▼ 09
――頭も身体も融けだしてしまいそうだ、と思う。
家族風呂と称するだけあって、男二人で入ってもそこそこスペースには余裕があった。檜で造られた浴槽の縁に腰掛ける津々見の足元に、小山はお湯に浸かったまま跪いている。
「ん、ん…っふ、んぐ」
口の中を満たす熱い塊。懸命にそれを愛撫する小山の髪を、長い指が優しく梳いた。
「…初めてだね。小山から何かしてくれるの」
初めても何も、そもそもフェラチオ自体経験したことがない。一旦口を離してそう言うと、津々見は合点がいったように頷く。
「あぁ、だから。慣れてないなって思った」
「…気持ちよく、ないですか」
「見て分かんない?」
「…」
素直に手の中の昂ったモノに眼を向ける小山を見て津々見が笑った。
「そんなに熱心に観察しなくても」
「だって」
「嬉しいよ。小山の初めてを俺がもらったってことだろ?」
舐めたい、と言い出したのは自分の方だ。セックスに関しては今まで誰に対しても受け身だった小山が、相手にも気持ちよくなってほしいと行動を起こしたのは確かに津々見が初めてである。
だが初めてという点において言うなれば、もうとっくにいくつも奪われている。数えだすとキリがないほどに。
「すごく気持ちいいから、安心して」
うっとりとした瞳で見下ろされた。その視線がさらに続きを促していることを感じ取った小山は、再び口を開け屹立したペニスに舌を這わす。
「ん、ん…ッ、んん」
快感を与えているのは自分のはずなのに、丸みを帯びた切っ先が頬の内側を抉るのがたまらなく気持ちよくて、鼻にかかった声が漏れた。
「んぐ、ぅ…ん、は…」
お湯とは違うぬめった液体が口内に流れ込んできて、ゾクゾクする。拙い技術でも感じてくれていることが嬉しい。先端を優しく吸い上げると、津々見の唇から小さく息が零れた。
「あぁ、それ…すごくいい」
咥えきれない部分は指を使って刺激しながら、吸っては舐め、吸っては舐めを何度も何度も繰り返す。もうどこもかしこもぐちゃぐちゃだ。自分のモノは見ていないが、多分お湯の中でとろとろとはしたない液を垂らし続けているのだろう。
「…夢中だね」
ちゅぷ、ちゅぷ、と音を立てて一心にそれを頬張る小山の頭を、津々見の手がまた撫でる。柔らかな手つきが心地良い。
「んぁ、ン、んん、ん、ん…っふぁ」
こんなに大きくてやらしいものが、いつも自分のあの場所を拡げて、擦って、何度も出し入れされている。そう思うと後ろの孔が疼いた。
この一ヶ月、抱かれなくても平気だったのに。今はもう、耐えられないほどに何もかもが渇ききっている。一度自覚した途端に際限なく欲しくなって、それ以外のことを考える余裕すらない。
「…小山」
「ぁ、ん…っ、ん、ふぅ、んん」
掠れた声で名前を呼ばれ、小山は咥えたまま津々見を見上げた。
「…っ」
――そんな顔、初めて見る。
自分を見つめる彼の表情に、ドクンと心臓が脈打った。
熱を孕んだ眼差しは甘く、快感のせいか緩んだ口元からは荒い息が漏れ出している。
平生飄々として絶対に腹の内を見せない津々見が、自分だけに向ける顔。全身で求められているような気がして、胸が苦しくなった。
もっともっともっと。もっと見て欲しい。もっと自分を求めて欲しい。頭が沸騰したみたいに熱くて、くらくらする。
「津々見さ…」
だが突然、津々見は湯船の中に入ってきた。ちゃぷんと水面が揺れる。
「あの…」
そのまま身体を預けるようにもたれかかられた。突然どうしたのだろう。困惑する小山の耳元で、津々見が言う。
「ごめん」
「え…」
「気持ち悪い…」
「えっ」
逆上せた、と呟く声に慌てて身体を引き離し覗き込む。確かに改めてこうして近くで見ると顔色が悪い。どうやら息が荒かったのは快感によるものというよりは、湯あたりによるところが大きかったらしい。
「と、とりあえず出ましょう」
「くらくらする…」
「大丈夫ですか。立てますか」
「ん…」
――無理もない。温泉の熱気をたっぷり含んだ空間で、あんなことをしていればそりゃあ逆上せもするだろう。
「ごめん…なんでだろ…このためにお酒もほとんど飲まなかったのに…」
ぐったりと小山に介抱されながら謝る津々見を見て、小山は何だかおかしくなってしまった。
だから宴会のときに少ししかお酌させてくれなかったのかとか、津々見の中では家族風呂で自分とそういうことをするのは決定事項だったのかとか、だとすると旅行という行事に期待していたのは津々見も一緒だったのかとか、考えれば考えるほど笑いがとまらない。
「…小山?笑ってるの…?」
「ふ、ふふ…っ、すいません、気にしないで」
「あぁぁもうやだ…気にするよ…俺のこと情けないって笑ってるんでしょ…」
「違いますよ」
津々見はきっと不本意だろうけれど、何だか心があたたかい。嬉しい、というのがしっくりくるだろうか。
初めて見る彼の一面は思っていたよりもずっと普通で、「非の打ち所の無い完璧な人」という今までのイメージを覆された。
この人にも、隙がある。そしてその隙を見られるのは、多分、今のところは自分だけ。
「折角小山が俺に抱かれたいって言ってくれたのに…」
「いいから寝てください」
「はー…据え膳食わぬは男の恥…」
「寝てください」
旅行に行く前よりも、いや、数時間前よりもずっと距離が近くなった。ちゃんと自分の気持ちを言えたし、津々見もそれに応えてくれた。それが何よりも嬉しかった。
「おやすみなさい」
「ん…」
結局そのまま眠ってしまった津々見を放っておくわけにもいかず、小山は津々見の部屋で寝ることになったのだった。
――もう少し。もう少し手を伸ばせたら、きっと彼に触れられる。
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