ゆめのあとさき | ナノ


 47


 ひとつ、訊ねたい事がある。
 そう言った毛利さんが突き出した指先には、ストラップの紐が引っかかっていて。ゆらゆらと、私の携帯電話が頼りなげに揺れていた。
「この箱はなんぞ」
「それは、携帯電話というからくりですよ」
 まあ、荷物だ服だのを調べていたであろう毛利さんが、その奇妙な物体を見逃す訳もないわな、と、今のいままで携帯電話はいつもの場所に収められているとばかり考えていた私は、ため息を零す。
「遠く離れた場所にいる人と、話をする為の道具です。残念ながら、この世界では本来の機能は使えませんけど」
 今は、私の日記帳がわりに成り下がっている。そう伝えれば、毛利さんはつまらなそうに指先を振った。
 勢いを付けられた携帯電話が、綺麗な弧を描いて私の膝の上に落ちてくる。精密機械なんだから、あんまり乱暴には扱ってほしくないんだけどなぁ。
「フン、つまらぬ。あの鬼にでもくれてやればよかったか」
「元親さん、こういうの好きなんですか?」
「あれは生粋のからくり馬鹿よ。大して役に立たぬ物を造っては、国を傾かせておる」
「男の子って、機械いじりが好きですもんね」
 そういえば兄さんも、子供の頃はエジソンの真似事をして、目覚まし時計を分解したりしていたものだ。でも結局元に戻せなくて、母に叱られては泣いていたっけ。
 そんな事をふと思い出せば、しばらく目を逸らし続けていた郷愁が胸に広がる。私がいなくなった後の、あの世界は、今どうなっているのだろう。兄さんは、姉さんは、……私が消えて、寂しがってくれているだろうか。
 私を、捜してくれているだろうか。
「貴様、兄弟がいたのか」
「あ、そう聞こえました?いますよ。兄と、姉がひとりずつ」
 ともすれば泣き出してしまいそうな気持ちを振り払い、無理に微笑んで言葉を返す。
「涙を飲み込む程度には、甘やかされて育ったのであろうな」
「そうですね。否定はしません」
 しかし、それをあっさりと見抜いた毛利さんの片眉が跳ねる。馬鹿にしたような言葉ではあるけど、でも、彼は決して故郷を想う私の心を馬鹿にしたりはしていないようだった。
「帰るあては、あるのか」
 ほんの僅か、躊躇うような素振りを見せた毛利さんは、小さな声でそう問うてきた。
 その俊巡する様子はなんというか、珍しいなと思う。珍しい、と言えるほど、長い付き合いをしている訳じゃないけれど。
「日ノ本の異変を解決すれば帰れる……と、私は信じていますよ」
「信じる、だと?確証は」
「ありませんね、残念ながら」
 全ての異変を解決しても、もしかしたら何も起こらないかもしれない。そもそもこの世界に迷い込んだ時点で、“帰れる”なんていう選択肢は初めから消えてしまっているのかもしれないけど。
「幻想でも、すがってないと何も出来なくなるんですよ」
 私は何度だって言おう。
 いくら力を与えられたとて、神の娘として異変を鎮めてほしいとただ周りに望まれただけで、はいそうですかと動ける程、お人好しな人間になったつもりはない。結局私が動くのは、そうしていればいつか元の世界に帰れるのではないか、という打算が働いているからだ。
「亡者も生者もそう変わらぬ。奴らを葬り去った己の手が穢れた血に染まっても尚、貴様は泰平の世に戻りたいと申すか」
「血にまみれて、染みついたその臭いが一生消えなくても。それでも私は、あの世界に帰してくれと願いますよ」
 淀みなく答えれば、毛利さんは呆れた果てたようなため息を吐いて……しかし、これまで見たこともない自然な微笑みを浮かべた。
「神の娘ともあろう者が、結局最後は神に願うのみとは……滑稽なことよ」
「私を喚んだのが神様なら、私を戻すのも神様しかいませんからね」
「願うなど、誰にだって出来る」
 しゅるり。一歩、私に近づいた毛利さんが衣擦れの音を立てる。手を伸ばし、膝の上に置いた私の手首を徐に掴んだ毛利さんは、そのまま強く引寄せた。
「な……っ!」
「求めるならば、己の手で掴み取ってみせよ。……そう。我のようにな」
 ただでさえ目をひく雰囲気をもった人なのに。鼻先が触れてしまいそうな距離で、弥が上にも視線が絡まる。ドキドキと音を立て始める鼓動を、耳の奥で聴きながら、その突然すぎる行動に私は返事をすることも出来ずに固まっていた。
 恐らくは、ほんの数秒。強く掴まれた手首が外され、ふ、と微笑った毛利さんが離れていく。
「明日は早い。……そなたも、今日は早めに休め」
「は、……はい」
 なんとか一言だけ声に出せば、それを聞き届けた毛利さんは、部屋を出て行ったのであった。


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