08

「進路調査のプリント提出期限が明日に迫っているというのに波羅夷くんが登校してこないので家まで行って書いてもらってきて欲しいと、そういうことですね?」


目の前で手を合わせてウィンクに舌ペロをかます担任の先生に半ば呆れつつ遠回しに依頼されたことを全て要約してやった。悪びれた様子もない先生に思い切りため息を吐いてやりたい気持ちをグッと堪えて飲み込む。日直の仕事を終えて誰もいなくなった教室を出たところでまるで待ち伏せしていたかのような先生に捕まったわたしは運の尽きに心の中で悪態を吐く。


「いやー助かるよ藤原。本当は先生が行こうと思ってたんだけどな、急に職員会議が入っちゃって」

「職員会議、この曜日はいつもやってますよね」

「波羅夷の指導について学年主任の先生に睨まれててなぁ」

「わたしまだ行くなんて言ってないですけど…」

「明日も波羅夷が来るとは限らないし、藤原にお願いすれば安心だ」

「ちょっと先生」


じゃあ先生急いでるから、とプリントを押し付けて早歩きで去っていった先生を見送る。廊下は走っちゃいけないけれど走るよりも速いスピードで歩いていくのもどうかと思う。

手元に残された進路調査。自分の分はとっくに提出したのに、どうしてまたこんなものを。だいたい波羅夷くんが進学なんてするとは思えない。まだ2年なので進学か就職かの2択を選ぶだけの簡単な書類は出す意味も果たしてあるのか。面倒ごとを押し付けられてしまった。ご丁寧に波羅夷くんの家の場所を教えてくれた先生は、わたしが頼み事を断れないのをわかっていて押し付けてきたのだろう。そうとわかっていても断れないわたしはため息と共にメモに書かれた場所まで向かってしまうのだった。

通り道で見つけた唐揚げの専門店でこの前のピアスのお礼と称して手土産を購入しつつたどり着いたアパートの1室。一人暮らしの家の玄関に表札などあるはずがなく、間違っていないか何度もメモと見比べて確かめてしまう。


「ここ、だよね…」


学校で話すのとは訳が違う。家に、それも実家じゃなくて一人暮らしのところに来てしまって緊張でどうにかなりそう。まずピンポン押して唐揚げを渡してプリントを書いてもらって、急いで帰る。その作戦で行こう。…でもいきなりピンポンは迷惑かな。一旦連絡を……いや、連絡先知らないじゃん。一郎経由でだったらどうにかなるか。とりあえず一郎にメッセージを…。

携帯でメッセージアプリを起動して目的の相手を探していたところで目の前の扉がガチャリと開いた。目の前ということは当然、訪ねたかった波羅夷くんのお家。顔をあげればもちろんのこと、波羅夷くんがダルそうにこちらを見ていた。


「う、わっ!」

「…なんでお前が驚くんだよ」

「ご、ごめん、え?どうしたの?どっか行くの?」

「いや、怪しいヤツがいるから」

「…わたし…だよね?……ごめんなさい」


寝起きのような掠れた声がいっそう不機嫌そうに聞こえて焦る。当たり前だ、玄関の前にずっといられたら怪しいに決まってる。やってしまった。こんなことならちゃんと来る前に連絡をしておけばよかった。考えていた段取りが初っ端から崩れてしまって、どうにか立て直そうと俯いたまま唐揚げの入った袋を渡す。サンキュ、と普通に受け取られて、そのまま波羅夷くんはドアを抑えたまま玄関の端に寄った。


「とりあえず入れば?」

「あっ、う、うん」


お邪魔します…と靴を脱いだところでまたもやおかしいことに気付く。お家に上がる予定はなかったのに、招き入れられてつい流された。ここまで来てしまえばもうどうにでもなれ。Tシャツにハーフパンツ、普段上げている前髪も下ろされたラフな姿の波羅夷くんの後ろをついて部屋の中へ入った。比較的整頓されて綺麗な部屋には適当に掛けられた制服と赤いバンダナ、それからマイクがひとつ転がっている。あれがヒプノシスマイク…、見た目としては普通のものと区別つきそうにないのに、武器になるなんてすごいなぁ。


「これなんだ?」

「唐揚げだよ。ピアスのお礼まだしてなかったなって」

「唐揚げ!わかってんじゃねぇか!」


やっぱり好物だったみたいで少しは機嫌が直っただろうと一安心。早速もぐもぐと頬張る姿はリスのようで微笑ましい。そこでようやく本題を切り出してプリントを渡す。なんだこれ、と言いながら名前と就職に丸をつけて早々に返ってきた内容を見て、やっぱりわざわざ来る必要なんてなかったと思った。


「で、センコーに使いっ走りにされたわけか」

「使いっ走りって…。まぁその通りなんだけど」

「断れねーのも大変だな」


拙僧なら絶対に嫌だ。呆れ顔の波羅夷くんがベッドに座ってスプリングがギシッと跳ねる。そう思うならちゃんと登校してと言い掛けて、枕元に置かれたスポーツドリンクに風邪薬。それから使い終わった冷えピタが目についた。


「波羅夷くん、風邪?」

「あぁ、まぁ」


そういえば今日は声が掠れている。それは寝起きじゃなくて風邪のせいなのかもしれない。いつもサボってばかりいるから今日もそうだと思っていたけれど、それなら仕方ないと出掛かった言葉を飲み込んだ。


「ごめんね、そんなときに押しかけて…。そうだ、ご飯は?」

「いや、これが昨日の昼ぶり」


なるほど、お腹が空いているわけだ。やっぱり一人暮らしでは買いに行くのも作るのも大変なんだろう。好きだろうと差し入れた唐揚げだけど、風邪をひいてたらちょっと重たかっただろうに。


「ごめん、唐揚げじゃない方がよかったね」

「好きだし別にいいけど、あーでも」


なんか作ってくれんならそっちの方がいい。半分ほど平らげた唐揚げをローテーブルに置いてこちらを見上げてくる波羅夷くんの目は心なしか期待に満ちているような気がして思わず後ずさる。わたしは何をしに来たんだっけ、目的は果たしたはずなのに初めから狂ってしまった作戦はもう跡形も残っていない。とはいえ病人を放って帰ることもできないと思い直して制服の袖を捲った。


「キッチンと冷蔵庫、見てもいい?」


そうは言ってもそんなに大したものは作れない。お米があることを確認して鍋を準備したところで波羅夷くんの様子を伺えば、上体をベッドに倒していた。その様子にできるだけ音を立てないように手を動かしていく。もう一度目を向けたときには瞼は完全に閉じきっていた。




****




「波羅夷くん、起きて…はらいくーん」

「…?」

「あ、ごめんね起こして。簡単にだけどお粥だけ作ったから」


ぱちぱちと目を瞬かせている波羅夷くんにキッチンの方を指さしてお粥のありかを伝えた。寝起きでまともに理解できてるかはわからないけど、見つければ食べてくれるだろう。カバンの中に波羅夷くんに書いてもらった進路調査票をしまったことを確認してもう一度波羅夷くんを振り返る。


「じゃあお大事に…っ?」


立ち上がろうとしたところで腕を掴まれて阻まれる。バランスを崩してベッドの方に倒れそうになったのをもう一方の手をついてどうにか踏みとどまった。近づいた波羅夷くんの顔、自分で掴んだくせに、そっちがびっくりしてるのはなんでなの。


「あ、わりぃ…」

「ど、どうしたの?熱上がってきた?」

「……そーかもな」


掴まれたところがひどく熱い。たぶん、相当熱があるに違いない。それでもこれ以上ここに留まることも出来なくて、大人しく寝てなよ、とだけ言い残して緩んだ拘束を抜け出し足早に部屋を出た。外の気温だって決して涼しくないのに、吹き抜ける風が妙に気持ちいい。

階段を1段飛ばしで駆け降りて、最後の着地にちょっと失敗しかけたけどそれは気にしないことにして、とにかく波羅夷くんだって風邪を引けば心細くなっちゃったりするんだ。一人暮らしなら尚更なんだと思う。たぶん。全部憶測だけど真意なんてわかるわけない。

気を取り直して家に帰ろうとしたらアパートのすぐそばの草むらがガサガサと音を立てるものだから飛び上がるくらい驚いて、もうなんなの?!と八つ当たりをしてしまった。驚きの連続に心臓が破裂しそうなくらい大きな鼓動を鳴らしていた。

[ < > ]

[ back ]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -