ゆめのあとさき | ナノ


 14




 ――その光には、覚えがあった。
 私が、男に襲われたあの時。私たちを包み込んだ、迸る純白の閃光。夢へと誘う、奇妙な引き金。
 ある者は座ったまま、ある者は腰を浮かせ、またある者は素早く武器を構えた姿勢のまま。そのまま彫刻にでもなってしまったかのように、私達は体の自由を奪われ、あの“夢の世界”へ招待されていた。
「なんと面妖な!ここは一体……!?」
「私が視た、夢の世界だと思います、たぶん」
「あの、鏡と刀を渡された時に視たっていう?」
「はい」
「ふむ。どうやら、この鏡に引きずり込まれた様じゃの」
 信玄公の手には、目を焼く閃光の中でも落とすことのなかった、あの鏡が握られている。私が持てば両手に抱えるほどの鏡も、信玄公ならば片手で持てるほどに小さい。
 キラキラと、ヒラヒラと。波のように打つ光を放出しながら、それは信玄公の手の上で輝いている。

「……ようこそ」
 ハッ、と誰かが息を飲む音がした。突如聞こえた女性の声に、全員の視線が一ヶ所に集まる。
 私の数歩右横に気配が生まれ。視線が交錯する一点に立ち現れたのは。紛れもなく、私が視たあの女性だった。
「現と黄泉の境に在りし、我が夢の世界へ。群雄割拠の世を駆ける、勇ましき吾子(あこ)らよ」
 艶やかな墨色の御髪が純白の床を滑る。清廉な神気を纏い、厳かな表情で私達をまじろぎもせず見据える女性は、あの時よりもずっと、崇高な存在に見えた。
「アンタ、何者?俺様たちをこんなところに連れ込んで、どうしようっての?」
「わたしは其方(そなた)らの世界にて、神と崇められし者」
 白妙の衣をひらりと揺らし、自らを神と称する女性は、すっ、とその細い指先で鏡を指した。
「それは神器、辺津鏡(へつかがみ)。我が系譜に連なる娘の力になるようにと、わたしが先の夢にて与えたもの」
「やはり、貴女が……」
「系譜に連なる、とは?御主は五葉が、神の子であると申すか」
 信玄公の突然の問いかけに、私は驚いて目を見開いた。
 そうか。この女性は自らを神と名乗り、そして私が“その系譜に連なる者”だと言った。つまり、私は神を祖先とする家系に産まれた、ということ……?
「ま、まさか!確かに私の家は旧家ですが、神様が祖先だなんて、そんな話聞いたこと……!」
「厳密にいえば、其方は神――わたしの血を継ぐ者ではない。然し、かつてわたしの孫が其方の祖を殺した時。その末路を憐れに思ったわたしは、わたしの孫に流れていた神の力を、半分、祖の子孫に分け与えた」
「つまり、その分け与えられた神様の力によって、五葉ちゃんのご先祖様は“アンタの子供達に近い存在”になった、ってわけ?」
「左様。わたしの血を継いでいなくとも、わたしと同じ力が其方に宿っている事は変わらぬ。我が系譜に連なる者としても、何ら問題はない」
 そんなこと、突然説明されても意味がわからない。
 だからそのつまりは、正しく言えば私は彼女の子孫ではないけど、宿っている力(だいたい力ってなんだ!)が彼女のものと同じだから、彼女は私を自分の子孫として見ていてくれている、ってことか。
「この事実は、其方の家に産まれし長子にしか知らされぬこと。其方が知らぬのも無理はない」
「長子……じゃあ兄は、この話を知って……」
「無論。……本来であれば、かの戦乱の世に送られるのは、其方の兄であった」
 “ごめんなさい”。あの時、ひたすらに私に謝っていた彼女の苦しげな声が、耳の奥で聴こえた気がした。

「武田信玄とは、其方のことであるか」
「いかにも。甲斐の虎、武田信玄とは儂のことよ」
「日ノ本を今まさに覆い尽くさんとする異変を鎮め、闇を祓うことが出来るのは、天照らす光の加護を受けし、この娘のみ」
 彼女の鋭い眼差しを正面から受け止める信玄公は、ただ静かにその言葉の先を待っていた。
「寛容なる虎よ。この、己の身の守り方すら知らぬか弱き娘を、その深い懐に抱えられるか」
「御主に言われずとも、承知しておる。五葉はこの武田の客人よ。なれば、儂が守るのも当然であろう」
「信玄公……」
 睨みあっていた瞳をふっと和らげて、信玄公は私に向かって微笑んだ。それはまるで父親のようで。急激な展開に戸惑っていた私の心を、落ち着けてくれるには十分だった。
「……では」
 彼女は、衣の裾を翻し、優雅な所作で真横に振り返ると、今度は真田さんを射抜いた。
「勇猛なる虎の若子よ。其方はこの、他者を傷つけることを厭う腑抜けた娘のかわりに、その鋭き爪を振るえるか」
「五葉殿は腑抜けなどでは御座らぬ!泰平の世で暮らしていた五葉殿が、人を傷つける事を躊躇われるのは当然のこと。それを腑抜けなどと……いくら神といえど、口を慎まれよ!」
「……」
 真田さんの激昂をうけて、彼女は一瞬、嬉しそうに笑った気がした。それに気付いたのか、まなじりを吊り上げて、怒っていた真田さんの顔が、呆気にとられたような表情に変わる。
 彼女はそんな変化に気をとられることもなく、未だに敵意を隠そうとしない佐助に目を向けた。
「闇に産まれ、闇に生きる影の忍よ。其方は、人を殺めることを知らぬこの娘の為に、血に汚れる覚悟はあるか」
「俺様は、旦那の忍だ。アンタに命令される覚えはない」
 ぴしゃりと問いを撥ね付けた佐助は、それでも。私を一度優しげな眼で見やって、全ての感情を隠して笑顔を浮かべた。
「旦那や大将が五葉ちゃんを守ると決めたんなら、俺様はそれに従うよ。俺様は武田の戦忍、血に濡れるのなんか、今更どうとも思わないんでね」
 綺麗に笑って告げられた答えに満足したのか、彼女は重々しく頷くと、最後のひとりである私に視線を落として、口を開いた――と、思ったその時。

「!……」
 ぐにゃり、と。純白の世界が唐突に歪んだ。ひと匙の黒を無理矢理に混ぜ合わせているかのように、漆黒の亀裂が、みるみるうちに深く世界を浸食していく。
「どうやら、嗅ぎ付けられたようだ」
「え?」
「何事でござるか!?」
「騒ぐでない幸村ぁっ!」
「はッ、申し訳御座いませぬお館様ぁっ!」
 信玄公の大喝が響き渡る。それに応える真田さんのやり取りが続く中でも、黒の浸食は止まることはなかった。

「……大丈夫。わたしは、いつも五葉のそばにいるから」
「え……」
 混乱する彼らの隙をついて、私の耳元に唇を寄せて。まるで内緒話でもするみたいに、彼女はがらりと口調を変えて囁いてきた。
「五葉は、日本における太陽神の名前を知っている?」
「太陽神……?」
 ――まさか。
 さぁっと、血の気が引いていった気がした。
 私が戦国時代に飛ばされる前、心の中で悪態を吐いた太陽神。かの神様は確か……女神ではなかったか。
 そして、辺津鏡。かつて、その神器を自らの孫に授け、天磐船に乗せて下界に送り出した女神とは、その太陽神のことではなかっただろうか。
「貴女は、……天照大御神!?」
「また会いましょう、五葉」
 そう、再会を約束する言葉を彼女が呟いた、刹那。
 私達は再び、あの目を焼くような閃光に包まれてしまったのだった。



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