シック・ラバー | ナノ


▼ 01

俺にとってあいつは、空気みたいな存在だった。

物心ついたときにはすでに一緒にいて、どうしてとか何でとか、そのことに関していちいち意識したことなんてない。

時々喧嘩もしたけれど、結局他のどんな友人といるよりあいつの隣が一番楽だった。大人になってもそれぞれ家庭を持っても、きっとこんな感じなんだろうなと当たり前のように思っていた。

俺のことを一番理解しているのはあいつだし、あいつのことを一番理解しているのは俺だ。

そう信じて、疑わなかった。…ひふみが、遠く離れた地へ行くまでは。

「俺、志望校変えた」

…何でだよ。俺と同じとこ受験するんじゃなかったのかよ。

「家を出ることになると思う」

…大学生になっても俺はお前のお守り役かって、嫌そうな顔してたじゃん。

「まぁ…受かったらの話やけど」

…受かるよ。だってお前頭いいし。

「ばいばい、瑞貴」

…ばいばいって、何だよ。

別に一生のお別れでもないのに、何でこんなに不安な気持ちになるんだ。遠くに行ったからって会えないわけじゃあるまいし。だってひふみの家はここにある。こいつの帰ってくる場所は、ここだ。

「…ちゃんと帰ってくるんやろ?夏休みとか、お正月とか…」
「は、瑞貴くんは俺がおらんと寂しいってか。きも」
「そんなこと言っとらんし!きもい言うな!」
「余計な心配せんで、お前は自分の学力を心配しとけば」
「うっさいわ!」

何で、何でお前は。大事なことはいつも言わないで、そうやってはぐらかすばっかりで。

本当に遠くに行ってしまった。あんなに近くにいたのに、離れてしまえばそれが最後だった。

ひふみの顔を、思い出の中でしか見られなくなった。夏休みやお正月は、人から聞いて初めてひふみが帰ってきていたことを知った。ひふみが俺に会いに来ることは、この一年間一度だってなかった。

ムカつく。ムカつくムカつくムカつく。

お前にとって俺って何だったんだよ。一緒に過ごした18年間なんて、お前にとってはその程度のものなのかよ。

ふざけんなよ、馬鹿ひふみ。

行くな。行くな行くな行くな。

俺を置いてどっか行くなよ。

このまま終わりになんて、絶対にしてやらねぇからな。精々追いかけてきた俺を見て驚きやがれ。



「…それで、そんな苛々してるの?」
「苛々なんてしてねぇ!」
「してるよ十分…まぁったく何の呼び出しかと思えば」

呆れたような溜息を吐き、慎は店員を呼びつけた。カフェラテ追加で、じゃねえよ。

「だって瑞貴の話長いんだもん」
「…まだ1時間も経ってないし」
「そういう細かいことは言ってないの。延々と一方的に愚痴られてるこっちの身にもなってよ。しかも全部ひふみの話」

正論を突きつけられてうぐぐと押し黙る。慎は普段優しいけど、言いたいことははっきりと言う。それは彼の長所でもあるのだが、今の俺にとっては少し痛い。…優しくしてください。

「アイツが悪いんだ!」
「だからそれは何度も聞いたって」
「何回メールしても返事すらしてこねえし!」

なんなんだあの自己中男。

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