ゆめのあとさき | ナノ


 23




「(うわ、すっごい露出……)」
 絹のようにサラサラと流れる金髪を風に乗せて、私の目の前に現れた美女は、腕を組み、まるで値踏みするような眼差しでこちらを睨めつけた。
 胸元を大胆に露出させた黒の服。ピッタリとしたその服は、彼女の女性的なラインをこれでもかと強調している。私みたいな貧相な体の持ち主には、とても着られそうにない格好だ。
「なんだ、私の顔に何かついているか?」
「……それ、こっちの台詞なんですけど」
 じろじろと、お互いに不躾な視線を向けていた自覚はあるので、そんなやり取りに多少気まずい空気が漂った。
「……改めて訊くが。お前が、武田に現れたという“刻の旅人”か?」
「どうでしょうね」
「誤魔化すつもりか」
「名も名乗らぬ怪しい人と仲良くすると、あとで怒られてしまいそうなので」
 主に佐助に。困った風に肩をすくめれば、彼女はなるほど、と鼻を鳴らした。
「私の名はかすが。謙信様に仕えている忍だ」
「かすがさんですね、私は五葉。お察しの通り、信玄公のもとでお世話になっている“刻の旅人”です」
「やはり、お前がそうなのか」
 かすが、と名乗ったその女性は、どこか納得したように頷くと組んでいた腕を外した。
 “私”がこの世界に来ることを夢で視たという、上杉謙信公。彼の御方に仕えているならば、素性を明かしても構わないだろう。
「それで、ご用件はなんでしょう?」
「いや。特に用事はない」
「……え?そうなんですか?」
 じゃあ一体なにをしに?とは口に出さずに首を傾げれば、かすがさんは無愛想だった表情をほんのり和らげた。
「武田信玄から、甲斐に旅人が降りたと報せを受けて、謙信様が気にされていたからな。私がかわりに確かめに来た」
「……そうですか」
 確かめに、って。まるで珍獣扱いだな、と私は脱力した。まさかこの先も、こんな風に見物にくる人間が増えるんだろうか。だとしたら、はっきり言って疲れる。
 曇った表情に気づいたのか、かすがさんは急にハッとした顔つきになって、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「……悪かった」
「なにがですか?」
「自分が見世物になったかのように感じたんだろう?」
「……いえ、」
 ああ、この人もか。この人も幸村達みたいに、優しい人なのだな、と思った。
 戦国の世であるはずなのに。乱れた世であるはずなのに。この世界には、人の痛みに敏感な人が多すぎる。
「それで?感想はいかがですか?」
 存外、意地の悪い問いかけになってしまった、と後悔したけれど、かすがさんは気にした様子もなく、ただ眩しそうに笑う。
「そうだな。思ったよりも、綺麗な人間で驚いた」
「嫌味ですか、それ」
「血の臭いもしない。虚勢を張るわりには、その肢体は何処かの姫のようにか弱い。人を傷つける術など、ひとつも知らなそうな瞳をしている。それを綺麗と称してどこが嫌味になるんだ?」
「……綺麗、というのは、かすがさんみたいな人のことを言うんですよ」
 人を傷つける術を知っているということは、己の痛みを知っているということ。だから他人の痛みに敏感になる。傷つけまいと努力する。
「私は、それほど綺麗な人間じゃありません」
 私はただの臆病者なのだ。他人よりも己の痛みを恐れているから、必要以上に関わろうとしないだけ。人に気を配るより、己の心を守っていたい、そんな自分勝手な人間なだけだ。
「異世界の人間というのは、みんなそんな風に卑屈なのか?」
「ひ、卑屈?」
「そうだ。綺麗だと言われたなら、それをただ受け取っておけばいい。なにも否定することないだろう?」
「自分には相応しくない評価だからですよ」
「そんなもの、知り合ったばかりの相手にはわからないだろう」
 だから否定もせず肯定もせず、甘受しておけ、と。そう言いたいのだろうか。
「五葉、お前はもう少し、自信を持ったほうがいいな。この日ノ本を救う、刻の旅人であるなら尚更だ」
「……難しいですね」
 自信というのは、“自らを信ずる”と書いて、自信と読む。それはつまり、自分自身を認め、また自身を好きでいられる人間に生まれるものだと私は解釈していた。そして、残念ながら私は違う。
 好きな部分が全くないわけではないけれど、嫌いな部分のほうが圧倒的に多いのだ。
「多少卑屈なほうが、人間らしくていいのかもしれないがな」
「そう言っていただけると助かりますよ。神の娘、なんて、神秘的な名称も似合わない人間なので」
 刻の旅人くらいが丁度いいのだ、と言えば、かすがさんはおかしそうに笑った。
「神の娘は人であったと、謙信様には報告しておこう」
「そうして下さい。……もう行きますか?」
「ああ。そろそろあの五月蝿い猿も、我慢の限界のようだからな」
「そうですか。……では、また」
「またな、五葉」
 次は謙信様のもとで会おう。
 そんな言葉を残して、かすがさんは緑深い森の奥に姿を消した。

「五葉ちゃん、大丈夫?」
「佐助、ずっと見てたの?」
「まあね。敵意はなかったから、かすががどんな話するのか興味あったし。念のために、旦那には離れてもらったけど」
 なるほど、幸村が突然離れたのにはそんな理由があったのか。
 彼女が姿を消した方向を眺めて、佐助は安堵したように息を吐く。
「知り合い?」
「そ。昔からのね」
 同じ忍同士、そういうこともあるのだろう。ただの知り合いにしては、佐助の瞳に複雑なものが浮かんでいたけど。別に根掘り葉掘り訊くほど、私はデリカシーのない人間じゃない。
「それより五葉ちゃん、駄目でしょ、あんなに簡単に自分の素性喋っちゃ」
「ああ、謙信公の忍だっていうから、大丈夫かと思って」
「嘘だったらどうすんのさ」
「信玄公が酒宴の時に話してた“神の娘”ならともかく、限られた人しか知らない“刻の旅人”って単語を知ってたから。大丈夫かと思ったんだけど」
 まずかったか、と首を傾ければ、佐助は疲れたように微笑った。
「……頭が回る子で安心したよ」
「なにも考えてないわけじゃないよ、私だって」
 信玄公や幸村に世話になっている以上、彼らに悪影響を及ぼすかもしれない行動や言動は控えるべきだし、自分の振る舞いには気を配るのが当然だと思う。
「とりあえず、旦那と合流して帰ろうか。もうじき日も暮れるし」
「そうだね」
 この時代、夜の森ほど危険なものはそうないだろう。先導する佐助の背中を、私は急ぎ足で追いかけた。
「五葉ちゃん、」
「んー?」
「楽しかった?」
「……、うん」
 様々な人が暮らしていた。そこには確かな生活の営みが在った。それを知れただけでも、有意義な時間だったと思う。
「守らなきゃいけないって、思ったよ」
 日ノ本を救え、と。私が遣わされたのなら。真に守るべきは、ああいった毎日を必死に生きる民なのだと。
 そう、覚悟を決めた。


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