▼ おまけ
「子どもは好きか?」
「…分かりません」
「そうか。お前には望の世話を頼むことにしようと思うのだが」
「望さま…」
「うちの次男だ。もうすぐ7つになる。これがまた偏屈な子でね」
「偏屈、ですか」
「今までいろんな世話係を雇ってきたが、上手くいった人は一人もいなかったよ」
旦那様の言葉を聞いて、私の胸の中は不安でいっぱいになりました。
子ども。子どものお世話。私に務まるでしょうか。
「…頑張ります」
しかし、立ち止まっている場合ではありません。もう後がないのです。西園寺家にまで捨てられてしまったら、私はもう死ぬしかありません。
この世からいなくなること。それもまた運命だ、と受け止めるべきなのかもしれない。
でも、でも、私はまだ。
「分からないことは私や他のメンバーに聞いてくれて構わないから。焦らなくていい。ゆっくり慣れていきなさい」
「はい…ありがとうございます」
「じゃあ、こっちへ」
せめて一度だけ。一度だけでいいから、誰かに必要とされたい。
私が私である証。存在するための意義。たった一度だけでいいから、それを与えてくれる人に出会いたい。
「伊原。これが息子の望だ」
…望、さま。
なんて綺麗な姿をしているのだろう、と思いました。
乱れることのない精巧な造りを携えた、美しくて儚い人形のよう。少し癖のある髪は色素が薄く、きらきらと日に透けています。陶器のような滑らかな頬は赤く色づき、くりっとした瞳がまるでガラス玉のように輝いていました。その上を、長い睫毛が縁取っています。
「望、新しい世話係の伊原恵司くんだ。挨拶しなさい」
「伊原です。宜しくお願いします」
吸い込まれそうになっていた自分を慌てて引き戻し、深々と頭を下げました。
「…」
「あ、あの…」
「望。宜しくお願いしますは?」
望様はそのガラスのような瞳を向け、黙ったままこちらを見つめています。何かお気に障ることを、と不安になってしまうくらいの沈黙でした。
「…はぁ…全くこの子は…すまないな、伊原」
「いえ、大丈夫です。あの、旦那様は今から出かける用事がおありなのでは…」
「あぁそうだった。そうそう。じゃあ後は頼む」
「はい」
残された私と望様。ちらりと視線を向けると、彼はまだ私の方を見つめています。
「至らない点ばかりだと思いますが、これからどうぞ宜しくお願いします」
「…」
「…ちょっと堅苦しいですかね」
ううん。一体どうすれば。
少し考えて、その場にしゃがみました。目線を彼と同じ高さに合わせ、もう一度挨拶を口にします。
「伊原といいます。なかよくしてください」
「…いはら」
「!!」
返事をしてくれた、と喜んでいたら。
「いはらは、なにかかなしいことがあったのか」
「え…」
「かなしいかおをしている」
悲しい、顔。私は悲しい顔をしているのでしょうか。自分でもわかりません。そんなこと初めて言われました。
「…ひとりぼっちなのです。だから、寂しいのかもしれませんね」
「ひとりぼっち」
「はい」
「パパやママは?にいさんは?」
「みんな私を置いてどこかへ行ってしまいました」
「…どこか」
「どこか、遠いところへ」
「…」
子ども相手に何を言っているのだろう。ごめんなさいと笑って誤魔化そうとしたその瞬間、望様は私の手をぎゅっと握りました。
「!」
「じゃあ、ここにいればいい」
「え…」
「僕がいる。みんながいる。だからもうさみしくない」
小さな小さな手から、淡い熱が伝わってきます。こんな風に誰かと肌を触れあわせたのは、いつぶりでしょう。
「…ここにいて、いいんですか」
「いはらは僕のしつじじゃないのか」
せめて一度だけ。一度だけでいいから、誰かに必要とされたい。
私が私である証。存在するための意義。たった一度だけでいいから、それを与えてくれる人に出会いたい。
「めいれいだ。僕とあそべ。僕のはなしあいてになれ。僕のそばからはなれるな」
くしゃ、と自分の顔が歪むのが分かりました。ぼろぼろと涙が溢れてきます。望様は表情一つ変えず、ただただ私の頭を撫でていました。
「ありがと…っございます…!」
私が私である証。存在するための意義。たった一度だけでいいから、それを与えてくれる人に出会いたい。
焦がれて渇いてどうしようもなかった。そんな私の心を満たしてくれたのは、望様だけだったのです。
「私を、貴方のお傍に、おいてください…っ」
この日から、彼は私の全てになったのです。
end.
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