▼ 43
目を覚ました時、景色は既に暗闇に包まれていた。
どうやら運ばれている内に、眠りに落ちてしまっていたらしい。あれからどれくらいの時間が経過したのだろう。自分の意外と図太い神経が恨めしい。
身を起こし、ふと違和感を感じて障子越しに射し込む月明かりを頼りに自分の身体を確認すると、着ていたはずの異世界の洋服はそこになく、この時代の寝間着に着替えさせられていた。
細かな気配り、と思えば良いのだが、どうも自分が知らぬ間に身体検査をされたようで気分が良くない。
恐らく忍に取り上げられたままであろう八握剣は仕方ないにしても、腰のベルトにくくりつけてあったはずの鏡も、胸元のポケットに入れていたはずの二つの御守りも。なくなっていた事に心細さを覚えた。
「……ここは、どこなんだろう」
耳を澄ませば、微かに聴こえる潮騒の音。海が近いのか、それとも私の幻聴なのか。
障子を開け放って、辺りを確かめれば早いのだろうけど、あの抜かりのない智将様のこと。きっと自分は監視されている。迂闊な行動は首を絞めるだけだと思い直した。
「……?」
聴覚で辺りの様子を探っていた私の耳に、不意に誰かの声が届いた。毛利元就か、と思わず身構えるが、どうやらそれだけではない。
「もう一人……、男の人の声?」
彼よりもずいぶんと低めの、知らない誰かの話し声が聴こえる。彼の仲間だろうかと首を傾げていれば、障子に映る二つの影。
「おい毛利。本当にあの嬢ちゃん目ェ覚ましたのか?」
「フン、我が駒が誤った報告をする訳がなかろう。疑うならば、貴様は部屋に戻るがいい」
「テメェと嬢ちゃんを二人にしておけるかよ」
不穏なやり取りの後に、入るぞ、と短い声がかけられる。それに返事をする間も与えられず、障子が音もなく開いた。
そこにいたのは、全身緑の鎧を脱ぎ捨てた智将と、銀髪の背の高い男性。政宗のように、己の片目を眼帯で覆っている。
私を見つけた、その隠されていないほうの瞳が、優しげに細められた。
「嬢ちゃん、目が覚めたか。気分はどうだ?」
「あ……、問題ない、です」
「そうか。毛利が手荒な真似したみてェで悪かったな」
布団の脇に腰を下ろした男性に、くしゃりと頭を撫でられる。乱暴だけど、どこか私を気遣ってくれているようなその手つきは、離ればなれになった兄を思い出させた。
「俺は長曽我部元親。世に轟く西海の鬼とは、この俺のことよ!」
「その手をどけよ、野蛮な鬼め。貴様ごときを、神の娘が知るわけがあるまい」
「あ?なんだとテメェ」
反対側に座った毛利元就と、長曽我部元親と名乗った彼が睨み合う。
どれだけ仲が悪いのかは知らないけど、人を挟んで喧嘩するのは止めていただきたいんですが。
「五葉、です。神の娘と呼ばれています」
「おう、毛利から聞いたぜ。嬢ちゃん、あの奥州の異変を解決したんだってな?」
小せェ体でよくやるもんだ、と。豪快に笑う長曽我部さんからは、敵意は微塵も感じられなくて。拐われてからざわついていた心が、ようやくほんの僅かに安堵したような気がした。
「……毛利、さん」
「何ぞ。質問を許した覚えはないが」
「ここは何処ですか」
「フン……、まあよいわ。此処は安芸。厳島神社よ」
「厳島神社……」
そういえば厳島神社は、私がいた世界でも毛利元就公が崇敬した神社として知られている。この世界にそれがあっても、おかしくはないか。
「安芸に戻る道中で貴様が眠ってから、丸二日が経っておる」
「二日?そんなに眠っていたんですか、私」
「疲れてたんだろ。何もわからずに連れ去られたんだ、仕方ねェよ」
そう言って長曽我部さんは慰めてくれるけれど、思い起こせば、毛利……さんと会談し、再び布を被せられたところから記憶が途切れている。
どうせ変な薬でも嗅がせたんだろうと、ジト目で彼を睨みつければ、しれっと鼻で笑われた。
「これは、毛利さんが着替えさせてくれたんですか」
「我が慈悲に感謝するがよい」
「嬢ちゃんの服も荷物も、毛利んとこの忍が管理してる。明日にはちゃんと返してやるからよ、安心していいぜ」
「……ありがとう、ございます」
実際に着替えさせてくれたのは女中さんにせよ、わざわざ用意してもらったことには変わりない。渋々ながらも頭を下げれば、毛利さんはほんの少しだけ目を丸くした。
「毛利、詳しい話は明日にしねェか。テメェも、嬢ちゃんが心配で見に来ただけなんだろ?」
「下らぬことを申すでないわ、長曽我部。こやつ如きに配る心など、我は持ち合わせておらぬ」
吐き捨てた毛利さんは、素早く立ち上がると私のほうを見もせずに部屋を出て行った。
「そのわりには、部屋を用意したり着替えさせたり、やけに優しくしてやってんじゃねェか」
「あの……」
「ん、おう、悪いな。俺も戻るから、嬢ちゃんも朝まで休んどけよ」
「はい。ありがとうございます」
「気にすんな。……また明日な」
ひらり、手を振った長曽我部さんが去っていって、また私は一人きりになる。
外から流れ込んできた潮風を鼻孔に感じながら、私は再び身体を横たえたのだった。
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