毒を食らわば皿まで | ナノ


▼ 01

社内掲示板に貼り出された一枚の紙を見て、小山は憂鬱な気持ちになった。社員旅行のお知らせだ。

毎年のことではあるが、人付き合いがあまり得意ではない小山にとっては面倒な行事である。かといって行かないという選択肢をとるのも気が引ける。別に社内で孤立したいわけではないのだ。

今年は温泉がメインらしい。去年は味覚狩りと称したバスツアーだったが、バス酔いをする小山にとってはあまり楽しいものとは言えなかったのでほっとする。温泉なら少しはゆっくりできそうだ。

「小山」

張り紙をじっと読み込んでいるところに、後ろから声をかけられた。ドキリと心臓が音を立てる。津々見の声だ。

「はい」
「何見てるの」
「社員旅行のお知らせ…これ、貼ってあったので」
「あぁ。今年は温泉だってね。去年はアレだったから少しはましだといいけど」

どうやら津々見も去年のツアーはあまり楽しめなかったようだ。

「あ、そうだ。もうお昼って食べた?」
「まだですけど」
「時間あるなら一緒に食べよう」

小さく頷くと、津々見は嬉しそうに口元を緩ませた。仕事をしているときとは明らかに違う柔らかな笑みに、どう反応していいか分からなくなる。

――俺と恋愛して。

その申し出を受け入れてから、一ヶ月。

津々見は宣言通りきっぱりと小山を抱くことをやめた。ついこの間まで馬鹿みたいに身体を重ねていたことが嘘みたいだ。

その代わり、スキンシップが増えたような気もする。今しがた頭を撫でられたこともそうだし、時折軽く頬や額にキスをされることもある。

「何が食べたい?」
「か…、津々見さんの食べたいものでいいです」

課長、と言いかけて名前を呼び直すと、それでいいとばかりに頭を撫でられた。津々見は勤務中でないときに役職で呼ばれるのを嫌がる。

「じゃあ牛丼かな」
「…津々見さんって、牛丼似合いませんよね」
「そう?好きだけどなぁ、牛丼。っていうかそれを言うと小山の方が似合わなくない?」
「そうですか」
「うん。そばって顔」

どんな顔だ。確かにそばは好きだが。

「ジャケット取ってくるから、ここで待ってて」
「はい」

凛と伸びた彼の後姿を見ながら、小山はふと考える。

課長は、このままでいいのだろうか。

嫌じゃない。でも、ここから先どうやって進めばいいのかが分からない。それが小山の正直な気持ちだった。恋人ごっこ、と言うのがしっくりくる。「ごっこ」にさせているのは自分だ。

変わらなければならないことは分かっているのに、どうしてもあと一歩というところが踏み出せない。

津々見はつまらなくないのだろうか。こんなつまらない自分に付き合って、嫌になってはいないだろうか。

――社員、旅行…。

もう一度掲示板に視線を戻し、心の中で呟いた。

先程の口ぶりからすると、きっと津々見も参加するはずだ。今までの旅行で彼の存在を特に意識したことはなかったが、今年は事情が違う。

「…」

少し。ほんの少しだけ。社員旅行という行事を利用して、自分から手を伸ばしてみるのもいいのかもしれない。



幸いなことに今年の旅行の移動手段は新幹線なので、去年のように酔わなくて済みそうだった。バスは揺れがあって苦手だ。

窓の外の流れる景色を眺め、到着地までの暇な時間をぼんやりと過ごす。時折同じ席に座った同期から話しかけられ、それに返事をする程度だ。

「ごめん、ちょっとトイレ」
「あぁ、うん。どうぞ」

窓際に座っていたため、通路側の同僚にそう声をかけて立ち上がる。

席を抜け出してトイレに歩く途中、ふと津々見の姿を見つけた。隣には確か彼の同期である男が座っている。小山にとっては先輩だ。

なにやら楽しそうに談笑しているので、邪魔することもあるまいと気づかれないように横を通り抜けようとしたら、急に腕を掴まれた。言うまでもない。津々見だ。

「なんですか」
「いや、もう少しで着くのにどこ行くのかなと思って」

こっちの方にトイレがあるなんて分かっているくせに、何故わざわざ聞くんだ。

「お手洗いです」

離してくださいと言外に滲ませた返答をすると、津々見は俺も行くと立ち上がった。

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