トランクィッロ 18

水も草木もない乾いた大地が広がり、見上げた空は夜よりも暗い。空に浮かぶ青い星が太陽の代わりと言わんばかりに輝いていた。初めて見た自分が暮らす星は思っていたよりずっとずっと綺麗だった。

魔導船は想像以上に早く月へと到着した。だからこそ、あの星から来たのだと言われてもいまいち実感が沸いていない。月に来るのが初めてではない仲間達でさえ慣れない場所に居心地の悪さを感じているようだ。

聞かされていた目的地である”月の民の館”は、話に聞いていてもこんな荒れ果てたところにあるなんて信じられない。人が住んでいる気配なんて少しもないこの地で洞窟を越えてたどり着いたそこは周囲の景色とはまるで似つかわしくないほどに大きく立派な建物だった。


「ここが、月の民の館?」

「あぁ…この先にいるはずだ」


セシルの兄であるゴルベーザ、そして伯父のフースーヤ。2人はもうゼムスの元にいるだろうか。月の大地は静まりかえっていたけれど、中はそれ以上に物音一つしない。足音や呼吸までもが響いてしまいそうなそこはバブイルの塔で見たクリスタルルームと似ていた。台座に置かれた8つのクリスタルはわたしたちが足を踏み入れるときらりと輝く。


<我々は月のクリスタル…>

<バブイルの塔が破壊され、ゼムスの封印が解けました>


台座から浮かび上がってくるりと回りわたし達に語りかけるクリスタル。その声は暖かいのにどこか急かすようだった。


<これでゼムスの下まで行けるはずです>


たった1人を封印するためにしては随分と強固なつくり。建物もクリスタルも全てが。しかしそれが崩れようとしているのならば時は一刻を争うのだろう。それぞれの武器を握りしめてわたしたちは月の民の館の地下へと駆け出していった。




****




途中、立ちはだかる強力な魔物と対峙しつつクリスタルが導いたゼムスを打ち破るための力を手に入れてたどり着いた最深部にはゼムスと対峙するゴルベーザとフースーヤの姿があった。戦況は拮抗しているように見える。たった1人で2人の強力な魔道士を相手にするとは、やはりゼムスの力は計り知れない。


「もう一息じゃ、パワーをメテオに」

「いいですとも!」


ぴたりと合った詠唱でメテオを喚ぶ呪文が紡がれる。2人分の魔力が込められた隕石は容赦無くゼムスへ襲いかかり、わたしたちは眩い光に目を覆ってこちらまで及ぶ衝撃に身構えた。


「この体、滅びても……魂は……ふ…め…つ……」


薄らと目を開けて見えたのはゼムスの体が朽ちていく景色。苦しむ声は小さく消えてゆき、闇を打ち砕いたゴルベーザは掲げていた腕を下ろしてその姿を最後まで見つめていた。


「倒した…」

「愚かな…。素晴らしい力を持ちながら、邪悪な心に躍らされおって……」


月まで追いかけて駆けつけたが一足遅く、陽気に喜びの声をあげるエッジの声が響いた。わたしたちに気がついた2人が振り返る。


「もう、調子がいいんだから」

「へへっ、俺がブチのめすはずだったのによ!…しかしまぁ、」


こりゃあそんな空気でもねぇな、さすがのエッジも口を挟むことを憚られるのはお互いに視線を交わしているのに言葉が出てこないセシルとゴルベーザ。ローザが心配そうに見つめる中、わたしやカインも何も言えずにいた。考えなしにここまで来たわけではないのに。…ううん、やっぱり、全てが終わった後のことはあんまり考えていなかったのかもしれない。ただゼムスを倒さねばと使命感が身体を動かしていたから。

セシルが顔を上げるが早いか、低い声が辺りに響くのが早いか、地鳴りと共に明かりが消えて闇に包まれる。


「我は…完全暗黒物質……ゼムスの憎しみが増大せしもの……我が名はゼロムス……どんな、手を使ってでも……!!」

「そんな…」

「全てを…憎む……!!」


ゼムスの面影すら残らないゼロムスと名乗ったその物体は抑えきれずにこぼれ出るほど大きな魔力を全身から放っていた。その赤く光る瞳がわたしを捕らえたと思った次の瞬間、引力によって引き摺り込まれている。


「くっ…」

「アイリス!」


抵抗したところで身体は鉄の塊のように言うことを聞かない。それでもこんなところで負けるわけにはいかない。ここで全てを終わらせるんだから!


「…ゼロムス!あなたの思うようにはさせないわ!!」


重力魔法を打ち消すには重力魔法。反対の向きに力を加えればいい。グラビガの呪文を唱えて重力の方向を定める。


「…なぜ…なぜだ、この下等生物が!」

「今よ!」


自身の魔法が破られて、そしてわずかにわたしの魔法による重力に引っ張られてゼロムスに一瞬の隙ができる。当然見逃されなかったそれにゴルベーザとフースーヤはゼロムスへ再びメテオを放った。


「…死してなお憎しみを増幅させるとは……」

「ゼムス……いや……ゼロムス!今度こそ私の手で消し去ってやろう!」


激しい隕石が収まり、砂煙の中からゼロムスが姿を現す。2度目の究極魔法を使うなんて無茶をしたというのに、まるでゼロムスのことを守る壁でもあるかのように彼は無傷だった。ここまでか、絶望すら覚える状況。せいぜい均衡を保つことくらいしか出来ない。それだっていつまで保つかわからないのに。


「ゴルベーザ!クリスタルを使う時じゃっ!」


フースーヤの声が響いてゴルベーザは光り輝くクリスタルを取り出した。それを掲げればゼロムスは一瞬怯んだように見えたけれど、クリスタルを持ってしてもゼロムスの闇を照らすことはできない。


「暗黒の道を歩んだお前がクリスタルを使おうが、輝きは戻らぬ。ただ暗黒に回帰するのみだ!死ねッ!」


仕返しとでもいうのか、ゼロムスが唱えたメテオが降り注ぎ、ついにゴルベーザとフースーヤは膝をつき地に伏せた。立っていることもままならない中、ゼロムスの声だけが響く。全てを闇に包んで彼の憎しみはさらに大きくなっていく。次はお前たちの番だ、視線を向けられただけで身体が動けないほどの思念に囚われた。もう、だめかもしれない…。


「に…兄さん…!」

「セシル、これを…!お前が、使うのだ…!」


クリスタルを受け取ったセシルは力を振り絞って立ち上がり、それを高く掲げた。セシルの持つ聖なる輝きが宿り、クリスタルは再び光を取り戻す。クリスタルならあの憎しみを断ち切れる。そう思って自分の魔力をセシルへと送った。気のせいかもしれないけれど、ほんの少し光が強くなった気がする。

そしてわたしだけじゃなく周りのみんな。そしてどこからか不思議な温かさがセシルのところへ集まってきた。その度にクリスタルは輝きを増し、よりセシルと共鳴しているように見えた。


「我が弟よ!お前に秘められた聖なる力をクリスタルに託すのだ!」


ゴルベーザの言葉に力強く頷き、セシルはクリスタルを掲げて剣のように振りかぶる。強く光ったと思えば、あたりを包んでいた闇は晴れて憎しみと化したゼロムスは今度こそその身を灰すら残らないほどに砕かれて消えていった。


「……我は…滅びぬ……生あるものに、邪悪な……心が…ある限り……」


邪悪な心がある限り、ゼロムスはー憎しみはー消えない。どんなものでも、正なる心と邪悪な心を持っている。セシルを褒め称えたフースーヤはそう語った。


「迷うこともあるだろう。だが、お主ら青き星の民はもう我ら月の民を超えたのかもしれん。そなたの力を信じなさい。…さて、」


そろそろ眠りにつくというフースーヤ。月の民は長い眠りについて、いつか訪れるであろう未来を待っているのだという。そなたらは?その問いに答えたのはセシルだった。


「僕らの星へ戻ります」

「みんなが待っているんです!」

「そうか。素晴らしい仲間を持ったな」


セシルの伯父である彼が優しく笑った顔は、セシルにとてもよく似ていた。きっとローザも同じことを思ったのだろう、彼女の方がそれに対して嬉しそうにしている。会ったことはなくてもお父さんも同じように笑うのだろうか。そしてもしかすると兄である彼も…。皆がそれぞれの道へ進もうとしている中、ゴルベーザだけは立ち尽くしていた。


「私も…一緒に行かせてはもらえませんか?」

「お主が…か?」


それまで言葉を発することなく黙り込んでいたゴルベーザはゆっくりと首を縦に振った。もう青き星には戻れない。その声は淡々としていたけれどどこか悲しそうにも思える。真実を知ってさえいれば非難することだって出来ない。だけれど、ここに残った方が彼にとっていいのかもしれない、とも思う。


「長い眠りになるぞ」


既に覚悟を決めている様子のゴルベーザは頷くとセシルの方を向いた。ぎこちない空気が流れて、みんなが2人を見守る。


「兄と呼んでくれたな、セシル」

「……」

「…許してくれるはずもないか。今までお前たちを、散々苦しめてきた私だ……」


拳を握って口を閉ざしたままのセシルは何も言わない。やがてフースーヤに促されてゴルベーザは歩き出した。せっかく会えた兄弟の別れだというのにこれでいいんだろうか。


「セシル、いいの…?」

「お兄さんよ!」


もう行ってしまう。焦る気持ちでセシルの背中を押してしまいたいけれど、それを望まないのにどうすればいいんだろう。カインに助けを求めるように視線を向けても首を横に振られた。2人の問題に首を突っ込むな、なんてそんなことはわかっている。だけど。


「さらばだ」

「ま、待って…!」


気がつけば去りゆく背中に駆け寄っていた。鈍い光沢を放つ鎧に包まれた腕を両手で掴み引き留める。ゆっくりと振り返るゴルベーザは戸惑っているようにも思えた。それでも構わなかった。わたしがここに来たのは最後の決着をつけたかっただけじゃないから。


「これだけじゃ、全然足りないのはわかってるんだけど…」


このまま罪を背負って眠りにつかせてしまうと思うと、どうしても放ってはおけなかった。呪文を紡げば小さな緑色の光がその腕を包み、一瞬で消え去る。覚えたての子供の方がよっぽどマシかもしれない、と思うと急に恥ずかしくなって彼の腕から手を離した。遠目から見ている仲間の視線も心なしか痛い気がする。


「…えっと、それだけ」


依然何も言わないゴルベーザの顔を伺っても、当然ながら鎧に包まれていてその表情はわからない。だけれど纏う雰囲気は随分と柔らかくて、初めの頃に感じていた威圧感は影も見当たらなかった。ゴルベーザの手が自身の腕に触れ、ケアルのかかった箇所をそっと撫でる。


「アイリス、すまなかった…私はお前に…、」

「いいのよ、謝らないで」

「ありがとう、お前と出会えて良かった」

「…わたしの方こそ。ゴルベーザ、元気でね」


今度こそ歩き出したゴルベーザにわたしも背を向けた。また会う日なんて来ないかもしれないけれど、そんな日があればいいと心の奥で願って。何か言いたそうな口を迷うように閉ざしていたセシルはついにその言葉を飲み込み、そしてくるりと魔導船へ向き合った。


「帰ろう、僕らの星へ」


空に輝く青き星。そこへ帰ればまた前のような日常が送れるわけではない。壊れてしまったものは直しても直しきれないくらいに大きく、それ以上に失ったものはもう2度と戻らない。だけど早く帰りたい、そう思った。


「全部、終わったんだよね…?」

「あぁ」


よく頑張ったな、その言葉と同時に頭をくしゃりと撫でられて、溢れ出しそうな涙を堪えた。頑張ったのはわたしだけじゃない。誰が一番だとか決めるものでもないのだけれど、わたしだけが泣いてしまうのはなんだか悔しい。


「それにしても、いつの間に白魔法なんか使えるようになったんだ」

「ローザに教えてもらったのよ」


まだまだだけどね、苦笑いが溢れるほどに陳腐な魔法は先生に申し訳ないくらい。優しいローザは使えるだけで褒めてくれた。

ゾットの塔で見たあの魔導書を思い出して半ば思いつきでやったもの。感覚を掴んだ程度で精度も練度も何もない魔法は、黒魔法だけを極めてきたわたしには新鮮だった。何も黒魔法にこだわる必要なんかない。そのことに気付くことができて、わたしにとってもゴルベーザとの出会いはきっと必要なものだったのだと思う。結果論でしかないけれど、少なくとも目指すべき未来は見つかったのだから。

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