盗み聞き
ちっと、早く着きすぎたか。
ケータイの時計を見る。ヤベェな、集合時間を1時間近く勘違いしてたわ。
《時間厳守だよ、フィンクス》
シャルナークからのメールを見直して、舌打ちする。こんなことならどっかで飯でも食ってくりゃ良かった。そうだ、アジトに、なんかカップラーメンでも置いてなかったかな。さすがに侘しいが、仕方ねぇ。
オレは欠伸をしながらアジトに足を踏み入れ……
身構えた。
……誰かいる。
すぐさま“絶”を身にまとう。気を研ぎ澄ますと、アジトの奥から、争っている……ような?かすかなオーラの応酬。最大警戒しながら足を踏み入れた。侵入者か、それとも旅団の誰かがトラブルに巻き込まれているのか?ゆっくり近づく。一番奥か?そっと耳をそばだてる。何かが聞こえた。誰かの声?これは……うめき声?苦しげな、しかし様子がおかしい。
って、こりゃ、違うじゃねぇか!
喘ぎ声だ!
少なからず動揺した。いったい誰だ?こっそり人気のないところへ紛れ込んだカップルか?いやそれはないはず、ここは一般人がノコノコ来れる場所じゃない。だからこそこんなに驚く訳で、ってことはだよ、旅団のだれかか?くそっ、旅団の誰が、誰と、えー、そんなことを!しかし、もしも、もしも本当に団員の誰かなら、こんなプライベートに首を突っ込んだらダメだ。さすがにそこはマズいだろ。でも、もしも、侵入者だったら?
決心した。確かめよう。
そっと扉に近づき、耳をすませる。もちろんしっかりと“絶”は保ったままだ。押し殺した息遣いが聞こえ……それがふと途切れて、何か小さな話し声、そして笑い声が漏れ聞こえた。
「くっ……くっくっ、あはは」
オレは知ってる。
こんな笑い方をする奴を知ってる。
まさか……いや、間違いない。
シャルナーク!!
まさか!あいつがそんな?相手は誰だ?行きずりの娼婦とか?いや、あいつのイメージじゃない、でもあいつだって男だしな。しかし用心深いあいつがそんな……もしかしてアンテナ使ってるとか?それともまさか、まさかとは思うが旅団の誰かか?マチ?シズク?パク?頭をぐるぐるさせていると、追い討ちで相手の声が耳に飛び込む。
「笑いすぎだよ、シャル♥」
……ヒソカ!?
仰天する。腰を抜かしそうになる。
“絶”が一瞬危うくなって、慌てて取り戻した。
な、なんであいつらが……そんな、えーと、そういう……えっと、その、でも、やってたとは限らないぞ。あれだ、ほら、手合わせっぽい軽いバトルをしてたとか(あんな狭い部屋でか?)、オレみたいに早く来すぎちゃって暇つぶしに盗品の中に埋もれてた怪しいビデオでも一緒に見てたとか(それであんなオーラの漏れ方するか?)、そうだ!腕相撲かもな!(ヒソカ相手じゃシャル瞬殺じゃね?)う、うん、ぜってーどれかに違いない。だってまさか、あいつらがそんな……
その時。
ヒソカの声がはっきり聞こえた。
「それじゃ、もう一回……やろっか♠」
突然、空気が変わった。
妙にシンとして、しっとりと湿る……キスの気配。柔らかい衣擦れの音が静寂にダブる。そして軽い息遣い、押し殺したクスクス笑い、そんなのが重なっていって、呼吸が少しずつ荒くなる。どっちがどっちの声なのか、べったり甘くかすれる吐息、ベッドの軋む音、それから……
知らん間にじっとり汗をかいていた。とっとと立ち去りたい、なのに動けなかった。こんなの立ち聞きする趣味はねぇ、しかもあの2人の、なんて……!
「……感度、良いね。そんなにいい?」
「そっちこそ♣シャル」
オーラがじわじわと漏れて、溢れ出す。
隠しきれない熱。鼓動。
「すごい……♥」
「ヒソカも、ね」
高くなる喘ぎ。濃くなる空気。
「最……高」
「何が?シャル、言ってみてよ♦」
「……全部に、決まってる。ヒソカ」
突如、オレはわかっちまった。
気づきたくなかったのに気付いちまった。
こいつら、ぜってー、ワザとだ!!
オレがここに居るのをとっくに知ってて、だからこそ聞こえよがしに名前なんか呼び合っていやがるんだ!畜生、ひでぇ趣味してるぜ!ふざけんな!
だいたい、なんでオレが居るってわかったんだ!いつ?いつからだ?大量の汗をかきながら考える。耳元に、ふと最初のシャルの笑い声が蘇った。まさか、あれは……俺に向かって、笑ったのか!ヒソカも!
ってことはだよ、おそらく、オレがアジトについた最初の最初から……?
「ふざけんな!シャル!ヒソカー!!」
絶叫した。
一瞬おいて扉の向こうで、大爆笑炸裂。
バカにしやがって!まんまとやられた!
と、ガチャっと扉が開いて、長めのシャツを引っ掛けただけのシャルナークが顔を出した。
「おはよ、フィンクス。早すぎだよ」
つと髪をかき上げ、からかうようにオレを見て。
「だから、時間厳守って念押ししたのに」
思わず、ドキッとする。
しどけなく乱れた暗めのブロンド。
緑の目をくっきり際立たせる、ほんのりと紅くなった目元。
どうしようもなく、艶っぽかった。
……こんな、こいつとなら。
ふとそんな事を思ってしまい、頭をぶんぶん振ってそんな考えを無理矢理追い出す。
「オレをからかうのもいい加減にしろ!真っ昼間から、まったく、お前らは……!」
「そっちこそ。折角いいとこだったのに、フィンクスが笑わすから。あーあ、もう一回イキたかったなー」
とんでもないことをサラリと言うもんだから、オレは逆に困らせてやろうと、シャルをねめつけた。
「……で、どっちが上なんだよ」
「え?あそこまで聞いてて、わかんなかったの?」
シャルナークは困るどころか目を丸くして、吹き出した。オレ、立場なし。
「そんなこと聞くなんて、フィンクスも野暮だなあ……♥」
ヒソカもひょいと姿を現す。こっちは全裸のままかよ、ちっとは隠せっての!髪も下ろされてぐしゃぐしゃ、頬のメイクは汗に流れて崩れている。そして流し目に、薄笑い。身体の奥がゾクッとする。な……なんだよ、これ。
「なに固まってるの、フィンクス♠」
「ああそっか。フィンクス、もしかして混ざりたかった?」
「なーんだ、それなら遠慮しないで入って来れば良かったのに♥何なら第3ラウンド、一緒にどう?ボクたち二人がかりで構ってあげるよ?」
並んだ二人がすごく異質に見えた。
何が。何が違うんだ。ひどく戸惑う。
今まで感じたことのない、ねっとりした色気。
それもそうだが、それだけじゃない。
突然、わかった。
二人とも、いつもの数割増しのオーラを撒き散らしていやがるんだ。とてつもない、すごい熱だった。自分で顔が紅潮するのがわかる。やべぇ。今すぐ、この二人から逃げないと……
このままじゃ、喰われる!
そこへ、明るい能天気な声が飛び込んできた。
「あれ、もう3人も来てるー」
「シズク、来るな!」
遅かった。
ずかずかと無警戒に入って来ちまったシズクは部屋を見渡し、ヒソカとシャルに目をとめ、きょとんと首をかしげた。
「なんで2人ともそんな格好なの?」
「ああ、オレたち、今着替えるところなんだ。ごめんね」
シャルがそんなことをしゃあしゃあと言ってのけ、2人は奥の部屋へ引っ込む。今日は凄いオーラだね、あの2人。そうとは知らずにオレの窮地を救ったシズクは、同意を求めるでもなく軽くつぶやき、オレはある意味シズクで良かった、これがもしもマチだったらどんな修羅場だったかとちょっとだけ胸をなで下ろしていると、シャルがふいと顔だけ覗かせ、俺に向かってウインクした。
「別に内緒じゃないから、喋ってもいいよ?フィンクス」
「誰が言うかボケ!さっさと着替えて来い!!」
怒鳴り散らすと、扉の向こうから、また二人の爆笑が聞こえた。シズクが不思議そうにオレを見る。
「内緒じゃないって何のこと?」
「知らねーよ」
「なんでフィンクス、顔真っ赤なの?」
「……知らねーよ」
俺は最大級に苛つきながら、この苛立ちがなんなのかわかりすぎるほどわかって、思わず腕をぐるぐる回したくなる衝動に耐えた。妙に火照っちまった身体を持て余して、部屋をうろうろ歩き回る。
何よりも腹立たしいのは、さっきのシャルとヒソカの眼差し。
あの熱が脳裏にこびりついて離れない。
オレは今度こそ強く頭を振って、“今は”その記憶を振り払う。
次は抗えないだろう。
それが、わかっちまったから。