毒を食らわば皿まで | ナノ


▼ 01

津々見が会社を休んだ。出勤してその事実を知った小山が、珍しいが別にわざわざ気にすることでもない、何か用事でもあるのだろう、などと思っていたところに丁度彼からのメールが届いた。

風邪をひいたこと。出かける気力がないが、家にまともな食料がないこと。住所を教えるから、仕事終わりに買い物をして、自分の家に来てほしいこと。

津々見のメールには普段誤字や脱字など一切ないが、その日届いた文面は平仮名と誤字の入り混じった拙いものになっていた。余程体調が悪いらしい。まともに携帯を扱う余裕がないのだろうと予想していたが。

「いらっしゃい。待ってたよ」
「…風邪は」

夜になり仕事を終えた小山は、初めて津々見のマンションを訪れた。出迎えてくれた津々見は予想に反し、いつもとあまり変わらない様子である。

「風邪はひいてるよ。ちょっとだるい程度だけど」
「メールを読む限りかなり重症だと思ってたんですが」
「心配してくれてたの?嬉しいなぁ」

答えになっていない。

「まぁ良いですけど…」

要するにわざと自分をここに来させるように仕向けたということだろう。心配して損をした。

「いろいろ買い物してきたんで、食べたいものがあればつくりますよ」
「料理できるんだ」
「一応人並みには」

大学進学のときに家を出て以来一人暮らしを続けているので、多少の料理スキルくらいはある。

「おかゆで良いですか?」
「うん。ありがとう。キッチンは勝手に使ってくれて構わないから」
「はい」

提げていたスーパーの袋をキッチンへ置き、料理の準備をする小山の後ろを何故か津々見がついてきた。振り返って尋ねてみる。

「なんです」
「邪魔するわけじゃないよ。ただ見たいだけ」
「寝てください」
「平気だよ。熱も大分下がったし」
「完全に治ったわけじゃないでしょう。大人なんだから、自分の体調管理くらいしっかりしてください」

まだ少し赤い彼の頬を見ながら、ふとこの間の温泉旅行での一件を思い出しておかしくなってしまった。意外と抜けているというか、隙があるというか。平生完璧な上司のこんな姿を見られるのは自分だけだ、という優越感にも似た気持ちが湧き上がってくる。

「…なに笑ってるの?」
「…笑ってません」
「嘘。また温泉旅行のこと思い出してたでしょう」

堪えていたつもりだったのに、どうやら隠しきれていなかったらしい。慌てて口元を引き締めると、津々見がその唇の上を指でなぞった。突然のことに驚いて全身が緊張する。

「まぁ、笑ってくれるならなんでもいいけど」
「…」
「最近ようやく俺の前で笑ってくれるようになったね。嬉しいよ」

そういうことをサラッと言えてしまうのが何だか腹立たしい。そのたった一言がどれだけ自分を揺さぶっているのか、きっと彼は知らないのだ。

「もういいから寝てください」
「はいはい」

このままでは料理どころではなくなってしまう、と津々見の背中を押しキッチンから追い出した。楽しそうな笑みを浮かべているところを見る限り、やはりこちらをからかっているだけだったようだ。

――なんだかこんなやりとりにもすっかり慣れてしまったな。

一人になったキッチンで作業しながら、小山はふとそんなことを思う。

ほんの少し前の自分が、今の自分と津々見を見たらどんな反応をするだろう。ただの上司と部下でしかなかった自分達の関係が、短期間でこれほどなまでに劇的に変化するなどきっと誰も予想できなかったに違いない。

津々見が小山にとって「ただの出来る上司」だったときのことが、遠い昔のことに感じられた。今自分は、それくらい密度の濃い、いや濃すぎると言っても良い日々を過ごしている。

そして何より驚くことに、それがすごくすごく――楽しいのだ。

津々見といると嬉しい。津々見といるとドキドキする。

我ながら青臭くてむず痒くなるが、今この胸にある感情を素直に受け止めることができるのは、津々見が相手だからだ。彼がきちんと真摯に自分と向き合ってくれる人だからだ。

忘れたわけではない。今まで自分がしてきたことは全て覚えているし、この先忘れるなんてことがあってはならないと理解もしている。

欲に浸かった汚い部分も、恋人を裏切ったことも、それをさらに塗りつぶそうといろんな人を――自分を好きだと言ってくれた上原も――巻き込んだことも、なかったことになんてしない。全部抱えて持って行く。

そうして前に進もうとするとき、隣にいるのは津々見がいい。

そんな風に思えるようになった自分を、小山は素直に嬉しく感じている。

ただ一つだけ問題があるとすれば。

「…」

この気持ちを、一体どのタイミングで、どんな言葉を使って津々見に伝えればいいのか、ということである。

社員旅行のときにはほんの少しだけ自分の気持ちを口にすることができた。だがそれは日常空間とは離れた特別な雰囲気に背中を押されたというか、砕けた表現の仕方をすれば「その場のノリ」的な側面があったことを否めない。

上原からの告白とそれによる津々見の嫉妬も相まって、なんというかつまるところ「盛り上がって」いたのである。

いつもの日々が戻ってきた今、冷静な自分の口からあんな風にするすると言葉が出てくるとは思えない。

駄目だ。きちんと言わなければ。こちらから手を伸ばさなければ。いつまでも彼を待たせ続けることはできない。ほんの少し、そのほんの少しがきっと大きな一歩になる。

――もしかすると、今がチャンスなのでは?

ふいに自らが置かれている状況を認識して、小山はぴたりと作業する手を止めた。

部屋には小山と津々見の二人きりで、会社のように誰かの目を気にする必要はない。今日このときを逃したら、また新たに二人で会う機会を設けなければならなくなるだろう。大事な話があるから、なんて自分からうまく切り出せる自信は当然ない。

――よし、言う。言う。言わなきゃだめだ。

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