「っと、ごめん。そろそろ電車の時間だ・・」
「もうそんな時間?遅くまで悪かったね」
「いや、面白い話が聞けて楽しかったよ」

ゆっくり飲みたいと言っていた男は、結局優生が帰る素振りを見せるまで多弁で、人見知りの優生から笑顔を引き出すほど話術に長けていた。
下品でも無駄におどけたり媚びることもなく、プライベートにみだりに踏み入ることもなく、心地良い会話はここ最近では職場でもプライベートでも久しくなかった穏やかで楽しい時間だった。
長時間酒の席を共にしている気安さからだけではなく、自然と口調が砕けたものになる。
それでも彼が色気を匂わせることはなく、二人は普通の友人のように杯を重ねた。
気がつけばいつもの電車の時間を過ぎていた。

「また、来てもいいかな?」
まだ飲んでいくという彼はスツールに腰掛けたままで、帰り仕度を始めた優生を上目遣いで見つめる。
「いつでも好きな時に。俺の店じゃないからね」
「いじわるだな」
目を合わせた二人は、自然に微笑んだ。
まるで旧友のようなアイコンタクト。
常ならしないそんな仕草に頬が熱くなってしまうのを、優生は酒のせいだと自分に言い聞かせることにした。
「俺はサトシ。君は?」
「お互いに名前も知らないで飲んでたんだね。俺はユウって呼ばれてる」
「ユウ、また飲もう」
『また』
その言葉に優生は曖昧に笑って店を後にした。

次に会う約束などはせず、名前を交換しただけで連絡先は一切交換しなかった。
ゲイタウンは広いエリアではないが、そうそう再会できるとも思えない。
お互いに連絡先を交換しなかったのは、結局そういうことだろう。
サトシとの時間は楽しかったけれど、優れた容姿に長けた話術で人の懐にするりと入り込んでしまうサトシに少しの恐怖を感じてもいた。
彼から悪意を感じたとか、そういうわけではない。
ただ、容姿も洗練された雰囲気も場慣れした立ち振る舞いも、優生が胸の奥に仕舞いこんだ一番触れて欲しくない場所を刺激するから・・・

「賢司・・・」

身体が震えるのは、電車を待つホームの風が冷たいからだけではないだろう。
思わずこぼれた男の名前。
何かを訴えるように収まらない震えをどうすることもできず、手袋をした手でただ自身の身体を抱きしめた。
しばらくそうしていると、電車がホームへと滑り込んできた。
車内は朝のラッシュのように込み合っている。
ぎゅうぎゅうの車内に身体を捻じ込み、人いきれで熱いくらいの車内で揉まれるうち、やっと震えがおさまってきた。

電車を降りて、暗い住宅街を自宅に向かって歩く。
もう身体が震えることはなかった。

けれど──『賢司』──彼の名前はずっと頭の中を渦巻いていた・・・


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