捧げもの | ナノ

■ 人生最良の日


 ――あれはいずこの海であったか。
 あまり記憶力がよろしくない私の頭では、残念ながらもう思い出せないが、とにかく。
 私はあの日、鬼を拾ったのだ。

 蒼い瞳をしたその白銀の鬼は、私が声をかけるまで、砂浜に呆然と座り込んでいた。
「もしもし?そこの人、どこかお加減でも悪いんですか?」
「あ?いや……、別にそういうわけじゃねェよ」
「そうですか。ずいぶん青い顔をなさっていたので」
「……なあ、アンタ」
「はい?」
「此処は……、何処なんだ?」
「……え、もしかして迷子?」
 迷い子となったその鬼は、自らを西海の鬼、長曽我部元親だと名乗った。
 ご冗談を、と笑い飛ばすには、あまりにも鬼の瞳が悲しそうであったから。困惑した私は、とりあえず詳しい話を訊く為に、彼を車へと案内した。
「すげェからくりだな!こりゃアンタのモンか?」
「ああ、はい。からくりじゃなくて車と言います」
「くるま、車か。こんなすげぇモン持ってるなんざ、アンタ、どっかの姫さんなのか?」
「姫!?まさか。今時車なんか珍しくないですよ。地方都市在住の人間はみんな持ってます」
「……そう、なのか。やっぱり此処は、俺が居た場所とは全く違う世みてェだな」
「……」
「すまねェ。アンタと一緒にいると、とんでもない迷惑をかけちまいそうだ。悪いが、俺はここで……」
 表で笑い、心の底で泣く鬼を、誰が放っておけようか。
 気づけば私は、去り行く彼のたくましい腕を掴み、言っていたのだ。「私の家に来ませんか」と。

 誘拐犯同然に、彼をさらったあの日から、幾年月の日々が過ぎた。
 そして私は、決して知り得なかったであろう、様々な事を知ることができた。
 鬼は、そのたくましい体躯に似合わず、繊細な心の持ち主なのだということを知った。
 からくりを目にするたび、表情を輝かせる鬼は、存外可愛らしいものであると知った。
 隠された鬼の瞳が、美しいものであると知った。
 そしてなにより。――鬼は、人であると知った。

「今日も1日お疲れさま、元親」
「おう。……いや、ゆきののほうが疲れてんだろ。仕事もして家事もして、苦労かけちまってすまねェな」
「それは言わないお約束、ってね」
「ったく……無理はすんなよ?」
「元親が、毎日こうやって隣にいてくれれば大丈夫。どんなに疲れてても、すぐ癒されちゃうから」
「……そうかよ」
 広いベッドに横たわって、彼の腕に抱かれながら、微睡む時間がなによりも幸せであると、知ったのはいつからだろうか。
 世話になるばかりは嫌だ、と。私の家に来てすぐに、テレビで“ヒモ”という単語を覚えた元親は、私の友人が経営するカフェで働くようになった。
 現代の服に身を包み、仕事をこなし。毎日新鮮な驚きに囲まれながら、日々を一生懸命に生きる彼に、どんどん惹かれていったのは、きっと必然だったのだろう。
 ずっと、こんな日が続けばいいのに。彼のぬくもりを感じながら、眠りに落ちる直前に願うのは、いつもそればかりで。

「元親、買い物行くよー!なんか欲しい物あるんでしょ?」
「おう!ようやく金も貯まったからな」
「ふーん?また電化製品?あんまり大きいのはナシだよ、置くとこないから」
「わーってるよ。小さいモンだから安心しろって!」
「ならいいけど」
 珍しく、買い物に連れて行ってくれ、と元親にせがまれて、郊外のショッピングモールにやってきた。然し、彼は私を買い物に連れ回す気はないらしく、「ここからは別行動な!」と宣言されてから1時間。
 歩き回るのも疲れたので、1階のフードコートにでも行こうと多くの人が行き交う2階の広場を横切っていると。
「わ……っ!」
「あっ!ご、ごめんなさい……」
「大丈夫?ごめんね、少しボーッとしてて」
「ううん。わたしが走っちゃった、から」
「ゆずか!」
 小学生くらいだろうか?背の低い女の子が私の足にぶつかってきたので、思わずその身体を受け止めた。
 しょんぼり、と肩を落とす女の子の頭を撫でていれば、後ろからやってきたのは、慌てた様子の強面の男性。
 うちの元親もある意味強面ではあるが、彼もまた素晴らしい強面具合だな、と、私が不躾な視線を向けていると。
「すまねえな。ゆずか、ちゃんと謝ったのか?」
「うん。ごめんなさい、お姉さん」
「ああ、いえ、大した衝撃ではありませんからお気になさらず。お父さん、あまり叱らないであげて下さいね」
「おと……っ!?」
「ゆずかちゃん、かっこいいお父さんでいいねー」
「……うん。わたしも、小十郎お父さんだいすきなの」
「な……っ!」
「そっかそっか。じゃあお姉さんはもう行くね。今度は走らないように気をつけてね」
「うん、ありがとう」
 ばいばい、と手を振れば、同じように振り返してくれる。やはり子供は可愛い。仏頂面のお父さんからあんな可愛い子が産まれるのだから、強面の元親と私の子供も……。
「ま、心配いらない、か。元親は元姫若子だもんね」
 どんな子でも、きっと可愛くなるはずだ。

「子供が欲しい」
「ぶはっ!い、いきなり何言い出してんだよ!」
「さっきすっごい可愛い女の子に会ってね。お父さんはや〇ざか!ってくらい怖かったんだけど」
「……で?」
「それ見てたらね、私と元親の子供も可愛いだろうなぁって」
 あれからすぐに合流した私たちは、フードコートで休憩することに。先程の出来事を元親に報告すれば、彼は顔を真っ赤に染めた。
「お前な、それより先にすることがあんだろうが」
「?なにかあったっけ?」
「……そうだよな、ゆきのはそういう奴だったな」
 はあ、と諦めたようにため息を吐いた彼は、ほんの少し躊躇ってから。
「あの、よ」
「うんうん」
「……結婚、してくれねェか」
 そう、意を決したように言った元親は、胸元のポケットから小さな箱を取り出して、ぱかり、と開く。
「紙には記せねェだろうが……、この指輪に誓うぜ。長曽我部元親は、一生ゆきのと共に生きる、ってな」
「元親……っ!」
「給料の三ヶ月分だ。受け取ってくれねェか」
 婚約指輪をすっ飛ばして、いきなり結婚指輪を持ってくるところが元親らしくて。輝く指輪を見ながら、私は目に涙を浮かべて笑った。
「いいの?私なんかで」
「ゆきの以上に良い女なんかいねェよ。お前は俺の……鬼の宝だ」
「じゃあ、誰かに盗られないように一生護ってもらわないとね」
「おう、任せとけ」
 にっ、と豪快に笑う元親が、私の手を取る。
 ゴーンゴーン、と時を告げるショッピングモールの鐘が、まるで教会の鐘のように聞こえた。

 鬼も誰かを愛する人の子だと知った私は、その“人”の嫁になった。そして私は、最も重要なことを知るのだ。
 こんなにも、貴方が愛しい、ということを。

人生最良の日

※未開拓 いく様に捧げます。心からの感謝を!


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