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▼ 03

「ばあちゃん!いいから寝てなって!俺がするから」

朝早くから洗濯をしている祖母を発見し、俺は慌ててそう言った。

「いいよいいよ。折角久しぶりに来たんだから、環はゆっくりしていきな」
「またこの間みたいになったらどうするんだよ。俺、あんな思いするの二度とごめんだよ」
「ごめんね。心配かけて」

祖母はちょっとだけ寂しそうに笑って、洗濯物を干す俺を縁側に座りじっと眺めている。いつも細かに動き回り家事をこなしていた祖母にとって、やることがない状況というのは不安なものなのかもしれない。

――ここに来たのは二日前。祖母が倒れたという連絡を受けてからすぐのことだ。

倒れたといっても病気の類ではなく、家の階段を数段踏み外したというのが事実だったわけだけど、高齢の祖母にとってはただごとではない。幸いなことに骨折にまでは至らなかったものの、足をねん挫してしまったようだった。

「環は早起きだね」
「うん。俺、朝は得意なんだ。だから安心して任せて」
「ありがとう。助かるよ」

少し会わないうちに、祖母の姿が一回り小さくなったような気がして、なんだかどうしようもなくさみしい気持ちになる。

俺は何をしていたんだろう。見たくないものから目を逸らして、逃げて、それで一体何が変わると思っていたんだろう。

「…今日、お昼食べたら巴のところに行ってくる」

決意して口にしたつもりのその一言は、思ったよりもずっと自信なさげな声だった。しっかりしろ、俺。

「そうかい。お母さんもいると思うから、ばあちゃんもついていこうか?」

弟と、弟の入院している病院と、それに付きっきりの母。会うのはいつぶりだろうか。一年はまだ経っていないと思うけれど。

「…一人で行けるよ。それにばあちゃん連れ出したら、俺がじいちゃんに怒られる」

はは、と笑う俺に、祖母はまた寂しそうな笑顔を浮かべた。

「無理しなくていいんだからね」
「平気だよ」

もう十分、俺は逃げたから。



町に一つだけある総合病院は、とにかく人でごった返していた。そのほとんどが老人というところに田舎を感じる。こんなことを言うと誰かに怒られそうだ。誰に?誰かに。

弟の病室は5階。エレベーターを使って上がる。脇に抱えた焼き菓子の詰め合わせは、行きがけにふと思い出して買ったものだった。

部屋の前に立って、ドアをノックする。どうぞ、という子どもの声が中から聞こえた。

「…巴」

できるだけ音を立てないように気を遣いながらドアを開けると、弟はすぐに俺に気がついたらしく、明るい声を出した。

「兄ちゃん!」

ベッドに座っている弟の顔色は良く、俺はとりあえず安堵の息を吐いた。たくさんのチューブにつながれて、寝たきりのままの弟の姿は、常に俺の頭の片隅にあったからだ。

「久しぶり。調子良さそうで、安心した」

脇に置いてあった椅子に腰かける。多分この椅子は、いつも母さんが使っている椅子。

「兄ちゃん、いつこっちに来たの?学校は?」

弟は真っ直ぐに俺を見て、嬉しそうににこにこしていた。矢継ぎ早に質問を畳みかけてくる様子に、こちらも少し笑顔になる。

「学校は少しだけお休みもらったんだ」
「ほんと?じゃあしばらくこっちにいるの?」
「うん。そのつもり。母さんは?」
「お母さんは今、売店に行ってるよ」
「そっか」

俺は巴の頭をくしゃりと撫でた。

「いつもみたいに、俺のことは近所のお兄ちゃんって言わなきゃ駄目だからな」
「うん…でも兄ちゃん」
「いいから」

母さんは、俺のことを覚えていない。父さんの事業が失敗したこととか、離婚したこととか、巴の病気とか、変な宗教に嵌ってしまったこととか――父さんが死んでしまったこととか、いろんなことが立て続けに起こってしまったせいだと思う。俺は別に誰のことも恨んでいない。ただ運が悪かった。それだけのことだ。

だけど、俺のことをわからなくなってしまった母親と向き合うのは、どうしようもなく怖いことだった。

俺は何なんだろう。母さんにとって俺って、何だったんだろう。俺はいらない子?だから忘れてしまえた?答えのない問いを、何度も心の中で繰り返した。

「あら、お客さん?」

ふいに後ろから声がした。慌てて振り返り、頭を下げる。どきりと心臓が音を立てた気がした。…ひるむな。

「お邪魔してます。こんにちは」
「巴のお友達?随分かっこいいお兄ちゃんね」

お母さん、と巴が咎めるような声を出す。

巴、いいんだ。兄ちゃんは、大丈夫。

「あの、これ…良ければ巴くんと召し上がってください」
「まぁ…ありがとう!私ここのマドレーヌ大好きなの」

持ってきた見舞いの品を渡すと、母は存外喜んでくれた。知っている店のものだったらしい。

「折角だから、お一つ食べていきませんか」

お菓子の箱を大事そうに両手に持ち、母は俺に問う。

「でも」
「今紅茶をいれますね」
「…ありがとうございます」
「どうぞおかけになって」

断る理由もない。ただ俺の気持ちの問題だ。言われるがままに再びベッド脇の椅子に腰を下ろした。

「…兄ちゃん…ごめんね、ごめん…」

巴は申し訳なさそうな、というより悲痛ともとれる表情を浮かべていた。まだ幼い弟にこんな顔をさせてしまうなんて、俺は兄として不甲斐ないなと思う。

「どうしてお前が謝るんだよ。俺はなんにも嫌なことなんかされてないのに」
「でも、だって…」
「俺は、巴が元気でいてくれればそれでいいよ」
「…俺のこと、嫌いにならないの?」

え、と驚いて声が出た。

「俺だったら、きっと兄ちゃんのこと嫌いになる。どうして俺だけ仲間はずれにされないといけないのって泣くと思う」
「巴…」
「でも俺、兄ちゃんに嫌われたくない…」
「…嫌わないよ」

嫌うわけ、ない。

羨ましくないと言ったら嘘になる。どうして俺だけ、という気持ちもゼロじゃない。でも、どうしたって嫌いにはなれない。

巴も母さんも、俺の中ではちゃんと「家族」だからだ。

血の繋がりもある。思い出もある。それを全て否定することは、俺にはできない。

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