柚希の部屋は、想像していた通りよく整頓されてこざっぱりとした部屋だった。しかし圧倒的に本、というか本棚の量が多い。
「本当は、『先生に聞いてきたからもう分かる』んでしょう?」
部屋に一つしかない学習机の椅子に腰かけた柚希が、さっきの俺の言葉尻を拾ってそう言ってきた。
受験勉強も最終段階と言わんばかりに、このところの学校の雰囲気はそれ一色だった。俺の質問で柚希の勉強を邪魔したくはなかったし、最近は質問に答えてくれる教師の言葉も理解出来るようになってきた。だから最近は、不明な点を柚希に聞く頻度も減ってきた。
「ん、まあな」
さて、あんまり長居も出来ないだろう。病み上がりの柚希に無理をさせる訳にもいかない。そういえば、声にいつもの張りがないような気もする。
「久しぶりだから、少し話したくなっちゃって。……ごめんね、引き留めて」
素直な彼女の言葉の、その純粋さだけで胸を焦がされる。
「いや、俺も嬉しい」
その素直さには、俺も正直に応えたい。
しかし俺の言葉に、柚希は苦笑いで返した。
「望道さ、もう少し嬉しそうに言ってくれてもいいのにね」
残念そうな色を隠すことなく、そう呟かれてしまった。
「それ、行きがけに駒浦にも言われたよ」
「やっぱり駒浦くんいたんだ」
「『やっぱり』?」
柚希はベッド側の壁に歩み寄る。……あぁなるほど、カーテンだ。
「玄関はここから見えるの」
カーテンの裏側には、ベッドに陽射しをもたらす小さな窓があった。そこからベッドに乗り出して覗いた景色は確かにさっき俺が歩いてきた道に違いない。こちらが道路側ということか。そういえば居間に柚希が入ってきたとき、『望道だけ?』とか言っていたような気がする。
「せっかく望道の隣にいるんだから、私にしか見られない望道が見たい」
こうして窓から二人して顔を覗かせた。つまり、今二人で柚希のベッドに乗っている。これは……これはまずい。
「嬉しそうに笑う望道の顔を、私はいつも見ていたい……そう思うことって、変なのかな」
俺の背中側から、柚希がふわりと腕を回してきた。高校の制服とは違う、パジャマの薄い生地を通して彼女の軽くて柔らかな身体がそこにある。
「変なんかじゃ、ないだろ」
まずい、まずい、と言葉だけが頭の中で反芻される。
「あんまり思いつめたり無理したりすんな。そんなことで月曜日に会えなくなったりしたら、俺が困る」
冷たかったはずの指先はどうしてか熱いほどになっていて、右肩の辺りにある柚希の頬を触れるのにはなんの問題もなかった。
「今日はゆっくり寝てな。柚希が元気になれば俺、絶対嬉しいから」
そう言ってやると、右肩の上で柚希の首がこくりと頷き、腕がするりとほどかれた。そのまま大人しくベッドに横たわった彼女の、桜色に染まった頬とうるうると弱々しく光る少女漫画のような瞳に危うく吸い込まれそうになる。刹那、夏の旅行の夜を思い出していた。
俺は彼女の柔らかい前髪を撫でて、そのまま顔を近づける。
彼女の唇まであと、一センチという距離だったかもしれない、その時に。
「待って……風邪うつったら大変だよ」
その距離のまま、俺は思わず笑った。
「じゃあ、何のために部屋に連れて来たんだよ」
仕方なく、彼女の白い額に口付けた。まだ、熱を持っているのが伝わる。
「だって、二人きりで話したかったんだもん……」
いじけた掠れ声がまた、俺の中で収まっていた何かを刺激する。刺激されたその何かが、胸の奥から込み上げてきた。……しまった。
どうにかそれをぐっとこらえて、俺は屈めていた上体を起こす。
「じゃあ、またな」
手を挙げて挨拶の代わりにすると、柚希も小さく振り返してくれた。
額との温度差を唇に残して、俺は彼女の部屋を後にする。