骸誕2010
ハナミズキ



6月9日。
この日は、忘れもしない……

「骸の誕生日だ」

――今年の誕生日はどうしようかな……

「今、長期任務中だったよな」
誕生日までに帰って来られるのだろうか、そう思いながら綱吉は書類整理をしていた。
リボーンに「全部見とけ」と言われて押し付けられたものだ。
皮肉な事に今日に限っていつも仕事を手伝ってくれる獄寺が不在だった。
「はぁ……少し休憩しよう」
どうせ今リボーンはいないのだ。少しぐらいサボったところで文句は言われまい。
綱吉は休憩時間を使って骸の誕生日について検討する事にした。
「何がいいかなぁ………意外と思いつかないや」
だが、なかなか考えがまとまらない。しかももう深夜である。疲労がピークに達して来た頃だ。
「眠いし疲れた……少し寝よう」
綱吉は敢えて睡魔に抗うこともなく仮眠をとる事にした。机に突っ伏する。綱吉はそのまま深い眠りに落ちていった。

夢の中で綱吉は何も無い空間にいた。人の姿も何も見当たらない。
「此処は………」
ただ、綱吉はその空間に見覚えがあった。まさかと思い、虚空に向かって静かに問い掛ける。
「……骸、いるのか」
何も無い空間では声が響かず、すぐに散った。返事は無い。
「骸、いるんだろ?」
もう一度呼び掛ける綱吉。
骸がこの場所にいる事は分かっていた。否、そのことを感じ取っていた。

「流石ですね、沢田綱吉。君の超直感には適わない」

不意に聞き慣れた、しかし暫くの間聞いていなかったテノールが聞こえて来た。
振り向くとそこには出会った頃のままの姿で骸が立っていた。懐かしい黒曜中の制服を着ている。髪は短い。
因みに今の骸は尻尾のように後ろの髪を長く伸ばし、纏めている。10年の間、髪を切らずにいればああなるのだろうか。後頭部で髪を散らす独特の髪形は今も昔も変わらない。
「此処、お前の幻覚空間か?」
「ええ、そうです」
にっこりと人当たりの良さそうな笑みを見せる骸。だが綱吉は何故自分が此処に居るのか分からなかった。
「どうしてオレは此処にいるんだ? お前、まさか何かあったんじゃ」
そう言えば此処暫く骸からの連絡が一切無かった。いつもなら大した用が無くても、綱吉が忙しい時でも、何かしらの形で骸から連絡があった。2日3日に一度は連絡を取り合うのが常例になっていたぐらいだというのに。
骸は押し黙った。
「…………」
「おい、骸?」
綱吉は困惑した。否定しないという事は、何かあったと認めているような物だ。
「何があったんだよ」
「僕は、僕の命はもう、そう長くは保ちません」
「な………それ、本当なのか? 何かの冗談とかそういうのじゃないのか?」
綱吉は怪訝そうに矢継ぎ早に訊ねた。頭が上手く回らない。混乱する。
「沢田綱吉。君はもう、答えを分かっているのでしょう?」
本当に嘘なのか、嘘ではないのか。
骸の声はいつも綱吉を落ち着かせる。綱吉は一つ深呼吸をした。
「………ごめん、少し取り乱した。……向こうで何があったんだ」
「ちょっと色々ありまして」
その物言いからは、何があったのかまでは話す気が無い事が感じ取れた。ちょっと、や色々、を使って誤魔化すのは骸の常套手段だ。彼はこれ以上何があったのかを話すつもりは無いのだろう。

――いつもそうだ。骸はそうやって大切な事を霧の中に隠してオレには何も言わない。

「……何で言ってくれないんだよ、骸。オレには言えないのか」
「そういう事ではありません」
「じゃあどういう事だよ」
昔から骸と会話していると、いつの間にか彼のペースに乗せられ、彼が一体何を言っているのか分からなくなる事がある。今のやり取りもそうだ。随分慣れてきたと思っていたのだが。
綱吉は自分が苛立っているのを感じて一つ、息を吐いた。
「君は相変わらず甘いですね。少し頭を使えば僕が何故言わないのかぐらい分かるでしょう。僕達もう何年一緒にいるんですか」
「そんな事言われたって分かるかよ……」
綱吉は眉を顰め、自暴自棄気味に呟く。
「何があったかなんて話すだけ無駄だと言うことですよ。僕はそんな事のために君を呼んだ訳ではありません」
「じゃあ、何のためだよ」

「……死ぬ前に、君に会っておきたかった、これではいけませんか?」
骸は楽しそうだった笑みを少し困ったような笑みに変えて言った。
綱吉はわざとらしく溜息を吐く。
「お前、それだけのためにオレを?」
「おや、可愛げの無い反応ですね。昔の君なら頬を染めたりでもしていたでしょうに」
「うるさいなぁ、昔と比べんなよ。それよりお前、こっちに帰って来られないのか?」
骸は綱吉の何気ない言葉を聞き、一瞬にして表情を消した。
綱吉は身構える。それだけで骸の言おうとしている言葉が分かった気がした。嫌な予感が胸を過る。
そして、骸の言葉は綱吉の予想を裏切らなかった。
「無理だと思った方が良い。恐らく其方には帰れません」

――ああ、そうなんだ……やっぱり………

「そうか。……どうしてもなのかか?」
「この際はっきり言っておきますが、もう僕が其方に生きて帰って来る事は無いと思います」
骸は希望的観測で物を言ったりはしない。彼は常に現実を見据えている。幼い頃から受けて来た仕打ちの所為かもしれない。
「タイミング、悪過ぎるだろ……」
「僕が帰ったらまた何か予定でもありましたか? ボス」
タイミング、と聞いて骸は何を思ったか意地悪げに笑って訊ねる。
「その呼び方はやめろ、骸」
綱吉は今でも“ボス”と呼ばれる事を厭う。クロームだけは仕方ないが、他の守護者達には“ボス”と呼ばないよう強く言っていた。
「これは失礼。それで、何があるんですか」
「お前、あと少しで誕生日、だったのに」
骸は誕生日、と聞いて虚を突かれたような顔をした。
「そうでしたね……そういえば」
「そうでしたねって……」

綱吉は急に胸が苦しくなるのを感じた。ただ誕生日に帰って来られないだけならばこうはならなかっただろう。だがこのまま帰って来る事は無いとなれば話は別だ。
ひどく現実味が無いようにも感じられた。骸が死ぬなど、今まで考えた事も無かった。
綱吉はずっと、骸は死とは遠い所に位置するどころか、むしろ彼は人を殺す側だとばかり勝手に思っていた。
綱吉は自分の考えの甘さに失望と、恐怖を感じた。
(骸の言う通りだ。オレは甘い……)
「沢田綱吉。君が何を考えているのかは分かりませんが、こういった世界に身を置いているのです。いつ死ぬか分かったものではないでしょう?」
「そうだけど……」
「君はもっと自覚した方がいい。君はマフィアのボスなんです。いつ仲間が、自分が死ぬかも分からない。君や僕達がどんなに強くても、当然死ぬ事はあるんです」
骸の言葉は現実主義者の彼らしく、正論且つ非情だった。だがそれは正しいが故に綱吉の心を深く抉った。
骸は綱吉の傷ついたような表情を見た。自分が思わず喋り過ぎた事を自覚する。
「……ちょっと言い過ぎましたかね。しかし僕の言った事は間違っていない筈です。肝にでも命じておいて下さい。今の君は、昔の君と何も変わっていない」
「…………」
綱吉は目の前に現実を突き付けられ、絶句する事しか出来なかった。昔から大して成長してないと言われては、取りつく島も無かった。自分が嫌になる。
「……そう言うお前は、死ぬの、怖くないのか?」
せめて少しでも話題を逸らせたくて、綱吉は気になっていた事を口にしてみた。死期が近づいていると言うのに、骸が随分平然としているから。
「…………昔の僕なら、肯定していたでしょうね」
「え?」
骸の事だからきっと強がって、又は本気で、怖くないと言われると思っていた綱吉は驚いた。
超直感は、骸は死を恐怖しているのだと告げている。
「昔は死ぬ事など恐くもなかった。エストラーネオにいた頃はまだ幼かったですし、死ぬとは考えていなかった。君と初めて戦った時、あの時は一瞬死も覚悟しましたが、恐いとは思わなかった」
綱吉は骸が語るのを黙って聞いていた。綱吉が相槌を打たなくても、彼は1人語り続けた。
「それが、いざ本当に死を前にしてみればこの様です。……何とも、滑稽でしょう?」
骸は自嘲気味に微笑んだ。その笑みは凄絶で、美しく、儚い物だった。

――こんな骸、初めて見た……

綱吉はただ純粋に驚いた。様々な骸の姿を何年も見て来たが、今日のような骸は見たことが無い。プライドの高い彼が人に辛い表情を見せる事は無い。
綱吉は、ちょうどこの空間に来た時と同じように、静かに問い掛けた。
「骸。他に何か言っておきたい事はあるか? あれば、最期にオレが聞き届けるから」
そう言う綱吉の顔は、立派なボスの顔をしている――と骸は思った。
「君が、そう言うのならば」
綱吉は無言で骸を見つめた。
骸の最初で最期の願い、それは――

「笑って下さい。笑って、生きて下さい」

「え、…………分かった」
綱吉は驚いた顔をしたが、すぐに、何年経っても変わらないあどけない笑みを見せた。今は少年の姿をしているために、余計に幼く見えた。
懐かしい、と骸は思った。屈託の無い綱吉の笑顔には心が洗われる気がした。それを本人に言った事は一度も無かったが。
「骸、」
「?」
綱吉は骸の名前を呼んで一歩近づいた。
骸には綱吉が何をしたいのか分からなかった。
「お前、昔からこんなに背高かったんだな」
自分の頭と骸の頭の高さを比べている。骸は全く訳が分からない。
「何ですかいきなり」
「外国だと挨拶にキスするんだろ? ディーノさんが昔言ってた」
「君、いつも挨拶代わりにキスなんてしないでしょう」
まあな、と綱吉は照れくさそうに微笑んだ。
「これでもう、最期だから」
そのまま、背伸びをして骸の唇に下から自分の唇を軽く押しつけた。
「君の行動は突飛過ぎてよく分かりません」
骸は突然の事に狼狽え、顔を真っ赤にしている。

「………ああ、クロームの事はお願いしますね。大丈夫だとは思いますが、念のため」
いざとなった時に骸にとって一番心配なのがクロームの事だった。
「分かった。でも犬さん達もいるから、きっと平気だよ。昔のクロームならともかく」
「そうですが。変な虫が着いては大変ですし」
「心配性だな、お前は。他は?」
苦笑する綱吉。
「そうですね、後はお好きなように……」
綱吉も骸も――幻覚空間とは言え――こうして今会っているというのに、死後の話をしている事が可笑しくて仕方が無かった。
「なんか変な感じだな。実感が湧かないというか」
「でも、僕はもうすぐ死ぬんですから」
「そうだな……もう、本当に何も無いんだな?」
綱吉は念入りに確認する。この先会う事はもう無い。
「ええ。…………きっと生まれ変わって、また何処かで会いましょう」
「………じゃあ、またな」
骸の言葉に綱吉は微笑んだまま頷いた。

次の瞬間、綱吉は現実世界にいた。山積みの書類、印鑑や筆記用具が散らかっている。綱吉は体を起こした。
「こういう時に限って夢オチじゃないんだな、骸」
1人ぼやく。
「おい、ダメツナ」
不意に後ろから声を掛けられた。振り向くとそこには今でも綱吉をダメツナと呼ぶ、たった1人の人物。
「リボーン、いたのか。……今から、飛行機のチケット取れるか」
「……骸の所に行くつもりか?」
「今、死にかかってるらしい。間に合うとは思わないけど」
死、と聞いたリボーンは眉間に皺を寄せた。
「分かった、用意してやるからその書類さっさと片付けろ」
リボーンはそれだけ言い残して踵を返した。


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