トランクィッロ 19

暖かな陽射しがカーテン越しに差し込んでほのかに眩しい。小鳥たちの歌声が少しずつ大きくなって頭は覚醒してきても、まだ微睡の中にいたくて心地よいシーツへ潜り込んだ。

戦いが終わって青き星へ戻ったわたしたちは、まだまだやるべきことがあるけれどまずは身体を休めようと皆それぞれの帰る場所へ帰っていった。無事だと耳にしてはいたものの、やっぱりこの目で確認したかったからわたしはお父さんとお母さんが待つバロンの自宅へ向かった。わたしたちが戻ることは知れていたらしく、暖かく迎えてくれた両親と再会を果たして安心し切った後、泥のように眠りについたのだった。


(帰ってきたんだなぁ)


こんなにゆっくりと眠ったのはいつぶりだろう。軽くなった身体を伸ばしてベッドから下りると窓を開け放った。ふわりと吹き込む風が気持ちいい。今日は城や黒魔道士団の状況も確認したいし、任せきりにしていたアルに会いに行こう。そうと決めて準備を始めようとしたとき、ちょうどお腹の虫が声を上げた。やっぱりその前にご飯を食べてからにしよう。

部屋を出て廊下を歩き、リビングに入る手前で入れ違いに出てくる父と会った。黒魔道士のローブを羽織りとんがり帽子を小脇に抱えている父はどうやら急いでいるようだ。


「お父さん、どこか行くの?」

「あぁ。ミンウ長老に用があってな」

「そっか。行ってらっしゃい」


ミシディアのミンウ長老とお父さんはもう長い付き合いで、それこそミンウ長老直々に黒魔法の手解きを受けたこともあるくらいには親しい。だからこうしてミシディアへ向かうことは日常的にあった。


「じゃあアイリス、今日は任せたぞ。失礼のないようにな。詳しくは母さんから聞いてくれ」

「…何の話?」


問いかけに答えることなくお父さんは急ぎ足で家を出て行った。デビルロードを使っていくのだから、どうせすぐに到着するのに。ここで首を捻っていても仕方がないし、ともかく今はお腹がすいた。再びぐぅ、と鳴るお腹を抑えてお母さんの元へと向かった。




****




「アイリス様、お綺麗ですわ」

「…うん、ありがとう」


目の前の鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめて目を瞬かせる。たっぷり刺繍の施されたライラック色のドレス、真紅の口紅が際立つメイクにまとめられた髪の上にはドレスとおそろいの帽子を乗せられている。


「似合ってるわね、昔お母さんが着ていたものよ」

「…お母さん。ねぇ、本当にわたしが行くの?」


準備をしてくれた使用人が出ていったと思ったら入れ違いでお母さんが入ってくる。満足そうな顔で褒めてもらって、確かにドレスはわたしだって気に入ったけれどそれとこれとは話が違う。息が詰まりそうなのはキツく締められたコルセットのせいか、緊張のせいかわからない。


「あなたももうすぐ20歳よ。そろそろいいんじゃないかって話していたところだったの」


ちょうどよかったわ、なんて言われてもいきなり1人で行くなんてあんまりじゃない。しかしいくら不平を言ってももう父は出かけてしまったし、馬車の手配までしている母の気が変わることはないだろう。

貴族会議。バロンは軍事国家であるけれど、重要な決定は貴族会議を通される。国家の資金源ともなる彼らには当然その権利があるからだ。そして今このタイミングで急遽会議を行わなければならない理由があった。


「王位継承者の選定…」


陛下……、前陛下は戦乱の中で命を落とされたということになっている。事実、戦いが表面化するより前にいなくなっていたのだけれど今更そんな事実を明かしたところで仕方ないからそれはいい。そして陛下には後継となる御子息がいないままだった。だからこそ、誰を次期王にするかを早急に決めなくてはいけなかった。

元より城へ向かうつもりだったけれど、まさかこんな形で宮廷を訪れることになるとは。普段は近寄らないここは煌びやかに飾り付けられていて、戦乱の中でも運良く被害を受けることはなかったらしい。それにしても、こんな重要な会議が初めての貴族会議だなんて荷が重すぎる。


「おや、これはオルテンシアの御令嬢殿」

「ご無沙汰しております、グリンデル卿」

「いつの間に当主になられたのです、もしやお父上は……」


武器商を営み諸外国への輸出も取り計らうバロン随一の公爵家。前陛下とも親しく、飛空艇開発の資金も大幅に工面したグリンデル家。幼い頃に会った以来、久しぶりだけれどあの頃の印象と変わらず大きなお腹を揺らしている。縁起でもないことを口にしているというのに、その顔は嬉しさを隠しきれていなかった。


「いえ、現在も当主は父です。本日は代理として」

「ふむ、このような重要な議題で当主が不在とは、魔道士殿のお考えはやはり我々には理解しがたいですな」

「…次期当主として恥じぬよう勤めさせていただきますわ」


嬉しそうな顔とは一転、不機嫌そうに顔を歪ませてあからさまな嫌味を受けて流石に頭にきたけれど、ここで言い返してはダメだと精一杯の愛想笑いを浮かべた。グリンデル卿は昔からことあるごとにわたしの家にいちゃもんをつけてくる。魔道士がそれほど嫌いなのか、単に父と反りが合わないのか。

彼の息子は近衛兵として顔見知りだが、父親とは正反対の気の弱い性格で代替わりさえすればこんな風に衝突されることもなくなると思う。もっとも、当主に向いているかといえばなんとも言い難いところだけれど。


「それでは、皆様お揃いのようで。本日集まっていただいたのは他ならぬ、このバロン王国の新しい陛下を選定するために御座います」


初老の男性は本来なら陛下が座っているべきのぽっかり空いている座席にちらりと目を向けた。前陛下への追悼が終わると同時に待ってましたと言わんばかりにグリンデル卿の隣に座る男が声を上げた。


「ぐ、グリンデル卿は奥方が前陛下の血筋と伺っております。ご子息は直系でなくとも王家の血を引くお方であり、国王にはふさわしいのでは…」

「なるほど。卿、それは真ですかな?」

「いかにも。妻と前陛下は従姉妹に当たり、直系の王子がいないとあれば我が息子は必ずやバロンのために使命を果たしましょう」


へこへこと頭を下げる男に満足そうに髭を撫でるグリンデル卿は自信たっぷりに周囲を見渡した。このままでは本当に彼の息子が陛下になってしまう。そうなれば実権は父親が握っているようなものだろう。黒魔道士団を守っていくためには避けたいところだし、流石にもう少ししっかりとした人に務めてもらいたいものである。


「他に候補として推したい者はおりませぬか?」

「…セシルみたいな人だったらな…」

「英雄、セシル・ハーヴィですな」


ぽつりと呟いた言葉を拾われて、慌てて顔を上げた。鬼の形相で睨みつけてくるグリンデル卿に萎縮しながらもはっきりと頷いた。


「確かに国民の間では戦乱の英雄を推す声が大きいようです」

「ふん。英雄といえど、王位にはふさわしくあるまい」


奴は暗黒剣の使い手ではないのか?そんな男を国王として迎え入れるわけにはいかないだろう。生まれも不明で孤児として育った者だぞ。その名が出ることはわかっていたのか、早口に反対意見を並べる彼に一つだけ訂正しておいた。


「セシルはパラディンの称号を得ています。暗黒剣は既に過去のものに」


知らなかった人も多かったのか、パラディンと聞いてどよめきが起こる。聖なる騎士、英雄。考えれば考えるほどにセシルよりも相応しい人なんて思い当たらないくらいには完璧な人選だと思う。当然、彼が引き受けてくれるかは別の問題だけれど。

どうにか自分の息子を王位に就かせたいグリンデル卿は口を歪ませて周囲を睨みつけていた。それに怯んで次々と皆が口を閉ざす中、カインが卿を呼んだ。


「貴殿も知っての通り、バロンは軍事大国だ。先の陛下もまるで伝説の騎士、オーディンの生写しだと謳われたお方だ。軍を指揮していく以上皆の先頭に立てる人物が望ましいだろう」

「カイン殿も仰る通り、陛下は素晴らしいお方でした。セシル・ハーヴィ、彼ならきっと陛下を上回るほどに皆を正しい方向へと導いてくれる。彼にこの国の未来を託してみませぬか」


満場一致、最後まで渋った卿までもが頷いて次期国王が決定された。




****




「はぁ〜、息が止まっちゃうかと思った」


堅苦しい場から解放されてバルコニーの手すりにもたれかかった。会場を出た後すぐに声をかけてくれたカインと2人、見慣れたお城の人気が少ないところを選んで張り詰めていた気を緩める。人気が少ないといっても、今やバロン城に前のような活気はないのだけれど。


「カインも来てたんだね」

「これで一応当主だからな」


ずいぶん昔に家を継ぐことになったカインにとっては慣れた場なのだろう。わたしもいつかは堂々としていられるんだろうか。そんなことを考えながら遠くに見える城門を眺める。今日のところはまた家に帰ることになっていて、会議が終わる頃に馬車を手配してくれているらしいからそれまではここで休むことにした。


「本当にセシルが陛下になるなんて、何が起こるかわからないものね」

「お前が言い出したんじゃないか」

「カインだってぴったりだと思ったでしょ?あ、そうだ!セシルが王様なら、カインは大臣になるの?」


陛下の右腕といえば大臣。セシルだって気心知れた親友が務めてくれれば心強いだろう。かつての近衛大臣、ベイガンがいつも陛下のお側で支え続けていたように。


「フッ、馬鹿なことを言うな。俺には務まらんさ」

「そんなことはないと思うけど」

「…いや、本当に俺にはできん」


顔を俯けたカインの横髪が風に吹かれて揺れる。一瞬見えた表情が暗いように思えたけれど、次の瞬間にはまたいつものカインに戻っていた。


「ところでアイリス。お前もそんな格好が似合うようになったんだな」

「そりゃあ、わたしだってもう子供じゃないんだから」


子供の頃は両親に連れられて畏まった場に行くこともあった。そんなときは子供ながらに着飾らせられるのだけど、当然子供用なわけで。お城勤めになってからはそんな機会を全部パスしていたとはいえ、今更子供扱いされるのは気に入らない。思わず口を尖らせて反論したところで笑いながら言葉を返される。


「わかってる。見違えたんだ。綺麗だな」


素直に褒めてくれるなんて思っていなくて、こういうときになんと返したらいいかわからない。照れ隠しにそっぽを向くと微かにゆったりとした音楽が聞こえてきた。宮廷ではもう舞踏会が始まっているらしい。こんな世界が大変な時に、争い事が終わってしまえば貴族たちにはなんの関係もないとでも言うように羽を伸ばして楽しんでいた。


「カインは行かなくていいの?当主なんでしょ」

「あまりその気にはなれんな。お前は親父さんの代理として顔を立てなくていいのか」

「わたしも行きたくないわ」

「そうか。……まさか、踊れないのか」


真面目に心配されるものだから慌てて否定の声をあげる。わたしだってワルツくらい当たり前に踊れる。確かにカインの前で披露したこともなければそんな話をしたこともないけれど、いくらなんでも馬鹿にしすぎだわ。冗談だと笑うカインに大袈裟にため息をついて、それでも前のような日常に戻れていることが嬉しかった。

カインがこちらを向いて片膝をつき、手を差し出す。何?これも冗談?一瞬ドキリと鳴った胸を誤魔化すように笑ってみせる。いいや、これは違う。ニヤリと持ち上げられた口角に、言いたいことがわからなくて疑問符が頭の中を支配した。


「せっかく着飾ってるのにもったいないだろう」

「えっ?ちょ、ちょっと…!」

「ほら、踊れるんだろ」


カインの手がわたしの手をそっと握り、もう一方は腰に添えられる。間近で目を細めて笑うカインにもう鼓動を抑えられなくて、流れるようにリードされ気がつけばわたしはステップを踏んでいた。星空の照明の下で2人きり、小さく届く音楽に身を委ねて。触れ合う場所がとても熱くて、この熱がカインにも伝わっているのだと思うとすごく恥ずかしい。

目が合って慌てて視線を外した。ずっとこの時間が続けばいいと思うけれど、これ以上触れ合っているのなんて耐えられない。早く終わって、まだもう少しこのままで。その2つがぐるぐると回るわたしの心をよそに、数分後には当然ながら音楽は終わり静かな時が訪れる。

冷静を装ったまま肩に添えた手をおろそうとした時、カインの落ち着いた声がわたしの名を呼んだ。腰に添えられた手にぐっと力を込められて引き寄せられる。カインは少し悲しそうな、悔しそうな、そんな表情を浮かべていた。


「アイリス、少しだけこのまま聞いてくれるか…?」

「カイン…?」

「俺はバロンを立とうと思う。今のままでは自分を許せん」


言葉を理解するのに少し時間が必要だった。カインの服をぎゅっと握って息を深く吸い込み、濃紺のビロード織のジャケットを眺めて今は纏っていない竜の鎧を思い浮かべる。そうすれば彼の心の内はすぐにわかってしまった。


「そ…っか。……もう、ここには戻らないの…?」

「約束はできん。だがいつか父を超える竜騎士になれたなら、そのときは」


真っ直ぐな瞳にカインの覚悟を知った。いつも約束を守ってくれるカインだから、出来ない約束はしないのだ。誰より竜騎士の誇りを持つカインだから、他の誰が許したって自分を許せないんだ。だから何を言っても気持ちは変えられないのだと分かった上でわたしは口を開いた。


「本当はね、カインにはずっとそばにいて欲しい。わたしたちのそばにね」


だけどカインが決めたことなら、きっとそれが一番なんだと思う。そう続けて握っていたカインの服から手を離した。見上げた顔は真剣な表情でわたしを見つめ返している。


「ねぇ、一つだけわがままを言ってもいい?」

「…あぁ、なんだ?」


背伸びをしてカインの首へ手を回す。大好きな金色を纏めるリボンの端をつまんで引き抜けば、するりと解けてさらさらと髪が広がった。手にしたのはわたしのリボン。彼が無事でいてくれるようにと何度も祈りを込めたお守りのリボンにもう一度目一杯の魔力を注ぎ込んでカインへ差し出した。


「これをずっと持っていて。返してくれるつもりだったんでしょう?」


受け取ろうとしないカインの手の中にリボンを押し込める。あの日、ミストの村へ任務へ向かうカインの無事を願った時と同じ。ただの願掛けとも呼べる根拠のないお守りであっても、きっと彼を守ってくれる。


「もう返さなくていいから、無くさないでね。世界のどこにいたっていいから、無事でいてくれたらそれでいいから…」

「アイリス…。わかった、約束しよう」


小指と小指を絡めて幼い頃からの習慣通りに指切りをした。ただ違うのは、この手を離したくないこと。離せば遠くへ行ってしまう。どうかまだ、今だけは。


「最後にお前と話せてよかった。まだちゃんと礼を言っていなかったな。俺はお前のおかげで自分を取り戻せたんだ」

「わたしの方こそ、何度も助けられたよ」


繋がれた指と指はまだ離れない。カインだって少しはここにいたいと思ってくれているのかな。そんな淡い期待は持たない方が幸せなのに、何か考えていないと涙が溢れてしまいそうだった。アイリス、名前に続いて何かを言い掛けたカインの言葉を遮るように馬車の音が聞こえた。


「さあ、迎えが来たな。俺ももう行く」

「…うん…」


解かれる指、離れていく手の温もり。もう2度と会えないかもしれないのに、乾き切った唇はろくに動かない。なんと言ったらいいのだろう、さよならは言いたくなくて、またねと言って縛り付けるのも嫌で。

遠ざかるカインの姿が涙でにじむ。行かないでと引き止められるならどれほどよかったか。あなたに恋をしてどれほど経ったのだろう。所詮わたしは、今でも背中を見つめるだけのただの幼馴染でしかない。

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