Something New



「本当にりんねでいいのかい?」
 え、と桜が目を見開いた。
 昼下がり、街中の喫茶店。六道鯖人は蝋で封をしてある、結婚式の招待状をもてあそんでいる。今しがた、彼女の手ずから受け取ったばかりのものだ。もとから不本意極まりないという表情をして座っていたりんねが、聞き捨てならずに父親を睨んだ。
「それはどういう意味だ、おやじ」
「お前に聞いてるんじゃない、桜ちゃんに聞いてるのさ」
 椅子に深く腰かけていた鯖人が桜のほうに身を乗り出す。息子と同じ鮮やかな赤の瞳が、桜をとらえた。ふざけているのか真剣なのか、どちらともとれない飄々とした表情。
「ねえ、桜ちゃん、わかってる?りんねと結婚するってことは、このぼくが、きみの義理の父親になるってことなんだよ?」
 桜は目を逸らさなかった。鯖人の目には、逸らさせまいとする不思議な力があった。
「つまり、舅が堕魔死神になるってことだ。きみは、それでもいいの?」
「おとうさんのしてきたことは、よく知ってます。全部分かったうえで、それでも私は、彼と一緒にいたいんです」
 鯖人が微笑んだ。それは決して皮肉めいたものではなく、どこか満足げなようにも見えた。
「でもね、きみが良くても、ご両親はそうはいかないんじゃないかな。きみもご両親も、ぼくやりんねと違って、普通の人間だ。死神界のことをどう説明するんだい?大事な娘を、ご両親は、得体の知れない家族にあずけられるのかな?」
 今にも父親に掴みかかっていきそうなりんねを、かろうじて桜の視線が押しとどめていた。予想だにしなかったことを聞いてくる、鯖人の真意が分かったような気がした。
「死神界のことは、ある程度話してあります。最初は半信半疑だったけど、六道くんがうちに挨拶しに来てくれたし、それからも何度も話をしているから、今は二人とも理解してくれています。私の意思を尊重する、とも言ってくれます。きっと、全部受け入れてくれる覚悟だと思います。──おとうさん」
 鯖人もりんねも、あっけにとられてしまう。桜が、晴れやかな笑顔を浮かべていたのだ。
「安心してください。おとうさんのせいで、この結婚が破談になるようなことは、絶対にありませんから」
 えっ、とりんねが聞き返した。安心してください、とはどういうことだろう?このろくでなしは、むしろ二人の結婚を妨害しようとしていたのでは──?
「六道くん。おとうさんはね」
 なだめるように、りんねの手に自分のそれを重ねて、桜は目を細める。
「きっと、自分のせいで六道くんが不幸になるかもしれない、って心配したんだよ。私のパパとママが、おとうさんのことを知って、結婚を反対するんじゃないかって」
 そうなのか?りんねは到底信じることができずに、父親の顔を見る。
「やだなあ、桜ちゃん。きみはぼくを買いかぶってるよ」
 テーブルに頬杖をついて、にやにやと笑う鯖人。ティースプーンでコーヒーをくるくるとかき混ぜてから、ひと口啜った。苦い、とぼやく。
「言っておくけど、ぼくは誰かのために堕魔死神をやめるつもりはないよ。それがたとえ血を分けた息子や、そのお嫁さん、そのうち生まれる孫のためであってもね」
「おとうさんらしいですね」
「おとうさん、か。そういえば、りんねと結婚するということは、きみはぼくの義理の娘になるんだよね……」
 まじまじと桜の顔を見つめる鯖人。「りんねに怒られるかもしれないけど、子供は女の子がいいなと思っていたんだよ」小首を傾げて浮かべた笑顔は、まるで本物の父親が愛娘に向けるそれのように、甘く優しいものだった。「ぼくに娘ができる。悪くないね」
 その次の展開は、ほんの数瞬に起きたことで、そばにいるりんねには防ぎようもなかった。父親が椅子から立ち上がったかと思うと、長身を屈めて、上を向いた桜の額にキスを落としたのだ。
 さすがに人前、それも現世のカフェの中で、死神の鎌を出すような無謀な真似はしなかった。それでも、手元のアイスコーヒーを父親の顔にぶちまけてやるくらいはしてやらなければ、どうにも腹の虫がおさまらないりんねだった。
「次にやったら、親子の縁を切る!」
「わが息子ながら心が狭いなあ。家族になったんだから、ちょっとくらい交流を深めたっていいじゃないか」
 顔からしずくを滴らせたまま、ぶつぶつ言いながら懐に手を差し入れる鯖人。取り出したものをテーブルの上に置く。こぢんまりとしたそれは、女性好みに包装されてあった。
「桜ちゃんに、ぼくからのプレゼント」
 けれどすこし考え直す素振りを見せて、すぐに言いなおした。
「義理の娘に、お義父さんからの結婚祝いだ」
 りんねの目が戸惑いに揺れる。何を企んでいる?と言わんばかりの疑わしげな表情。鯖人はペーパーナプキンで顔を拭きながら、陽気に言った。
「感動の結婚式だ!きっと、それが必要になると思うよ」
 桜はピンクのリボンをほどいて、包装を開けてみた。中からは、純白のシルクのハンカチが出てきた。手触りのいい、真新しいそのハンカチをそっと広げてみると、まるで空気のように軽かった。四隅には、白い糸で桜の花びらが、右下には"S"の一文字が刺繍されてあった。
 狐につままれたような顔のりんね。その視線の先には、父親の顔があった。いつもの、まがいものの嘘くさい表情ではない。偽りのない笑顔だ。信頼と期待をこめて、りんねのかけがえのない人を見ている。
「結婚、おめでとう。ぼくの息子のことを、どうかよろしく頼むよ」



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