07

午前中の業務を終え、ランチタイムを迎えたところで同僚から連れ出されて事務所近くの喫茶店へと連行された。先月オープンしたばかりのお店は女性客で賑わっていたがなんとかギリギリ待たずに滑り込むことができた。


「ここ来てみたかったんだよね!入れてよかったぁ」

「いつも混んでるものね。…って、そんなのはいいのよ!ちゃんとぜーんぶ教えてもらうからね」

「うん?なにが?」


お水とおしぼりを持ってきてくれた店員さんにランチセットを二つ頼んでから、彼女は改めてわたしに向き直る。やけにニコニコと笑っているのがちょっぴり怖くて何かしてしまったかと尋ねると彼女は楽しそうに口を開いた。


「昨日よ。昨日、どこまで行ったの?」

「…どこまで?」


昨日は天国さんと初めての食事に行った日。あんまりにも幸せで楽しくて、もちろんわたしからも彼女にその話をしようとしていたのだけれど、質問の意図がわからなくて首を傾げてしまった。


「天国さんと。昨日どうしたのよ」

「うん、昨日ね。ご飯食べて、そのあと一緒に駅まで行ったよ」

「…まさかそのまま帰ったとか言わないわよね」

「…か、帰りました……」


彼女は笑顔をぱっと消して額に手を当て、大げさにため息をついた。通りで朝からちゃんと出勤してるわけね、呆れた表情に言いたいことを察したわたしはどこまで行った、の意味をようやくそこで理解したのだった。


「なんであんなチャンス逃すのよ。もったいない」

「えぇ!だ、だってそんな、無理だよ」

「無理じゃないわよ、帰りたくないなぁくらい言えばすぐでしょ?」


確かにそう言われてしまえばそれが正解だったのかもしれないとも思うけれど、もしそれで失敗してしまえば全てがそこで終わってしまう可能性だってあるのだ。そして何よりそんな駆け引きをするような余裕など昨日の自分にはなかった。それを伝えればひとまずは納得してくれたようで、わたしたちは運ばれてきた食事に手を伸ばす。


「だいたい、天国さん彼女いるのかもしれないし…」

「まだ言ってるの、いるわけないでしょ。いたら小春と食事なんか行かないよ」

「それは…、そうかもだけど…」


それでもその基準だって人それぞれである。天国さんがどうかはわからないし不誠実だとももちろん思っていないが、自分のことをそんな風に見ていないのならその可能性だって大いにあり得るのだと思う。


「でもね、またご一緒してくださいとは言ってきたよ」

「まだ及第点ね」


それならそのときにはちゃんと攻めてくるのよ。いつになるかもわからない第2回目の食事でそんなことが出来るか自信はなかったけれどこんなに応援してくれるのだから頷くことしかできなかった。




****




「藤原さん、これコピーお願いできる?2部よろしく」

「はい、わかりました」


受け取った書類を手にコピー機へ向かう。印刷面をスキャナに挟んでボタンを操作し、コピーを開始した。

攻める、かぁ。これまで異性に対して攻めの姿勢を取ってきたことがあまりないわたしにそれは最難関だと思う。それでもやっぱり自分から攻めていかないと天国さんとの関係を進めるのは困難なように思えてくる。

コピーが完了した音に受け口に出てきたほかほかの書類を手に取る。そして印刷面を見て、縦横の向きが間違っていて見切れていることに気がつき、セットし直してからもう一度コピーを取った。

それにしても、攻めるって一体どうするのだ。帰りたくない、なんてそんな。例えば昨日の駅で別れ際に、やっぱり帰りたくないです、と伝えればよかったのだろうか。そうしたら、そのあとはどうなっていたのだろうか。ぼんやりと想像したその後の展開に顔が熱くなる。ダメダメ、首を思い切り横に振って深呼吸をし、コピー機が一定のリズムで紙を吐き出す音を聞き心を落ち着かせる。今は仕事中だ、そんなこと考えちゃダメだ。

ぐるぐると考え事をしていても終わらないコピーに疑問符を浮かべて取り出し口を覗き込めば、そこには随分と分厚い束が出来上がっていた。


「え、うそ」


自分が操作した画面を見てみれば、残り190部と表示されている。どうやら手が滑って2を連打したらしい。慌てて停止ボタンを押してどうにかこれ以上の無駄が出ることは防げたが、それでも指示されたより随分と多く刷ってしまったようだった。


「はぁ、やってしまった…」


ひとまずそのうちの2部だけを渡して、余分を処分すべくシュレッダーに向かう。失敗してしまったコピー用紙を放り込んだところで目の前のシュレッダーはピーと大きなエラー音を鳴らした。中身を取り出せば随分とたくさんの紙屑が溜まっていて、前に使った人がエラーを無視してかなりの量を一気に処理したようだ。

ゴミ置き場へ向かう途中、天国さんの姿を見つけて偶然にも目があったのでぺこりと頭を下げる。帰りたくない、そのフレーズがもう一度頭に浮かんで動揺してしまわないように視線を無理矢理外してなんとか忘れようとした。


「大丈夫か?」

「え?」

「重いだろ?持ってやるから」

「いえ、これくらいは…」


大丈夫です、そう言おうとしたけれど言葉を飲み込んだ。天国さんがゴミ袋を奪おうとしたその手がわたしに触れたから。ドサリと音を立てて袋が床に落とされる。


「あっ…」

「…すまん、」


顔を見合わせて一瞬お互いに固まる。手が触れたところが酷く熱いような気がする。停止しかけた思考でなんとか落とした袋を引っ掴み、勢いよく首を振って口を開いた。


「あ、だ、大丈夫です!ここ、これはわたしが持って行きますのでっ!!」


おい、と呼び止められたのを聞こえないふりをして、重たい袋に振り回されながらもなるべく急いでその場を離れる。ゴミを置いたところでようやく一息ついてうるさい心臓のあたりをぎゅっと抑えた。手、大きくて温かかったな。こんなに意識しているのなんかわたしだけなのに。


「…はぁ」


もう一度あの手に触れてみたいだとか、そんな欲まで出てきてしまいそうでかき消すようにため息を吐き出して顔を上げた。そうするためにはちゃんとアタックをしないといけない。このまま同じ職場の人間として過ごしていたってダメなのだ。


「おかえり〜なに、どうしたの。何かあった?」

「…ううん、なにもないよ」


ふぅん、怪しむような目から逃れるように曖昧に笑って席に座った。別に何にもない。手が触れた、ただそれだけのことなのだから。ちゃんと攻められるようにならなければ。そう決意してよし、と小さく呟いた。


[ < > ]

[ back ]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -