03

いつも通りの時間に起きてばっちりメイクをしてから家を出る。少しばかり寝不足が祟ったのか顔のコンディションは完璧ではないけれど仕方がない。昨日は遅くまでバリスタについて調べていたのだから。

今日の仕事帰りに本屋さんに寄ってこよう。なんとか次にあのお客様が来るまでには上達しなければならない。時刻は午前8時、無事に今日も時間通り到着した。荷物を置いて受付にある花瓶を両手で持ち水を取り替える。花屋でお勧めしてもらった液状の肥料を入れてから花を整えていると入り口が開く音がしてわたしはそちらへ振り返った。


「…あ、天国さん!おはようございます」

「…おう、おはようさん」


いつも通りばっちり決まったリーゼント、ライダースジャケット。それは変わらないのになんだか少しだけ覇気がないような気がした。毎日挨拶をしてきたけれど、こんなことは珍しい。到着時間だっていつもよりずっと早かった。


(…でも、聞くのも…)


声をかけようか迷って遠慮がちに視線だけ追っていると、天国さんは思い立ったようにこちらを振り返った。びっくりして動揺しながらどうかされましたか!と大きな声を出してしまってとても恥ずかしい。


「新聞はあるか?」

「はい、だいたい揃っていますよ。ご覧になりますか?」

「ああ、頼む。悪いが持ってきてくれるか?」

「…はい!わかりました!」


早起きして毎朝来ていてよかった…!別になんでもない普通のことだけれど、たまたまいるだけでも声をかけえてもらえるのなら十分だ。わたしは今朝届いていた各社の新聞を揃えて抱えると上機嫌で天国さんの部屋へ向かった。

部屋に着けば天国さんはコーヒーを淹れるところだったのか、マグカップを持って立ち上がるところだった。声をかけて新聞を持ってきた旨を伝えればデスクに置いておいてくれと指示され綺麗に整頓されたそこへ置いた。

はぁ、ととても小さなため息が聞こえてわたしの口は勝手に言葉を発してしまっていた。


「あの、今日はどうかされたんですか?」

「…ああ、行きつけの喫茶店が今日に限って休みでな。知らんで行っちまったもんだから朝メシを食いっぱぐれたんだよ」


相槌を打ちながら天国さんはモーニング派、と頭の中の辞書に速攻で刻みつける。優雅に新聞を読みながらコーヒーを飲む姿を想像してみて、あまりにも様になっているので早く同僚に報告したい。小さな愚痴を零しながらコーヒーメーカーの前に立つと天国さんはちらりとわたしを見た。


「!なぁお前…。ちょっとついでにコーヒーも淹れて来てくれねぇか?」

「…えっ、コーヒーを?!わ、わたしがですか…?!」

「あーいや、別に忙しいなら鎌わねぇんだが…」

「いえ!!全然忙しくないです!!…けど…」


語尾が小さくなるわたしに天国さんは首をかしげる。あの、その、と目を泳がせてどう答えるべきか考える。きっとまずいと言われてしまうけれど、こんな機会を逃すのも惜しい。全く言葉を発しなくなったわたしを怪訝そうに見て眉間にシワを寄せながら続きを促される。誤魔化せばよかったのにわたしは昨日から悩みに悩んでいたことを口にしてしまった。


「…わたし、まだバリスタの勉強できていないので…」

「…バリスタ?んなもん普通勉強してねぇだろ」


頼むわ、と白と黒のマグカップを手渡されてから断れるはずもなく、わたしは給湯室へ向かった。綺麗に洗われたカップを見て、初めて私物に触ってしまったと慌てて落としそうになったのは内緒だ。せめて少しでも、とスマホでコーヒーの淹れ方を調べて真似してみる。お湯は95度…?わたし、いつもどれくらいでやっていたんだろう。でも急がなくちゃ、あまり待たせてしまってもいけないよね。天国さんは今モーニングを逃して傷心中なのだから。

香りは大丈夫、多分。自信はないけれどわたしにできる最善は尽くせたと思うので再び天国さんの部屋へ向かう。ダメだと言われたらバリスタの勉強をして再トライさせてもらおう。中に入れば天国さんはソファに腰掛けて新聞を読んでいた。


「お待たせしました、どうぞ」

「おう、サンキュ」


まだ熱いコーヒーに顔を近づけて香りを確かめる天国さん。それは当然だ。いつもお客様にお出ししているコーヒーがまずいなんてあってはならないのだから。ちらりとその表情を見ても読めない。眉間のシワは深くはないけれど確かにそこに刻まれている。そしていよいよ口に含むところでわたしは見ていられずお盆をぎゅっと抱きしめて視線を下に落とした。

どうしてもっと早く気がつかなかったんだろう。天国さんがコーヒー好きだなんてなんとなく察することはできるし、そもそもまずいコーヒーを出していたなんて受付嬢失格である。謝る準備を万端にしてわたしは勇気を振り絞って天国さんの顔に視線を戻した。


「…うまいな」

「…そうですよね、本当にすみません…やっぱりうまいですよね…。……え?」

「何で謝ってんだよ」


笑いながら持っていた新聞紙をぽんと机に置くと天国さんはもう一度コーヒーの香りを確かめていた。今、確かにうまいと言いましたか?聞き間違いでなく?


「香りもいいな、豆はどこのだ?」

「えっと、近くのコーヒー豆の専門店で…。ごめんなさい、種類まで把握できていなくて!」

「いや、構わねぇよ。あそこか、俺もよく行くな。あそこのやつなら間違いねぇはずだ」


コーヒー豆専門店が行きつけだとインプットした。いやそれも大事だけれど、さっきの言葉はどういう意味?うまいって何?馬?ウマイ?


「天国さん…、わたしの淹れたコーヒーまずいんじゃなかったんですか…?」

「?なんでだよ。美味いって言ったろ?」

「…そう、ですか…よかったぁ…。あ、でももっと美味しく淹れられるように頑張りますね!」

「そりゃあ楽しみだな。今度から来客の時は俺の分も頼むわ」

「…!は、はい!わかりました!」


ぺこぺこと頭を下げて部屋を出て思い切り顔を緩ませた。スキップでもしそうな勢いで戻ると同僚が出勤していて、興奮気味に駆け寄れば冷たい目で見られてしまった。それでもさっきまでの出来事を話せばよかったねと言ってくれた。

まだまだお近づきになれたわけではないけれど、あいさつしかできない関係よりはマシ…だと思う。デレデレしながら席に着くとお盆返して来なよと冷静に言われて少しだけ我に返った。

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