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帰りのHRで配られたプリントを眺めては小春はベッドの上でゴロゴロと転がっていた。
「進路調査、かぁ」
第一志望の学校は決まっている。従兄弟が推薦で入学するあの高校。軽く調べてみれば偏差値も申し分ない上に通いやすい距離と着たいと思える制服。さらに大好きな従兄弟がいるのだから迷うことはない。第二志望以下も自分の学力などを考慮した上で滑り止めとしていくつか候補は上がっている。
一つだけ気になるのは赤司の進路だった。きっと学力面でもかなり上位を狙うだろうし、バスケ部の強いところに行くのかもしれない。
「なんて、そんなの気にしたってしょうがないんだけど」
ぽつりと呟いた独り言は部屋の静寂に飲み込まれて消えた。端からこの関係は中学のうちだけと思っていたし、もっと早くに終わってしまうかもしれないのもわかっていた。
「わたしか征くん、どっちかに好きな人ができたらおわり。…おわり、なんだよね」
たとえば赤司に好きな子が出来てしまって、帰り道、2人が手を繋いで歩いているのを見てしまったら。お揃いのストラップをつけていたら。誕生日だってバレンタインだって、その子だけのものになってしまうんだ。擬似的なカップルの体験ごっこをしただけなのにいつの間にか自分が特別だと思い込んで、気がつけばこんなにも赤司のことを、
「好き、なんだろうな」
ストン、と自分の中に落ちた言葉は否定のしようがなくて、どうしてこんなことになってしまったのだろう。偽りのコイビトに本当に恋をしてしまうなんて。
せめて今度のクラス替えで別々になれば顔をあわせる機会も減るだろう。そのまま高校が別ならば新しい出会いがあって、きっと赤司のことは忘れていくのだろう。そうなってくれないと困る。大丈夫。高校には従兄弟だっているのだから、きっと楽しい学校生活が送れるはずだ。そこに赤司がいなくても。
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2年生最後の定期考査も終わり、あとは春休みを迎えるだけ。担任の先生はやたら口を酸っぱく受験生になるのだから今からしっかり対策をするようにと言うようになった。小春の提出した進路希望には、お前ならもっと上を目指せるだの言っていたけれど、小春はやはり第一志望を変えるつもりはなかった。まだ少し肌寒い3月のことだった。
「えー?みんなバスケ部見ていかないの?」
「あたし塾行き始めたから、ごめんね?」
「うそでしょ〜!小春は?小春は行くよね?」
「わたしもパスかな〜」
見るからに肩を落とす友人に申し訳ない気持ちになりながら心の中で謝る。別に勉強に焦ってはいない。今回のテストの結果だって上位だったし入試の準備だってちゃんと計画的に進める予定だ。でももう小春はバスケ部の応援に行く気は無かった。これ以上赤司との距離を縮めてしまうのはよくない。少なくとも1年後にはキッパリと終わりにしなければいけないのだから。
「黄瀬くんと同じ高校行けるように勉強しなくていいの?」
「…黄瀬くんが頭良いトコ行くわけないもん」
ファンにまで頭が悪い扱いをされるのはどうなんだ、と赤点に怯える黄瀬を思い出して笑いそうになる。でもバスケ部レギュラーなんだからスポーツ推薦の可能性もあるよ、と言えばそのパターンがあったか!と慌ててやっぱり帰って勉強すると言い出す彼女が少し羨ましかった。好きな人と同じ高校に行くと堂々と宣言出来るなんて。
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朝の登校もお昼休みもいつも一緒にいたわけではない。あからさまに避けなくても赤司と距離を置くのは簡単だった。たまに気まぐれで送っていたメッセージも送らなくなった。そもそも距離が近かったような気がしていただけで、実は全然近くなんかなかったのだと実感した。
「あ、藤原。ちょうどよかった」
「先生、どうしたんですか?」
「ちょっと頼まれごとしてほしいんだけど、いいかな」
はい、と笑顔で頷けば用件を言われた。来週の卒業式で在校生代表の挨拶をする赤司にこの書類を届けて欲しい、とのことだ。これから会議だったから藤原がいてくれて助かった、と言われれば当然引き受けないわけにはいかない。よりによって赤司に用事だったとは思わなかったが、致し方がない。
わかりました、と書類を受け取った小春はバスケ部が使用している体育館へ足を向けた。
(多分練習中だろうから、その辺の人に頼めばいいよね)
別に赤司に直接渡す必要もないだろう。ただのクラスメイトならまだしも付き合っているのだからわざわざ練習中に割って入れば目立って仕方がない。ダムダムというボールの音を聞くのは久しぶりだった。体育館のすぐ近くの水道にジャージ姿の女子生徒がいる。バスケ部のマネージャーらしき茶髪のショートヘアの彼女はボトルへドリンクを入れているところのようだ。
荷物があるのに声をかけるのは悪いだろうか、と一瞬思案していると体育館から突然赤司が現れた。なぜか体が勝手に動いて隠れてしまい、小春は出るタイミングを失ってしまった。
「ありがとう、これは僕が持っていくよ」
「あ、赤司くん…!でも悪いよ」
「いいんだよ。女性にこんな重いもの持たせてしまうわけにはいかないからね」
聞こえてくる会話は別に普通だと思う。やっぱり彼女はバスケ部のマネージャーだったのだろうし、ボトルは結構な本数があったので女子が持つには重たいだろう。ちら、とのぞいてみれば赤司は既に体育館へ戻ったのかマネージャーの姿しかなかった。彼女は顔を真っ赤にして嬉しそうにしていた。
「あの」
「きゃあ!」
突然真横から声がして思わず叫び声をあげると続いてすみません、と聞こえる。前にもこんなことがあった、と思い出して隣を見ればやはり水色の髪が目に入った。
「黒子くん…びっくりしたぁ」
「どうかしたんですか?いつも練習を見るときはギャラリーにいますよね」
そういえば黒子もバスケ部だったな、と思う。練習風景を思い返しても黒子の姿を思い出すことはできないがきっといつもいたのだろう。ちょうどいい、この書類たちは黒子に押し付けて帰ろう。赤司に渡して欲しいと伝えればわかりました、と受け取ってくれた。
「今日は観ていかないんですか?」
「…うん、帰るよ。じゃあ練習頑張ってね!」
はい、とぺこりと頭を下げた黒子に手を振って小春はその場を去った。一人きりで昇降口までつくと思わずため息が溢れる。
別に誰が誰をどう思っていようが関係ない。赤司がモテるのもわかっていたことのはずなのに。
どうしても彼の優しさが別の子に向いているだけで胸がチクチクとする。同じ部活のメンバーなんだから、当たり前じゃないか。そもそも彼は優しいんだからあれくらいする。赤司もあの子も何も悪くなんかない。理屈ではわかっていてもどうしても抑えきれない感情をぶつける先を小春は知らなかった。
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「赤司くん」
「テツヤか、どうしたんだい?」
練習の休憩が終わる頃、黒子に声をかけられる。これを、と差し出されたのは担任が作ったであろう書類だった。礼を言えば藤原さんから渡して欲しいと頼まれました。と黒子は言っていた。
(さっきのは見間違いではなかったのか)
体育館の外に小春の姿が見えたような気がした。今まで練習中に関わったりすることはなかったが、最近では観に来ることもほとんどなくなったので思わず気になってしまい体育館から出ると、そこにはマネージャーがいただけだった。用もなく体育館に来るはずがない、と思い直して自分たちのために用意されたドリンクを持ち赤司は体育館へ戻ったのだった。
「どうかしましたか?」
開け放たれた扉を眺める赤司を不審に思った黒子に、なんでもないよ、と笑いかえす。
なんでもない。扉の向こうにもギャラリーにも小春の姿はない。最後にメッセージのやり取りをしたのも随分前だ。本当に小春とはなんでもない関係なのだと、心の中で言い聞かせるように何度も繰り返した。
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