■手の届く距離で
 クリスマスまで、あと一週間。
この時期の街はクリスマス一色で、色鮮やかなイルミネーションに溢れている。

 今年は一人か……。
 元々イベントごとに関してはあまり気にしない方だった。あいつだって、そうだと思っていたんだけどな。

今年のクリスマスは、父さんは仕事、母さんも別の予定が入っているらしい。友人たちもそれぞれに予定が入っていて、私だけが空白のまま。以前なら、こんな時は燈馬君とどこかへ出かけたりしていたんだけど……。
去年までは一緒に過ごしていたのを思い出して、少しだけ淋しく感じてしまった。彼と出会ってからのクリスマスなんて片手で事足りてしまうのに、思い出すのはいつも、あいつとの時間だった。

 あいつ――燈馬想は、掛け値なしの天才で、世界でも有数の大学を卒業後、日本の高校に通っていた変わり者。誰も知らないようなことを知っているのに誰もが知っていることを知らず、すべてを見通すような鋭い目をしたかと思えば子供のように無邪気に笑う、そんな変なヤツで。とにかく今までに出会ったことのないタイプの人間であり、私にとっては誰よりも信頼できる友人だった。
 気の置けない友人と言えばいいのか傍に居るのが当たり前で自然なことで、燈馬君も私に対しては余計な気を遣わず気楽に接してくれていたように思う。性差はあれど、そこに特別な何かがあったわけでもなく、お互いに特別な感情を抱いていたわけでもない。居心地の良さと、ある意味では特別な……とても大切な存在ではあったけれど、私自身――それから多分燈馬君も、それ以上の関係を望んではいなかった。
 仲の良さをからかわれたのは一度や二度のことではなかったし、昔の私はその度に否定してきたけれど、好きなのかと問われたならば間違いなく好きだったと言える。でもそれは男女の情と呼ばれるものではないと思うのだ。
 それが証拠にアメリカへ戻ることを告げられた時だって、それはそれはあっさりとしたものだったんだ。

「卒業したらアメリカへ行きます」
「そっか、むこうでも頑張ってね」

 やりたいことや目標に向かって進んで行くのは当然のことだ。卒業後の進路に関しても私は大学へ進学、燈馬君はアメリカで何かのプロジェクトに参加することを決めていたから、そんな簡単なやりとりをしただけだった。
 多少の寂しさはあったけれど、その気になればいつだって会えるから。

 あれから二年半……次の春が来れば三年だ。
 燈馬君が日本に戻ってくるのは休暇だったり、仕事のついでだったりでとにかく不定期だったけれど、毎年クリスマスの時期だけは休暇を兼ねてこちらに戻ってきていた。なんでも日本の年越しが気に入ったとか?
 父さんも母さんも真面目な燈馬君のことを気に入っていたから、うちで年越しをするのが恒例になっていた。私だってそれに異論はなくて、むしろ楽しみにしていたんだ。
 都合がつく時、たまに連絡を取り合うだけでしかなくても、会えばあの時と同じ空気でいられる関係がとても心地良かったから。
 だけど、今年はいつもと少し違っていたんだ。

『今年のクリスマスは一緒に過ごしたい人がいるんです』

 少し前に送られてきたメールの最後には、簡潔にそう書かれてあった。
 今までそういったイベントに関して、興味があったようには見えなかったから意外だと思った。ただ単に、そうなのかって思ったくらいで、それ以外は何とも思わなかったんだから。正直に言えば、ほんの少しだけ寂しさを感じたのだけれど、それはきっと恋だからってわけでもないと思うのだ。
 好きだったら……本当に好きな人だったなら、こんなに平静ではいられないはずだ。

 あの燈馬君に、好きな人ができたのかぁ。今度会った時に聞かなくちゃね。
 でも彼女ができたのなら、流石に二人で会うのはマズイだろうしなァ。

 ぼんやりとそんなことを考えつつ。道行く中で仲の良さそうなカップルを見ると、ほんの少しだけ羨ましくなった。
 それに、そんな女性を見つけたらしい燈馬君も、少しだけ羨ましい。
 燈馬君が日本にいた頃に一緒に見たクリスマスツリーの前で、高校生カップルがじゃれあっているのを見て、その微笑ましさにくすりと笑みが零れた。
 あの子たちみたいには付き合ってはいなかったけど、あの頃は周りからはそう見えたのかなァ、なんて。

 ……ああダメだ、私の柄でもないことを考えちゃダメ。

 なまじっか近くにいたせいか、こんなちょっとした変化が寂しく感じてしまう。私には兄弟がいないけれど、いたとしたらそんな感覚なのかな?
 それとも、一人でいるからだろうか。
 私にだって、いいなと思う人がたまにいるんだけど、いつもいいな止まりで。そこから先に進もうという気にはどうしてもなれない。そうやって恋だの愛だのに対してどこか冷めた目で見てしまうのは、きっと私自身がそういう体質ではないからなのかもしれない、なーんて。

「……はァ……」
 ホント、どうかしてるよね。みんな少しずつ変わっていくのは当たり前の話なのに。
 柄にもなく感傷的になっているのはどうして?
 なんでこんなに燈馬君のことを思い出すんだろう?




 なんとなく出かけてみたものの、気分が乗らなくて家に帰る。
「――水原さん」
 玄関を開けようとしたところで、後ろから声を掛けられた。聞き覚えのある声に驚いて振り返ると、よく見知った人物が立っていた。
「と……燈馬君っ!? なんでここにいるの?」
「会うなり随分な物言いですね……。僕がここにいちゃ悪いんですか?」
 燈馬君は半眼のまま、私の顔をじぃっと見つめてきた。
「悪くはないけどさ! なんで急に……今年はこっちに来ないんじゃ――」
「そうやって、いるのが悪いみたいに言わないで欲しいです。傷つくなァ……。メールで連絡したでしょう?」
 確かに、メールには日本に戻ってくるようなことが書いてあった。だけど、最後の一文の印象が強かったせいで、すっかり頭から抜け落ちていたんだと思う。
 ごまかし笑いの私を見て、彼は呆れたようにひとつ溜息を吐いた。
「まァ、覚えてないなら別にいいんですけどね、大したことじゃないし。……あ、そうだ水原さん、来年になったら日本に戻ってきます。またよろしくお願いしますね」
 何事もなかったかのように爽やかに言ってくるが、それで私が納得できるはずもなく、顔を顰めたまま声を上げた。
「ハァ!?」
「言ってませんでしたっけ? もともと三年の予定で、もうすぐその期限がくるんですよ。なので、夏頃か遅くとも秋にはこちらに戻ってきます」
「そんなこと聞いてないし」
「冷たいなァ。なにがそんなに気に入らないんですか?」
「気に入らないって……そんなこと言ってないだろ! ただ、びっくりしただけで……」
 はたっと考えて。大切なことを思いだす。
「――って、そんなことより、彼女ができたんでしょ!? どうしたんだよ、まさか振られた?」
「な……違います!」
「うまくいってるんだったら、もっと嬉しそうな顔したらいいじゃん」
 私の言葉にムッとした表情を浮かべたかと思うと、きっぱりと否定してから深々と溜息を吐いた。
「……まだ彼女じゃないし、返事だってもらっていませんよ」
 彼の顰められた眉からは不快感が伝わってくる。悪いことを聞いてしまったのかもしれない。
 でも返事をもらっていないってことは、相手に気持ちを伝えているってこと……だよね?
 気にはなったけど、燈馬君の様子からそれ以上突っ込んで聞きたいとは思えなかった。
「あ、そう。なら今日はどうしたんだよ」
「水原さんに少し話があって」
「話って、さっき言ってたやつじゃないの?」
「いえ、それとは別のです。……どこかに出かけていたみたいですけど、この後はなにか予定があるんですか?」
「特にない……けど」
「じゃあ、少し出かけませんか?」
 燈馬君の誘いに、断る理由が思いつかなくて頷いた。
「いいよ。でもさ、燈馬君に彼女ができたら、もうこうやって会えなくなるね」
「心配しなくても大丈夫ですよ」
「なに言ってんだよ。大丈夫じゃないってば。少しは相手に気を遣わなきゃ!」
「……水原さんがそれを言いますか」
 ぼそりと低く呟くと呆れたような視線を向けてきた。
「どういう意味だよ!」
「深い意味はないので言葉どおりに受け取ってください。……気にしなくても大丈夫ですから」
 燈馬君は気楽な様子で言うけれど、彼の言葉を借りるなら、まだお付き合いしていないわけで。どうしてそんなにハッキリと言い切れるんだろうと思った。
 付き合うかもしれない人が異性と二人だけで出かけるなんて、普通ならいい気はしないと思う。相手がどんな人なのかは知らないけど、それだけ心が広い人ってこと? 本当に大丈夫なの?
 そんな私の心配をよそに燈馬君は「大丈夫です」と言葉を重ねてくる。
「そこまで言うなら付き合ってあげる。って言うか、元々予定なんてなかったし久しぶりだからゆっくり話したいしね」
 そう言うと燈馬君は屈託のない笑顔を見せた。

 とは言いつつ、燈馬君は出かけたい場所があったわけではなかったようだった。さてどこに行こうか、と思案してるのを横目で見ながら、私は彼のことが心配になった。
 気にするなって言ってるんだから気にしない方がいいんだろうけど、このまま放っておいたら、お相手さんの地雷を踏んでしまうんじゃないか、と。
 変人でクセが強くて、付き合い難いところもあるけど、いいやつなのに。つまらないことでうまくいかなかったら、いくら燈馬君でも落ち込むだろうし……そんな顔を見たくないと思ったんだ。
 だからその日は、世の女性が好みそうな物だとか場所だとか、そういうのに疎い燈馬君にみっちりとレクチャーしたのだ。クリスマスまで日がないし、にわか仕込みだったとしてもしないよりかはずっとマシだ。
「うまくいくといいね。協力できることはするから頑張ってね!」
 別れ際にそう言うと、なにか言いたげにしていた気もするけれど、気付かない振りをして。……それから、私のこの寂しい気持ちにも気づかない振りをする。




 一週間後、クリスマスイブの日。
 玄関の扉を開けると、本来ならばここに居るはずのない人物がいた。
「――って、なんでいるの? 帰ったんじゃなかったの?」
「この間といい、冷たくないですか?」
「『一緒に過ごしたい人ができた』って言ってたじゃん! だからこの間予習したんでしょ? もしかして、うまくいかなかったの?」
 私の言葉に燈馬君は深い深い溜息を吐いた。
「……そう、言われる気がしたんですよね」
 その言葉に少しばかり引っ掛かりを感じたけど、燈馬君が今ここにいる理由が分からないでいた。
 どういうことだよ。そんな溜息を吐かれるような、呆れられるようなことを言った覚えはないのに。

「何を勘違いしているのかは分かりませんけど、僕が一緒に過ごしたいのは水原さんですよ! 僕はそのために日本に戻って来たんですから」
「ハァ!?」
 こいつはなにを言っているんだ。
 多分、私の顔にはハッキリとそう書いてあったはずだ。吃驚しすぎて二の句を告げられずにいる私を一瞥し、燈馬君はやれやれと首を傾げて。それから、ぽんっと一回手を打ち合わせたかと思うと、見当違いもいいようなことを口走った。
「それ、新しいボケかなにかですか?」
「ボケてなんかないっての! 今、ここには私しかいないんだよ、分かってる!?」
「そうですね」
「相手を間違えてるでしょっ」
 キッと睨みつけると、燈馬君は心底呆れたという風に深々と溜息を吐いた。
「どうしてそう思うのかは分かりかねますが。僕は『水原さんに会いに来た』って言ってるじゃないですか。いくらなんでも自分の好きな人を間違えるはずがないでしょ。僕をなんだと思ってんですか……」
 な、な、どういうことだよ!?
 だって、今までそんな素振りは少しもなかったんだから、青天の霹靂だ。開いた口がふさがらない私を見て、燈馬君は些か不満げに口を尖らせ拗ねた表情を浮かべた。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
「な、な、な……!!」
「『なんで』ですか?」
 オドロキすぎて上手く言葉が出ない私を見て、言いたかった言葉をさらりと補足する。こくこくと頷く私。
 すると彼は不満気な顔はそのままに、ぽつりと零した。
「今までだって二人きりで過ごしたことがないとは言いませんよ。でも、それはあくまでも友人としてだ。そうではなくて、ちゃんと意識してもらったうえで水原さんと二人で過ごしたいと思ったんです。端的に――水原さんにも分かってもらえるように物凄く簡単に言うと『あなたのことが好き』なんです」
 何だかとても失礼な物言いをされているような気もするけど、今さらっと凄いこと言わなかった?
「ちょ……いきなり、なにを言い出すんだよっ」
「あなたが好きですって言いました」
「だ、だからそういうことじゃなくって!」
「ずっと前からです」
「私が訊きたいのはそれでもないってばっ!」
「じゃあどういうことですか? ……そんなに意外ですか? それとも迷惑ですか?」
 言いながらじっと見つめられて、私の鼓動は跳ね上がった。
「それは……えっと、私……」
「考えたことがない、そういう対象として見たことはない、ですよね。それも全部分かっているつもりです」
 そう言って燈馬君は苦笑する。
「なんで私……なの?」
「水原さんが水原さんだから。僕にとってそれ以上の理由はありません」
 おずおずと問うた私に、燈馬君は即答する――それ以外の答えはないとでも言うように。
 なにそれ、意味が分かんないんだけど。
 ぽかんとしていると燈馬君がくすりと小さく微笑んだ。
「そんなに構えなくていいですよ。無理強いはしたくないし、取りあえず意識してくれるのなら、今はそれで構わない」
 その爽やかな笑顔に思わずどきりと胸を高鳴らせてしまい、私は慌てて顔を逸らした。ドキドキと高鳴りだした鼓動は高まるばかりで、一向におさまる気配を見せない。
燈馬君が戻ってきてからずっと……いや、あのメールを見て以降、気がついたら一日中燈馬君のことばかり考えていたのは事実だけれど。
 なんだよ、これ……。絶対におかしい。
だって燈馬君が急に……!
 どうしよう……。今まで気づいてなかったけど、思った以上に私は燈馬君のことが好きみたいだ。
 人から告白されたことがないわけじゃない。でも、こんなに落ち着かない気分になるのは初めてで……。そんな素振りすら見せなかったくせに、こんなのは不意打ちだ。ズルい。

 煩いほどに鳴り響く鼓動も、戸惑いを覚えるほどの照れくささも、これまで経験したことのないもので。返す言葉が見つからずに頭を抱えながらちらりと燈馬君へ視線を向けると、柔和な笑顔を浮かべていた。
――と、そこでふいに疑問が頭を過った。
 今まで私たちは対等だと思っていたけど、私は燈馬君の好意を利用していたんだろうか。
 あの時も、あの時も……ずっと燈馬君は私を想っていてくれたってことで。仮にそうだとしたら、私は……。
 ぽつりと零すと、燈馬君は苦笑した。
「僕を見くびらないでくださいよ」と言ったかと思えば。
「そりゃ、正直に言えば面倒だと思うこともたくさんあったけど、それ以上に大切なものを水原さんからもらったから。全部好きで、僕自身が納得してやったことです。だから気に病むことじゃない。水原さんだってそうだったでしょ?」
 そう言って浮かべたのは屈託のない笑顔。嫌みのない心からの言葉だというのが、その表情から伝わってくる。
「僕の中で、咲坂高校での三年間は特別なんです。何物にも代えられない大切な――」

 それは私も同じだ。
 楽しいことはそれまでも、それ以降だってたくさんあったけれど。間違いなく私の中で特別な時間だった。
「……私も、同じ気持ちだよ。燈馬君と一緒にいると落ち着くし。でも、これからどうしていいか分かんなくって……」
 気持ちを落ち着けようとしたけど、未だ心の整理が追いつかない。無理やり笑顔を取り繕って視線を廻らせると、はにかんだような笑顔を浮かべた燈馬君がいた。深い藍色の瞳と視線が合った瞬間、柔らかく細まった。
「関係が変わるからといって、それらしくしなきゃいけない決まりはないんです。……僕だってそういう気持ちがまったくないとは言えませんけど、特別な理由がなくても水原さんと同じ時間を過ごせたらいいと思った」
 そう言うと彼は静かに私の手を取り、そっと自分の手を重ねてきた。
「会いたい時にいつでも傍に……僕の手の届く範囲にいて欲しいだけです」
 穏やかな声。触れた掌から伝わってくるぬくもりが、その気持ちを表しているようで心地いい。重ねられた上にもう一方の手をそっと重ねると彼は嬉しそうに頬を綻ばせた。



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