窓の飾格子は夕刻の光をはつかに通し、水底めいた秘色のいろに沈むとばりの奥、幾重にも絹や綾羅を重ねてしつらえられた牀褥は、ただよう筏舟にも、湖水にうかぶ小島にも似た。
 そのうえに長々と肢体をのばして、おまえは無為をかこっている。まるで優美な獣が、草の褥でそうするように。

「――退屈そうだな、仲達」

 わざとゆっくり跫音をひびかせながら回廊を渡ってきた。それだというのに、おまえはさも初めて気づいたように、悠然と顔をあげてみせる。

「ええ」

 そういいながら、褥のうえに起き上がろうとする気色さえみせない。肘を枕に、手にはその黒髪を重たげにささえて、横着なしぐさで視線だけを寄越してくるが、もとより、咎めるつもりもなかった。
 室内には、まだ火のともされていない白珪の燭台、碧玉の香炉、そして几帳に拡げられたままの書物のほかは、目もあやに思いを乱すものもない。

「寂しかったか?」

 いいながら、燭台に携えてきた火を入れる。いっけん簡素にみえて、そのじつ豪奢をひそめた壁や天井の装飾が、火影に淡く浮かびあがった。
 白く立った火さきをみながら、おまえは頬から唇を、微笑ったかのように歪める。

「ええ、寂しゅうございました。……日がな此処でこうしておりますと、まるで生きながら奥津城に葬られたような心地がしますもので」

 怨じる声に片頬で笑い、おまえのいる褥に腰をおろす。燭を手許に引き寄せておまえの顔を照らし出した。
 琥珀のいろをしたおまえの瞳は薄いまぶたに半ば覆われ、けれど半ばひらいたまま、枕辺のあたりをただよっている。

「……いたしますか?」

 あたりまえのことを訊くような声音に、思わず苦笑が零れそうになる。
 すべてがそのように片付いたあと、猫を被るのをやめたおまえには、かえって遠慮というものがなくなった。房事をことさらに拒んでみせる真似も、しなくなった。
 燭を置き、おまえの隣へ体をすべりこませる。おまえが足元へ押しやった披帛を引き上げて掛け直してやると、ためらうことなく身体を寄り添わせてくる。今度こそ苦笑がもれた。

「ずいぶんと殊勝なことだ」

「わたくしの、これは、」

 白い首に、白い指を匍わせながらいう。

「――貴方様のものでございますゆえ」

 自嘲めいた声音に反して、自若とした貌がそこにはある。
 そう、おまえは驚くばかりに落ち着いている。喰うか喰われるか、があくまでも自然の営みでしかないことを知り抜いている獣の、それは不遜な落ち着きに似ている。あるいは従順の裏で、眈々とこちらの隙を窺っているのか。
 腕をのばして、指で横鬢をかきあげてやると、おまえの、そこだけ小娘のような、綺麗な耳があらわになる。そのまま指さきをすべらせ、咽もとへふれれば、くすぐったそうに肩をすくめ、首をそらして逃げた。

「なぜ逃げる」

 頭を抱き取ると、おまえの顔へ髪がふたたび乱れかかった。その隙間から、すがめた目が性悪女のように、光る。

「くすぐっとうございます」

「……私のもの、なのだろう?」

「…………」

 言葉が途絶え、吐息だけが聞こえる。そのころにはすでに、おさえがたい火照りが、身体の芯で勢いづいている。
 帯に手をかけると、その性急さにお前は少し驚いたように眉をあげたが、うろたえることもなく、身を任せてきた。
 俯せにさせた白い背に、滝のように黒髪が流れる。懈怠の籠もる香が匂い立ち、身体の内側で音を立てて騒ぐ血へ、さらに物狂おしいような火を注いだ。
 駆られるままに愛撫を降らせると、青白い肌にうっすらと血の色がのぼり、やがて、熱めく。そうして深間や浅瀬のいたるところから熟れた桃のような香が立って、おまえの身体は、はじめの愛想のなさが嘘のように、蜜に漲った果実になる。
 窓のそとではもう月が薄闇を青く塗っていた。褥の舟は音もなく押し寄せた暗い海に沈み、おまえの深い溜息の間に、かすかに燈明の芯の焦げる音がする。

「あ……」

 やがて溜息が浅い吐息に変わり、それにも堪えかねておまえが啼くころ、身体を開いて押し入った。
 おまえの背中が美しい反りを打ち、褥の暮らしで長くなった爪が、獣の前肢のように敷布を掻いて、錦紗の糸目をひきつれさせる。
 放埒な一刻。
 全身の血が沸えて、そして、冷える。微温い湯のようになった血が、爪先までゆるく流れてゆく。押さえつけた肩の下で、おまえの身体がひくりと震えた。笑っているのだ。




   †




 柔らかな黄色い光の紗が竹簡の表面と、それが拡げられた枕辺を覆っている。
 床のなかで夜着のまま寝そべり、墨跡あざやかに写しとられた詞華をおう。絢爛をつくして描き出された天地の息吹が、蕭々と、はた嫋々と、耳の後ろで鳴る。
 横でおまえは所在なげにしながら、同じような格好で、竹簡へ目を落としている。関心なさそうに、けれども礼は失さぬ程度に。おそらくおまえの関心は、詩人の精妙このうえない彫琢の手際よりも、ただ正鵠な理論のみにあるからだろう。
 たわむれに没頭するにも、おまえは明晰な夢を選ぶにちがいない。

「退屈か?」

 いいながら、この言葉を何度口にしただろうか、と考える。おまえの答えもそのたびに決まっている。

「まさか」

 そう答えながらもおまえの目は墨の文字から逸れて、褥に鱗のように散り敷いた光の薄片を数えている。あまつさえ小さい欠伸を漏らして、すっかり退屈しているうえに、隠そうという気も稀薄らしい。
 夜着の袷が乱れるのも気にかけず、大儀そうに髪をかきあげる仕草を見ていると、まるで隣に大きな猫でも寝そべっているようだ。実際、おまえがそのまま美しく怠惰な獣に変じても、そう不思議なことではないように思う――もう一度欠伸をした、おまえの肩から披帛が滑り落ち、光の溜まりに微かな埃が金の粉になって、舞った。
 そう。時おり、おまえに憧れることがある。美しい獣に憧れるように。
 午後の太陽が窓の格子ごしに傾いだ光を降らせるとき、金色の鱗をまいたような床のなかでおまえは、よく光る牙を伏せて、木洩れ日の斑のなかにまどろむ虎のようだ。

「退屈ならば、素直にそう言えばよい」

 拡げていた書を向こうへ押しやる。かたわらの座卓のうえには一組ずつ、酒器の用意がしてある。
 盈たされた酒は、血のように赤い。酒の苦手なおまえのために、口当たりの悪さを蜂蜜でやわらげた葡萄酒。
 昼の日なかから、大の男が肩をならべて、褥に腹這いになったまま異国の美酒を酌み交わす。歌扇の風こそないが、午後のとろりとした光が頬をぬるく撫で、酔興を添えた。
 薄い花片をあわせたようなおまえの唇に、杯の縁がふれる。おまえの白い咽が静かに上下して、杯を離すと、早くも目縁がほんのりと朱く濡れている。
 眺めていると、視線に気づいたおまえが、怪訝そうに顔をむける。その顎をとらえて、酒の香に濡れた唇を、吸った。すかさず、腕におまえのながい爪が立つ。それでも唇を離さずにいたら、ぐっと力をこめられた。

「…………」

 腕へくっきりと浮かんだ爪痕に、舌をふれながらおまえを睨むと、しっとりと羞うように染まった目縁のなかで、瞳だけが冷たい。冷たいくせに、春先の恋猫のように炯っている。

「――どちらかに、なさいませ」

 何が、とは問い返さなかった。素直に杯を捨てると、おまえは可笑しそうに肩を揺らした。不遜を絵に描いたようなおまえの顔の、なんと美しいことか。
 時おり、おまえに憧れることがある。それは美しい獣に憧れる気持ちに似ている。
 まるで驕った女のように持ち上げられたおまえの顎を、もう一度とらえる。そしてわずかにひらいた唇を、また奪った。舌を探りあうような激しい口づけのなか、幾度も互いの口腔の奥から、葡萄の芳香を感じ取る。おまえの爪がゆっくりと、そして今度は柔らかく、肌に食い込んできた。
 視界の端で、杯が転がってゆく。こぼれた雫が白い褥に滲んでゆく。すべてを紫と赤に染め上げる――そして、黄金の蜜の香。





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