レモン色の眼差し


「イーナ」

名を呼ばれ顔を上げると5長官補佐官のモーリスが居た。ここ、良いか?と聞かれ、はい、と答えると彼は腰を下ろした。シェフが変わり美味しくなったと評判のバードン支部の食堂の昼時の人の多さは相変わらずだ。と云いつつも自分も食べに来ているのだから人の事を言えないのだが。

「お疲れ様です」

「お疲れ」

モーリス補佐官はラザニアを食べる様だ。熱そうに湯気をあげるラザニアは出来たてだろうか、今度食べてみよう、なんて彼が持ってきたトレーを見て思う。

「補佐官はいつもここに?」

「たまたまだ」

「そうですか」

やはりよく分からない人だ。調べた訳ではないが、補佐官がいつも行動を共にするのは当たり前だが大体が5長官だ。それ以外は1人で居る所もよく見受けられる彼が、何故私を気に掛けてくれるのか、どれだけ考えた所で答えは出そうになかった。

「そういえば…」

今日は本部長のモーヴが急にバードン支部を視察に訪れたとあちこちで話題に登っていた。私には上の事はよく分からない、だがこの人は違う。

「本部長の視察って5長官の指示なんですか?」

「違うと思うが…」

となるとやはり、モーヴ自ら何か気になる事があり動いているという事で間違いない。本部長のする事だ、何か理由があるのだろう。

「彼女のする事だ、間違いはないだろう」

「はい…」

「君は、彼女の指示でよく動いているらしいね?」

どこまで情報を掴んでいるのかも分からない相手に、どう答えるべきなのか迷う。モーヴ本部長の動きが知りたい…そういう事なのだろう。

「そんな事ありませんよ。本部長から、一介の局員の私に指示なんて」

「そうか」

試しに聞いてみた、そんな感じがした。私が否定した事で、今の所は引き下がったという風に見えた。偉い人の考える事、意図する事はよく分からない。つくづく私には向かないと思う。

「君は、コロレーの出身だろう?」

「はい、そうです」

「…実家には、帰っているのか?」

何だろう、これは世間話と捉えて良いのだろうか。唐突に投げ掛けられた言葉に返事を返せないで居ると、彼は少しきまりが悪そうに小さく咳払いをした。

「…いや、気にしなくて良い」

「…すみません、驚いてしまって」

世間話だと言ってしまえばそうなのだろう。失礼な話だが、今まで殆どそういった話を聞いてこなかった彼がそんな話を振ってきた事に驚きを隠せない。

「言われてみれば、実家へは久しく帰っていません…、コロレーからもすっかり遠ざかってしまっています」

「たまには、帰った方が良い…ご両親も、心配しているだろう」

「…ええ」

ACCA本部のあるバードン区とコロレー区は隣同士であるのに、本部に異動になって以来帰っていない。補佐官に心配を掛けてしまう程、実家に帰らなさそうな顔をしているのだろうか。

「それはそうと…、ここ最近随分と噂されているが大丈夫か?」

「噂…?」

何だったっけ、と一瞬考えて、エルシーが流した噂を思い出す。まだ流れているんだな、と思ったが、彼女が噂を流してからまだそこまで日数は経っていない。

「他人の彼氏に手を出し、挙げ句にその男の子を身篭ったと聞いたが?」

「!?!?」

噂が思わぬ方向にパワーアップしている事に動揺して、手にしていたスプーンが皿に滑り落ちた。ガシャーンと豪快な音を出してしまったが、どうやら騒がしい食堂内では誰も気に留めていない様である。

「それは見事にない事だらけですね…」

ある事ない事言われているレベルではない。本当に私の噂なのか疑うレベルで、噂がひとり歩きしている。思わず溜め息が出た。

「まるで伝言ゲームの様だな」

そう言って補佐官は少し笑った。妙な噂を流されるのはこれが初めてではないが、人々の記憶から消えゆくまでには時間が掛かるだろう。

「暫くはそんな噂が流れるかもしれませんが、事実無根です。補佐官もどうか、気にしないでください」

「イーナが深く落ち込んでいるのではないかと心配したが、杞憂だった様だな…良かった」

やはり彼はどこか違うのだ。私に向ける眼差しや言葉が、他の人とは異なっている。どう表現するのが正しいのかよく分からないが、何となく温かい。彼の“右”の涼やかなレモン色が微笑んだ様に見えた。

「ご心配お掛けしてすみません」

その“左”には義眼が入っており、見えていないのだと他人から聞いた事がある。そして左目の所にある大きな傷跡の理由は誰も口にしない。何か理由があるのだろう。だが私が探るのもまたおかしい話だ、そう思いながら私の目は補佐官の優しいレモン色を捉えた。

「気を落とすなよ」

「はい」




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