▼ 05
いきなりなんだ。人が大事なことを言おうとしているのに。驚いて目を瞬いていると、俺の口を覆った張本人はひどく焦ったような表情を浮かべたまま、本当に小さな声で呟いた。
「…やめろよ」
「へ?」
「お前、分かっとらんやろ…っ」
分かってないって、何が。
「何にも知らんくせに、簡単にそんなこと言うな」
唸るような声。怒りを滲ませた、冷たい声色。
もう戻るから、と手早く身支度をしてトイレから出て行こうとするひふみ。
「…おい、ひふみ」
「…」
ガンッと足をドアに付き、その行く手を阻む。
「俺が何も知らんって…?」
「…退けよ」
「お前がそれを言うんか?」
「退けって!」
ぶちり、と脳内で何かが切れるような感覚がした。
「そんなん当たり前やろうが!いっつもいっつもいっつもお前はそう!大事なことはなんも言わんで勝手に一人で全部決めて!そのくせ知ってもらおうとか横着すんなや!」
「うるせえ!退けっち言っとろーが!」
「ふざけんのも大概にしとけよ!?逃げたら許さんっち言ったのはそっちのくせに、お前の方が逃げとるやないか!」
「っ」
ふざけんなふざけんなふざけんな。
ムカつく。苛々する。なんでなんでなんでなんで。
「なぁ、ちゃんと言えって…もう嫌なんやって、お前に置いて行かれるのは」
「…」
「何も言わんで、黙って消えたりすんなよ…」
俺が何でこんなとこまで来たのか、その意味がようやく分かった。
「お前に、ひふみにもう一度会いたくて、俺は…」
お前の隣が一番心地が良い。お前がいないと落ち着かない。この1年、心にぽっかりと穴が空いたような毎日だった。
「お前を追っかけてここまで来たのに、俺のこと拒絶すんなよ!」
今までそれは、ひふみが家族同然に過ごしてきた幼馴染だからだと思っていた。だけど、だけど本当は違う。
「お前に初めて触れられたときも、キスされたときも、本当は嬉しかった…っ!じゃないと、あんなこと、許したりするわけないっ」
ぼろぼろ頬を伝う涙。あれ、俺、いつの間に泣いてるんだ。
「逃げんなよっ!ちゃんと目開けて俺のこと見ろ!ばかひふみっ!」
「っ、瑞貴」
名前を呼ばれた次の瞬間、ぎゅうっと息が詰まりそうなくらいの力で抱きしめられていた。
「うぇ…っ、ふざけんなよぉ」
「分かったから泣くな」
「こんだけ言わねぇと気づかないとか、あほかよお前ぇ…」
「ごめん、ごめんな」
「許さんわぼけ…っ」
みっともねえ、男の癖に泣きじゃくるとか。頭ではそう思うのに、涙は留まることを知らない。止める術さえも分からない。
「ふぐっ、ん、ん」
今までで一番優しい口付けをされる。いつもは冷たいひふみの唇が熱を持っていて、夢中になってそれを求めた。
もっと、もっともっともっと。
このまま窒息しても構わない、とさえ思う。
「ん、んん…っ」
「…瑞貴」
「ぁ、ひふ、み…」
「俺、もうすぐバイト終わりだから」
「…ん」
「だから、俺の家で待ってて」
話をしよう。大事な話を。
耳元で囁かれた言葉に頷くと、もう一度キスが降ってきた。触れるだけの唇。俺はひふみの存在を確かめるように、ぎゅっときつく背中に手を回す。
なぁひふみ、もう、どこにも行くなよ。
ずっと俺のそばにいろよ。
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