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 ある戀の話



これはあの事件の真実の欠片である。

欠片というのは私が当事者ではなく、本当の事は本人同士しか判らないからだ。
だけど、私からみた『あの事件』の真実だからだ。
とても重く残酷な事件で関係者には今も深い傷が残ってるのは判ってる。
だから私はこれを公表する気はない。
だけど抱えて生きるにはあまりにも苦しい。
だから書き出してみようと思う。私は話すのが苦手で言葉も多くは知らないけど書こうと思う。
どれくらい正確に書けるかは判らないが書いてみようと思う。



そもそも私が知っている事は多くはない。
被害者の嶋本さんは俺もその指揮下に就いた経験もある隊長格だった。
美形とは言い難いが、明るく努力を惜しまずまた部下の指導にも長けた人だった。
深く物事をみる事が出来る信頼と尊敬を寄せるに値する、とはこの人の事だと思うような人だった。
いつも他人を優先する優しい強さを持った人だった。


加害者の大口は整った顔立ちで仕事の覚えも早く、色々な意味で聡いヤツだった。
自分も同じ隊で仕事した事もあるが受け答えがハッキリしていて扱い易い。
ただ性格にはクセがあり、ある意味難しいヤツだった。飄々とした顔の下で苦悩する奴だった。
だけど人を妬んだりはしない、自分に厳しいヤツだった。


その二人は互いに信頼しあっていた。心の内を語り合っていた。
お互いがどう在りたいか、その為にはどう在るべきか。
酒の席でも本気で語り合う二人を私は眩しくすら思っていた。


それは私が地元に戻って5年になろうかとした春だった。
突然の訃報は思いがけない人の物だった。


『大口さんが嶋本さんを刺し殺したんです』

関空にいる同期経由でかつての同僚で後輩が知らせてきた。

『もう何がなんだか…』
電話の向こうの後輩は泣きながら知っている事を教えてくれた。
通話を終わらせた私はそのまま有給を申請し、現実感に欠けたまま葬儀へと向かった。

大口は「刺したのは自分に間違いない」「殺すつもりで刺した」と言う。
だが、肝心の動機だけは黙秘を続けているらしい。


嶋本さんは泣いてるような顔で花に囲まれ灰となった。
大口は結局、動機を語らぬまま刑務所に収容された。
羽田に向かうモノレールから見えた桜が満開だったのをよく覚えている。



時折、関東に行く用事があると刑務所に面会に行った。
静かに話す大口はまるで別人のようだと思った。
小鉄さん小鉄さんと子供のようにまとわりついてきた男はもういない。

「大羽にも言われたんですけど此処で自殺とかしないですから」
穏やかに物騒な事を口にした。
「…ああ。楽な方には逃げるんじゃねえ」
そう言ってやるしか私は出来なかった。
こいつは生き続ける事に絶望している、と肌で感じていてもだ。
そうやって月日は流れていった。



私はその間に結婚し子供にも恵まれた。
私の妻子の写真と幼い手紙を心待ちにしていると大口の部下だった大羽から聞いた。
鹿児島の家族と絶縁したとも本人から聞いた。うちの子供が独立を始める頃、大口は出所した。



家内と相談し、大口の出所後の身元引受人になった。
大羽も名乗り出たが広島には知人が多いらしくやり直し難いのでは、と家内が言ってくれたのだ。
「あんな事をしたのにまだ心配してくれる人がいるって俺、超幸せ者」
皺の増えた顔で、だけど涙袋をぷっくり膨らませて笑うのは昔のままだった。


大口は函館で海の仕事に就いた。
時折、うちに顔を出し家内に「二人共飲み過ぎですよ」と笑われながら叱られた。
穏やかに季節が替わっていった。


それから二回めの桜が咲く季節がやってきた。


春の嵐が吹き荒れる夜の事だった。


非番の私に警察から連絡が入った。
大口が救急病院に搬送されたとの事だった。
酔客に絡まれていた同僚を庇い、刺されたらしい。
家内の運転で慌てて病院に向かった。


集中治療室のドアの前に佇む影をみて家内は私の腕にすがった。
その影はおびただしい血にまみれた小柄な男だった。
看護師達がすり抜けていくその影は懐かしい人の物だった。

「嶋本隊長…?」

こちらです、と看護師の声に我に返る。
集中治療室の端のベッドに沢山の管が繋がれた大口がいた。
「大口くん!」
家内が震える声で呼び掛ける。目蓋が動いた。
「大口、しっかりしろ!大口!!」
呼び掛けに動かした目は一点を見据えた。

「嶋本さん…」


―ごめんなさい。信じられなくてごめんなさい
―痛い思いさせちゃったよね?ごめんなさい

譫言のように繰り返す。必死に繰り返す先にはあの頃のままの嶋本さんが立っていた。


―ごめんなさい嶋本さんごめんなさい
―疑ってごめんなさい

幼子のように繰り返す大口を泣きながら家内が擦っていた。

―大好きすぎてごめんなさい
―こんな痛い思いさせちゃってごめんなさい


嗚呼、この二人は。
気管から血が溢れでても大口は必死に繰り返す。看護師が走り寄ってきた。尚も必死に繰り返す。


「愛してます、嶋本さん」

伸ばした手を透き通った手が包んだ。血まみれだった嶋本さんは昔の姿になっていた。
手を降ろした大口は目尻から涙を零し、静かに息を引き取った。
穏やかな笑顔で息を引き取った。まるで同じ隊にいた若い頃のような笑顔だった。


* * *

葬儀には私達夫婦と大羽、あと星野という男だけが参列した。
鹿児島の実家に連絡したが縁を切ったと取りつくしまもなかった。
遺骨を受け取り4人で斎場を言葉少なに後にする。
車に向かうと遅い桜の下、影が二つあった。


あの頃のままの嶋本さんと大口が並んでいた。
ニカッと音がしそうな笑顔の隣に涙袋をぷっくりさせ猫のように笑う男。
皆が息を飲むと二人がゆっくり頭を下げた。顔を上げた二人は、晴れやかな笑顔だった。
そのまま姿は空に溶けていった。北海道の遅い桜の花びらが舞っていた。

「やっと仲直りできたんですね…」
きっと家内の言葉が真実なんだろう。最期にしてやっと言葉を伝えたのだろう。
大羽が泣きながら人騒がせな人達じゃ、と呟いた。その背を星野も泣きながら擦っていた。


今もあの事件の真相は判らないままだ。
だが、最期の笑顔が真実でよいのだと思う。あの二人の姿が結末でよいのだと思う。
空に溶け逝く時、二人の手は繋がれていたからだ。
それが桜が私達に見せた幻でもよいのだと思う。




―・―・―



ついったーで背中を押してもらえたネタ第二弾。
Tさま、今の伊勢の筆力では此処までが限界でした。
どなたかのお口に合えば幸いです。



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