがるんだから」

 でも、と彼女は思わせぶりに微笑んで、人差し指を唇につけた。その妖しげな流し目に、ドキリとさせられる。

「答えを作っちゃえば、ストレスじゃない。こうなんだ、こうあるべき、これでいい……。人はそうやって自分を納得させることもできる。それも、答えのうち。自分が納得できて、何よりよく考えたうえのそれなら、悪くないと思う。大事なのは、考えること。ちゃんとした思考のプロセスが踏まれているってこと」

 不思議なことに、彼女を目の前にすると先ほどまでの負の感情がすっかり姿を消してしまった。彼女の、肩の上でパツリと切り揃えられた毛先がまた、そよ風になびいている。
 彼女の全てはいつも、「不思議」のヴェールで優しく包まれていた。

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