Vampire

*りんさく

 吸血虫をご存知だろうか。
 百年ほど前、西洋の悪魔達によってもたらされた外来種である。
 毎年ハロウィンの時期が来るとあの世に蔓延するこの害虫。生身の人間には何ら影響はないが、あの世の住人が血を吸われた場合は少々厄介なことになる。

「故意に無視したわけでは、ないんだ」
 首筋の、虫に刺された箇所を掻きながらりんねは弁明する。
 釈明の相手は、ドア越しにいる。
 だがいつものように、ドアを開けて部屋に招き入れることはできない。
「とにかく──。今日はもう、帰ってくれないか」
 ──吸血虫の餌食となった者は、自分にとって最も好ましい血の匂いを、嗅ぎ分けることができる。
 どうして本人に告げられようか。
 ドア一枚を隔てた向こう側から、その匂いが、濃厚に香ってくるのだということを。
「六道くん、今日は朝から、私と目も合わせようとしないから」
 ドア越しに聞こえてくる彼女の声。
 怒っている、──ような気がする。
 嫌な予感ほど、よくあたるものである。
「理由を聞かせてもらおうと思ったんだけど、もう、いいよ」
 能面のような彼女の顔が目に浮かぶ──。
 どうしたものか、とりんねは頭を抱えてしまう。
 彼とて行かせたくはないのだ。
 面と向かって話をして、誤解を解きたいと思っている。
 けれど彼女のかぐわしい血の匂いに、つい舌なめずりしてしまう、けだもののような自分が恐ろしい。
「寒くなってきたから、差し入れにココア買ってきたの。──ドアノブに掛けておくから、冷めないうちに飲んでね」
 あたたかい真心、それにそぐわぬそっけない声。
 そんな態度をとらせてしまっているのは、他ならぬ彼自身だ。
 ──このまま帰してしまっていいのか。
 いや、このままではいけない──。
 りんねは歯を食いしばり、意を決して、
 かたくなに閉じたままでいたドアをみずから開けてしまった。
「……六道くん?」
 すぐに、後悔した。
 彼女の顔を見た瞬間──その血の匂いを濃厚に嗅ぎとった瞬間、体の奥底から到底抗いがたい強烈な衝動が湧き上がり、まるで、自分が自分でなくなるような感覚に見舞われる。
 ──血が欲しい。
 その白い肌の下を流れる生温かい血は、きっと格別の味だろう。
 差し入れのココアなどよりも、──その血が欲しい。
 りんねは彼女の肩をつかんで壁に押しつける。突然のことにきょとんと目を丸める桜の白い首筋に、欲望のままに歯を立てようとするが──
「あの、これって、ハロウィンの悪戯か何か?」
 りんねの暴走がぴたりと止まる。
 焦った様子も逃げ出すそぶりも見せず、桜がじっと彼を見上げていた。
 ──俺はいったい、彼女に何をしようとした?
 みるみるうちに、りんねの全身から血の気が引いていく。
 決して吸血虫の呪いを克服できたわけではない。呪いは七日七晩続くというから、六文に薬の使いを頼んだのだ。よだれが出そうな血の匂いに、今もまだ頭がくらくらしている。
 血が欲しい、血を啜りたい。
 だが、これ以上は──。
 思いとどまった時点で、彼はそれを実行に移す胆力を失っていた。
「……すまん、真宮桜!」
 りんねは不屈の理性でくすぶる獣欲をおさえつけ、その場に土下座した。
 ──駄目だ。
 一時の衝動に流されて、自分を見失ってはいけない。
「今のは悪い夢だと思って、忘れてくれ!──頼む!」
 彼の天使は噛まれかけた首筋をおさえて、
「六道くんも、悪戯とか、するんだね」
 本当に血を吸われちゃうかと思った、と無邪気な笑みをこぼして、彼の忍耐強さを試すのだった。



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(2016.10.25) おまけ*ご注意

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