Something Old



Something old, something new,
Something borrowed, something blue,
And a silver sixpence in her shoe.

 花嫁が幸せになれるとっておきのジンクスを教えてくれたのは、花婿の祖母・魂子だった。
 長らく死神界に籍を置く彼女ではあるものの、かつて人間の男と婚姻したこともあって、人間界の結婚式事情に通じているらしい。とはいえ予備知識だけではもの足りず、可愛い孫のジューン・ブライドをより完璧なものにするために、花嫁花婿のみえないところで新たな情報収集に余念がないのだった。
「俺や彼女よりも、おばあちゃんの方がずっと浮かれているように見えるんだが」
 成人を迎えて数年が経ち、ますます大人びた孫に、苦笑混じりにそう指摘される始末。幸福の絶頂にある花婿に、愛のあるこめかみ攻撃を食らわせたことは、まだ記憶に新しい。
 その日も、現世で結婚式の打ち合わせを終えた彼女の孫とそのフィアンセは、その足であの世にある魂子の屋敷を訪ねてきた。じきに大姑になる魂子がことに関心を寄せてくれているので、結婚式について新しく決まったことはすぐに知らせるようにしよう、と言い出したのは桜だ。もともと桜には好印象を持っていた魂子だが、そういう気遣いを向けてくれる彼女のことがいっそう好ましく思えて、近頃はむしろ孫のりんねよりも桜の方を贔屓目に見て可愛がっているふしがある。
 手土産の羊羹に舌つづみを打ちつつ、担当プランナーとの打ち合わせで決まったことを話した。招待客の人数やチャペルの規模、料理についてなど細々としたことも。ひと通り報告が終わると、話題は「サムシング・フォー」に移った。それは、二人が結婚することを報告しにやって来たその日に、魂子が教えた幸せのジンクスだ。結婚式で花嫁が身につけると、永遠に幸せになれるという、四つの縁起物。
「なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの、なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの。そして靴の中には6ペンス銀貨を」
 すっかり耳に馴染んだらしいマザーグースの詩の一節を、桜がそらんじる。
「四つとも用意したいと思って、前から六道くんと話し合っているんです。でも、なかなか思い付かなくて──」
 隣のりんねと顔を見合わせる彼女。そろいもそろって、頭に疑問符を浮かべて首を傾げるさまが、本当に似た者同士といった具合で。湯呑みに隠れた魂子の口元が自然とほころんだ。縁起や験担ぎをくだらないものと見なす男性が多い中、彼女の孫は、存外そういうものを重んじるたちのようだった。──というよりも、花嫁の意思を尊重している、と言うほうが正しいのかもしれないが。
「これだけは、はっきりさせておきたいんだが」
 りんねはすこしこそばゆそうに、けれど言わずにはられないように、肩が触れるほどそばにいる桜の目を見つめて言った。
「『サムシング・フォー』があってもなくても、俺がお前を幸せにするために、努力することに変わりはない。お前の幸せを、自分以外の何かに託すつもりもない。それでも、桜が揃えたいというのなら──俺にはとくに異存はない」
 桜、と呼ぶときにだけ一瞬、彼の目がふわりと泳いだ。ずっと「真宮桜」と呼んでいたせいで、結婚式をひかえた今になってもまだ、名前呼びが板につかないらしい。
「うん。わかってるよ」
 くすくす、嬉しそうに笑いながら彼の肩に頭をあずける彼女。「今も十分幸せだよ。ありがとう、六道くん」
 初心な花婿は耳たぶまで赤く染まっている。おかえしに花嫁の華奢な肩を抱こうにも、その考えだけでもう照れてしまうのだろう、肩のそばでぷるぷると震える手を、所在なげに浮かすことしかできずにいた。
 すっかり存在を忘れられた魂子は、湯呑みを置いてそっと立ち上がった。りんねの肩にもたれて目を閉じている桜は気付いていないが、りんねはのぼせ上がったような赤い目のまま、音を立てずにそっと居間を出ていく祖母を見送った。
 しばらくしてから、魂子は大きな化粧箱を手に戻ってきた。蔵の奥の方から出してきたのだという。
「桜ちゃん、これ、ちょっとつけてみない?」
 手招きされて、桜は魂子の隣に座った。少し埃をかぶった化粧箱の蓋が開けられると、なかには純白のウエディングベールが畳んでしまってあった。
「わあ、きれい……」
 思わず見とれてしまう桜。魂子が箱から出したそれを広げると、表面に縫い止められた小さなパールがなめらかに輝いた。
「おじいちゃんとの結婚式は、洋装だったのよ。私がねだったら、あの人ったら二つ返事で『いいよ』って言ってくれてね。これをつけるのが待ち遠しくて、式の日を指折り数えたものだわ。ああ、まるでつい昨日のことのように憶えているのに、もう五十年以上も前のことなのよねえ──」
 魂子は目元を和らげ、いとおしげにそっとベールを撫でている。染みもほつれも折り目すらもなく、半世紀ものあいだ大事にしまってあったそのベールは、年月の経過をまるで感じさせない真新しさだった。持ち主に促されて、桜がそれをつけてみると、誂えたかのようにぴったりだった。彼女が首を傾けるたびに、軽やかなベールは風もないのに、空気をはらんでふわりと揺れた。気まぐれなすそが、彼女の背中に触れたり、離れたりした。
「ベールって、こんなに軽いんですね。つけてる感じがしないです。ねえ、六道くん」
 ベールで隠れた、喜びと期待に溢れるその顔が、りんねの方を向く。「魂子さんに、借りちゃった。どうかな?」
「ああ。その、すごくよく似合ってる」
「本当?うれしいなあ」
 輝くような笑顔。キューピッドの矢に心を射抜かれるのは、例えばこんな瞬間かもしれない。目の前にいるのは空気の妖精か、あるいは羽根をしまった天使だろうか?惚け顔の彼はぼうっと目を細めて見とれている。彼女が自分の花嫁になる、その実感に酔いしれてしまう。
 すっかり骨抜きな孫が面白くて、袖を口元にあてて、魂子はふふ、と笑った。
「これはおじいちゃんと私の思い出の品。五十年前のウエディングベールよ。サムシング・オールド、なにかひとつ古いものは、これでどうかしら?」
 桜はこぼれおちそうなほど目を見開いた。
「いいんですか?こんなに大切なものを、お借りしてしても」
「もちろんよ。可愛い孫のお嫁さんに使ってもらえるなら、本望だわ。桜ちゃんはもう私の孫娘も同然だもの、遠慮なんていらないのよ。ただ、これをあなたに貸すのはいいんだけど、ひとつ気がかりなことがあってね──」
 背後のりんねを振り返った魂子が、茶目っ気たっぷりの笑顔で言い放つ。
「りんね、いつまで桜ちゃんに見とれてるの?」
 はっと我にかえり、桜と目が合う前に、視線を泳がせるりんね。今の今まで、魂を抜かれたように見とれていたくせに。ごまかそうとしても遅い。
「その調子じゃ、誓いのキスでベールをうまく扱えないんじゃないかと心配だわ。花婿がしゃきっと決めてくれないと、せっかくの装いも台無しになってしまうでしょう。桜ちゃんに恥をかかせないように、今のうちから、キスの練習でもしておきなさいね?」
「なっ──何を言うんだ、おばあちゃん」
 あわてふためくりんね。うっかり「禁句」を発してしまったことに気付いていないらしい。変わらず温和な笑みを浮かべている魂子だが、その口角がぴくり、と不穏に引きつったのを桜は見逃さなかった。
「おばあちゃんに心配されなくても、キ、キスくらい、俺にだってできる」
 桜に恥を、と言われたことが悔しくて、大見得きってみせる彼。
 その発言の信憑性はともかくとして、不運なことにまたも「禁句」を口にしてしまったのだが。花嫁とのキスに頭がいっぱいの花婿は、それどころではないのだった。
 

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