捧げ物 | ナノ


ふたつの頬花 前編
夕方、仕事から戻った夜天と美奈子は誰もいないリビングでのんびりテレビを見ていた。

「夜天君。何か飲む?」
「ん?じゃあコーヒーお願いしてもいい?」
「いいわよ〜♪」
「手伝おうか?」
「だいじょぶよ☆」
「そ?」
「うん」



「ミルとコーヒーメーカーは下に〜♪フィルターは引き出し〜♪」
美奈子は上機嫌に歌いながらおいしいコーヒーを入れる準備をしていた。
「コーヒー豆は戸棚〜♪」

ミルで豆を挽き、コーヒーメーカーにフィルターを入れ準備完了。
あとはおいしいコーヒーが抽出されるのを待つのみとなり、コーヒー豆を元の場所に戻した時だった。

「…ん?何これ?」

小さな台に乗っていたため、コーヒー豆の容器や、紅茶の缶などに隠されるように小さな巾着が置かれているのが視界に入った。

「何でこんなところに?誰のかな?」
美奈子は巾着の口から中を覗きこんだ。
「よく見えないわね…えいっ」
袋をひっくり返して振ると中からコロンとキャンディのような包みが二つ転がり出てきた。

「飴?ん?」

巾着の中はカサコソと音がして、まだ何かが入っているようだった。
美奈子は指でそれをつまみ出す。

『絶対に食べちゃダメ!絶対だからね! 亜美』

綺麗な文字でそう書かれていた。

「亜美ちゃん?」
美奈子はその小さな紙切れを三度しっかりと読んだ。

「ふふっ。あの亜美ちゃんがこんなトコロに飴を隠すなんてよっぽどおいしいに違いないわ!やってんくーん♪」

美奈子は転がり出てきた物を手に、リビングに行った。

「あれ?コーヒーは?」
「ちゅーしゅちゅちゅー」
「ハイもう一回」
「抽出中」
「よく出来ました」
「そんな滑舌とか今はどうでもいいのよ!」
「良くない。で、何?」
「これ見て!」

美奈子が手のひらに“謎の飴”を二つ乗せて夜天に見せた。

「……飴?」
「たぶん!」
「多分?」
「隠してあったの」
「どこに?」
「上の戸棚に」
「美奈…何でそんな所に飴を隠すのさ」
呆れたように言った夜天に美奈子はブンブンと頭を横にふる。

「あたしが隠したわけじゃないの!亜美ちゃんよ!」
「はぁ?水野がそんなワケわかんないことするわけないでしょ」
「ホントよ?ほら」
美奈子は入っていた紙切れを夜天に見せた。

「どう思う?」
「食べないほうがいい」
夜天は即答した。

「なんで?」
「真面目な水野がイタズラでこんな事を書くと思えない」
「じゃあなんでわざわざ戸棚に隠してたの?」
「さぁ?何かわけがあるんじゃないの?」
「きっとすごく美味しいのよ!」
「だったらわざわざ隠さないで食べちゃうでしょ?」
「あとでこっそり食べようとしたとか」
「月野じゃあるまいし…」
夜天が呆れて言った。

「ねぇ、夜天君?」
「やだ」
「まだなんにも言ってないのにっ!」
「聞かなくても分かるよ!
僕を共犯者にして水野に内緒でこっそり食べるんでしょ?」
「さっすがあたしの夜天君!分かってるぅ〜」
「分かりたくないよ…」
夜天は溜め息をつく。

「飴なら今度僕が買ったげるから、それは元の場所に返してきなさい」
「うぅっ…わかったわよぉ…」
美奈子はしぶしぶキッチンに戻って行った。

ちょうど出来たコーヒーをマグカップに注ぎ、自分のマグカップに砂糖とミルク、夜天のマグカップにはミルクのみを入れスプーンでくるくると混ぜた。

黒かったコーヒーが色付くのを見ながら、美奈子はふと思いついた。

『そのままがダメならコーヒーに混ぜちゃえばいいじゃない』

“美味しいに違いない飴”をコーヒーに混ぜてしまうのはいかがなものかと一瞬は思った。
しかし美奈子は、あの亜美がわざわざ隠していた物という事に好奇心が疼いた。

そして夜天が来ない事を気配で確認して、包みの両端をそっと引っ張った。
くるんと回転して、中からはコロリとまあるい物が出てきた。

「わぁ…キレイ」

それは飴と言うよりはビー玉に近く透明でキラキラしていた。
指に少し力を入れるが、固かった。

(食べ物よね?)
『食べちゃダメ』と書いていたと言う事は食べられるはずだ。
もし口にしてはいけないものなら、亜美ならば『これは食べ物じゃないからね』と、書くに違いない。

美奈子はそう結論づけ、とりあえずそれぞれのマグカップにひとつずつ入れてみた。
すると不思議な事にそのビー玉のようなものはみるみるコーヒーに溶けた。

(あれ?なんだったのかしら?お砂糖?)

首を傾げながら、とりあえずくるくるとスプーンでかき混ぜると、さっきの“ビー玉っぽい謎の飴”の痕跡はなくなった。

「よしっ!」

満足気に頷き、マグカップを二つ持ってリビングに戻った。

「夜天君。はい、コーヒーお待たせ」
「ん、ありがと。ちゃんと戻してきた?」
「うん」
どうやら美奈子の言葉を信じてくれたようだ。

「いただきます」
コクリと一口コーヒーを飲んだ夜天の横顔を、美奈子は真剣に見つめる。

「なに?」
「あ、ううん。濃さとかどうかなって…」
「丁度いいよ。おいしい」
「良かった。じゃああたしも、いただきます」

美奈子もこくんと一口。

(うん。おいしい。特に甘すぎないって事はお砂糖でもないのよね?
あれ?じゃああれは一体なんだったのかしら?)

コーヒーを飲み干した次の瞬間

「っ!?」
「ぁ?」

夜天と美奈子は強い目眩に襲われた。

二人は持ち前の反射神経と運動能力でマグカップを机の上に置き、そのままパタリと倒れこんだ。





「……あれ?」
「一体なにが?」
時間にして数十秒だが、意識がブラックアウトしたのは間違いない。
しかし、一瞬感じた強い目眩は何事もなかったかのようになくなっていた。

「もうっ!さっきのはなんだったのよ!」
「僕に言わないでよ…美奈が何かしたん───!?」

ふと声のした方に視線を送った夜天はピシッと音を立てて固まった。

「や、やーね♪あたしは何もしてな───!?」
同じく美奈子もそちらに向いて、凍りついた。

お互いアイドルという立場上、鏡をよく見るので間違えるはずがない。

目の前にいるのは“自分”だった。

「え?」「は?」

夜天と美奈子はじっくりたっぷり十秒は見つめ合い

「「どーゆーことーーーーーっ!?」」

悲鳴を上げた。



「なんで僕がいるの!?」
「あたしがもうひとり!?
これが世に聞くドッペルゲンガーってやつね!?」
「美奈!?」
「え?夜天君?ドッペルゲンガーじゃないの!?」
「違うよ!」
なかばパニックになりながら、夜天はしっかりとツッコミを入れた。



「つまりさっきのあれをコーヒーに入れたんだね?」
美奈子の話を聞いた夜天(体は美奈子)ががっくりとうなだれた。

「はぁっ…仕方ない…水野を呼ぼう」
「え?」
「他に方法ないでしょ?
僕らだけじゃどうしようもないからね」
「えぇ〜っ!亜美ちゃんにすっごい叱られちゃうじゃない!」
「いい機会だから本気で水野に叱られなよ。
ついでに僕も叱るからね。覚えときなよ」
「えぇっ…」
美奈子(体は夜天)が涙目になる。

「ちょっと美奈!僕の体で泣きべそかかないでよ!」
「だって夜天君がぁ」
「はぁっ…まったく…」
「あたし達でなんとか…」
「無理!出来るわけないでしょ?」
「やってみなきゃわかんないじゃない!」
「じゃあ聞くけど何をどうするってのさ?
コーヒーが残ってればまだしも…全部飲んじゃったよね?」
「うぅっ…」
「分かったら潔く諦めて水野に連絡を…」

───ガチャ…パタン

「「っ!?」」
玄関から聞こえた音に夜天と美奈子は息を飲む。

二人は小声で早口で話す。
「と、とにかくばれないようにしよう。
美奈は今から僕のふりして!いいね?」
「えぇっ!?そんなの無理よぉっ…」
「いけるよ!女優業もこなせるアイドルを目指してるんでしょ?
僕は美奈のふりするから、いいね?」
「わかったわ…」
「じゃあ───いくよ?」

───カチャリ

「ただいま。戻りました」
ソロの仕事を終えた大気が帰ってきた。

「あぁ、帰ってたんですね夜天。
愛野さんもいらっしゃい」
「“うん。お帰り”」
「“お邪魔してます”」
夜天(体は美奈子)が大気の後ろを見て少しがっかりする。

「なんですか?」
「“ねぇ大気さん。今日は亜美ちゃんは一緒じゃないの?”」
「亜美ですか?今はちょうどレッスン中ですよ」
「“終わったら来る?”」
「えぇ」
「“そっか”」
「亜美に用ですか?」
「“ううん。最近学校以外でゆっくり話せてないなぁって思って”」
「そうですか」

(さすが夜天君!)
美奈子は心の中で拍手を送った。

「あ、そうだ。夜天。
明日、雑誌撮影があったでしょう?」
「っ、“あぁ、うん。それがどうかした?”」
「他の日に変更になるみたいですよ」
「“そうなんだ。いつ?”」
「まだ分からないんですが、決まり次第連絡があるそうです」
「“そっか。またちゃんとわかったら教えてよ”」
「わかりました」

「“じゃあ僕ら部屋にいるから、水野が来たら美奈呼びに来てもらって”」
「えぇ」

夜天と美奈子は部屋に戻る。

「ん…」
大気はテーブルに置かれた二つのマグカップを見つけ眉を顰める。

「まったく…使ったのならちゃんと洗うように、いつも言ってるのに…」
大気の几帳面な性格上、使った物がそのままになっている事は許せる方ではない。

食器やグラス類はせめてシンクまで持って行くように言っている。
ここには食器洗浄機もあるのだから、めんどくさがる事はないたろうにと、大気は思うのだ。

マグカップを持ってキッチンに入り、再び溜め息をひとつ。

「まったく……ん?」

コーヒーメーカーの奥に何やら巾着と紙切れがある事に気付いた。

大気はそれを手にすると、紙切れを読む。

「『絶対に食べちゃダメ』…亜美?」

亜美が食べちゃダメだと強く言いそうなものがあったのかと思いながらそれと巾着をポケットに仕舞い、大気は食器を洗いつつ彼女からの連絡を待った。



「はぁっ…ばれなかったわね」
「うん」
「大気さん勘いいから焦ったわ」
「まぁ、どうせ後でばれるけど…水野が来るまでは誤魔化さないとね」
「そうよね。あたし達もなんで入れ替わったのかよくわかんないし…」
「美奈がさっきのやつをコーヒーに入れたからでしょ…」

「それはそうなんだけど、そうじゃなくて…
なんで亜美ちゃんがそんな物を持ってたのかよ」
「あぁ……言われてみれば確かに…」
「うーん……そんなの売ってるわけないし…」
「自分で作ったんじゃないの?」
「え〜?まっさかぁ。いくら亜美ちゃんでもそれはないわよ〜♪」
美奈子はケラケラと笑い飛ばした。

「僕はそれよりなんであんな所に隠してあったのか聞きたいよ…」
「……さぁ?」
「まぁ、とにかく水野が来るまでおとなしくしてよう…ゲームでもしよっか?」
「うん」
二人は時間つぶしにゲームを始めた。

「ちょっとそれ僕の愛用キャラ…」
「え〜…今はあたしが“夜天君”なのに〜?」
美奈子が夜天がよくするようにイタズラっ子のようにニッと笑って言うと、夜天が負けじとにこりと天使のような笑顔で微笑んだ。

「“そう思ってるんならちゃんとなりきったら?夜天君?”」
「…っ!“分かったよ。美奈こそミスしないようにね?”」



───それから20分後

大気は亜美を迎えに行った。
帰りの信号で止まった時に、ポケットに入っているものを思い出した。
「亜美」
「はい」
「これ…亜美のですか?」
そう聞きながら彼女に巾着を渡した。

「───え?」
亜美は驚いたように“それ”を見つめる。

「これも置いてありましたし」
そう言って、紙切れも渡す。
「それにしても珍しいですね。
亜美が人に食べられたくないほどの物があるとは───亜美?」

大気は巾着と紙切れを受け取ったまま固まる亜美を心配そうに見つめるが、信号が変わったため視線を戻し車を発進させた。

「……どうしました?」
「大気…さん」
「はい」
「あったのは、これだけ、ですか?」
亜美の無機質な声音に大気は違和感を覚えたが、彼女の質問に「そうですよ」と答える。

「そう…ですか」
そう言ったきり黙りこんでしまう。

「あの……大気さん」
もうすぐマンションに着く直前に亜美はようやく口を開いた。
「はい」

「大気さんはこれの中身を見ましたか?」
「いえ。キッチンのコーヒーメーカーのところにそれが置いてあったんですよ」
「家に誰かいますか?」
「夜天と愛野さんです」
「二人に何か変わったところは?」
「……いえ、特には見受けられなかったような気はしますが…
あ、愛野さんが亜美に会いたいと言ってました。
来たら夜天の部屋に来て欲しいそうですよ?」

「……そうですか……」
そう言ったきり亜美は考え込む仕種を見せた。





室内に入ると、亜美は夜天の部屋へ向かった。

───コンコン

「「っ!?来た!」」
美奈子は立ち上がり部屋の扉を開いた。

「亜美ちゃん!!」
そして、そこに立っていた亜美に抱き付いた。
「きゃあっ!」
「っ!バカ美奈!?」

ガタンッと激しい音に驚き様子を見にやってきた大気が目にしたものは───

「……っ、一体亜美に何をしているんですか?───夜天」
美奈子がいつものように亜美に抱きつこうとして、夜天の体だったために体格差から押し倒すような状態になった二人だった。

「〜っ、いったぁ…」
「ご、ごめんね、亜美ちゃん!」
「“亜美ちゃん”?」
「あーあ…」
大気のオーラが怖すぎて、夜天は一歩下がって部屋のドアを閉めたくなった。

「…あぁっ…やっぱり…」
亜美が夜天(中身は美奈子)を見つめてがっくりうなだれた。
「食べちゃダメって書いてあったでしょ!“美奈子ちゃん”!」
「───は?」

大気が何を言ってるんだと言わんばかりに亜美と、彼女を押し倒している“夜天”と、部屋のドアのところに立って頭を抱えた“美奈子”を見つめた。





「なるほど。つまりさっき私が帰ってきた時から愛野さんは夜天で、夜天は愛野さんだったんですね?」
リビングのソファでこれまでの経緯を話すと、大気は状況をすんなり理解した。
「「うん」」
「どうしてその時に言わないんですか?」
「いや、いきなりそんな事言われたって絶対に信じないでしょ?」
「まぁ…確かに。愛野さんがまた何か企んでるのか程度で終わりますね」
「大気さんサラッとひどいっ!」

「まぁ、それはともかくとして───亜美」
「はい?」
「そんな物どこで手に入れたんですか?」

「あたしが作ったんです」
「……」「……」「……」

まるで『ケーキを作りました』と言うのと同じようにさらりと言ってのける亜美に三人は絶句した。

「いやいやぁ…いくら亜美ちゃんでもまさかそんな事…って思ってたのに…」
「ホントに自分で作ったんだ…」

「亜美」
「はい?」
「どうして作ったんですか?」
「なぜ?どうやって?」
「なぜ?の方です」

「また作れるかなぁ?って思って…」
「また?」
「はい」
「前にも作った事があるんですか?」
「えぇ。と言っても前世での話ですけど…」
「「はい?」」
「あっ!!」
大気と夜天が首を傾げ、美奈子が大声を出した。

「あぁっ!思い出した!」
「うん。ね?」

「ちょっと待って。
水野もすっごくいい笑顔で『ね?』じゃないよ!
一体どういうことなの?」

「ごめん夜天君。元はと言えば前世でマーキュリーに薬を作ってって言ったのあたしだった」
あっけらかんと言ってのける美奈子に夜天は軽い頭痛を覚えた。

「亜美、愛野さん。説明をお願いします」
「わかりました」



月の王国───シルバーミレニアム
平穏を望む者が多く、プリンセス・セレニティを守護する戦士だったマーキュリーやヴィーナスもそれは例外ではなかった。

友好だった星々との交流も盛んであった。
定期的に、他の星の人々を招き盛大に立食会とダンスパーティーが行われていた。

その時、マーキュリー、マーズ、ジュピター、ヴィーナスの四人はパーティー会場内と外の警護の任務が割り振られた。

会場の中に二人、外に二人という風に分かれていた。

この時、当然ダンスパーティーが行われているため、いつものコスチュームでいるわけにはいかなかった。

つまりは、パーティードレスに身を包み、他の星から来賓者たちに笑顔で社交的に振る舞わなければならない。

会場外の任務に就いた時は、案内役をしながら警護もしなくてはならない。

会場内の任務に就いた時は、ダンスに参加しながらも警戒を怠らない。

どちらもなかなか神経の疲れる事をしなくてはいけなかった。

マーキュリーは外交官の役職も担っていたため会場内の任務に就く事がほとんどだった。

あとは交代制となっていたが、ヴィーナスは会場外の警護に就く事が大半だったため、実質的にはマーズとジュピターが交代で任務に就いていた。

そんなある日───

『マーキュリー』
ヴィーナスが朝議のあとマーキュリーを呼び止めた。
『なにかしら?』
『ちょっと話があるの…今日中だったらいつでもいいから時間作れない?』
『分かったわ。夜にヴィーナスの部屋に行くわ。それでいいかしら?』
『えぇ』

その夜、ヴィーナスの部屋に訪れたマーキュリーは彼女が淹れてくれたお茶を飲んだ。

『あのね、今度のダンスパーティーの事なんだけど』
『えぇ、いつも通りでいいのよね?』
『まぁ、そうなんだけど…ね』
『何かあるの?』
『クイーンがおっしゃったんだけど……』
『何かあったの?』

『いつも私は会場外、マーキュリーは会場内がほとんどよね?』
『えぇ、そうね』
『たまには任務を入れ替えることも大切だと…』
『そうなの?』
『どう、思う?』
『そうね。クイーンのおっしゃることは一理あると思うわ。
どちらも対応できたほうがいいものね』

『マーキュリー』
『なにかしら?』
『どうして私が外の警護を優先してるかは……知ってるわよね?』
『まぁ……知ってるけれど…』

マーキュリーはうーんと考え込んだ。

『だったらクイーンセレニティに、いつもどおりの警護でいきたいと直接申し上げればいいんじゃないかしら?』
『それが…そうもいかないのよ』
そう言うとヴィーナスは封筒を取り出し、マーキュリーに手渡した。

マーキュリーが受け取ると、封は切られていた。

『読んで』
『えぇ』

今度のダンスパーティーは
ヴィーナスは会場内
マーキュリーは会場外を
警護すること

何事も経験ですよ

クイーンセレニティ

『……』
『マーキュリー』
『なにかしら?』
『おねがい!』
『何を?』
『変わって?』

ヴィーナスの懇願をマーキュリーは溜め息ひとつであしらった。

『たまにはヴィーナスもダンスパーティーに出たらいいじゃない?
貴女と踊りたそうにしている方たくさんいらっしゃるわよ?』
『……嫌よ』
『クイーンセレニティ直々のお達しでしょう?』
手紙をピラピラさせると、ヴィーナスは苦虫を潰したような顔を見せた。

『マーキュリーは私が踊れないの知ってるでしょ?』
『練習すればいいじゃない』
本気で呆れるマーキュリーにヴィーナスはムッとした表情を見せた。

『マーキュリーは完璧に踊れるからそんな簡単に言えるのよ』
『当然よ。かなり練習したもの』
『うっ…』
『それに、変わるなんて無理に決まってるでしょう?
貴女とマーズなら背格好も似ているけれど、私とじゃ体格も違うし…』
『変装して変わってって意味じゃないのよ』

ヴィーナスの言葉にマーキュリーは“何をわけのわからない事を…”と言いたげな視線を送った。

『これを見て』
ヴィーナスが差し出した重厚な背表紙の本をマーキュリーは興味津々の眼差しで見つめた。
『この間、倉庫整理をした時に見つけたのよ』
『あそこにこんな物があったのね』

ヴィーナスはパラパラと本をめくり、あるページで止まるとマーキュリーに手渡した。
『ここ見て』

【change of mind ー精神交代薬ー】
薬を飲んだ者同士の“中身”を入れ替える薬。

『作れる?』
マーキュリーは真剣な眼差しで文字列に視線をすべらせた。

『えぇ、材料に問題はない……わね』
『それを使って入れ替わりましょう?』
『…………本気で言ってるの?』
『もちろんよ』

マーキュリーはヴィーナスを見つめる。
彼女はそんな冗談を言わない事をよく知っている。

『安全性とか解毒薬の事もあるから、今ここで気軽に返事は出来ないわ。
“これ”借りていってもいいかしら?』
『もちろん。良い返事期待してるわ?』
『素直にダンスの練習すればいいと思うのだけれど?』
『そんなこと言って、マーキュリーは作ってみたい衝動に駆られてるでしょう?』

ニッと笑って言うヴィーナスにマーキュリーは困ったように笑った。

『まぁ…そうね。でも仮に私がこの薬を作ったからと言って飲まなくてはいけないわけではないわよ?』
『どこかに保管しておくってこと?』
『そうね。そういう手もあるわね』
『あら…いいの?私達のお転婆プリンセスが見つけ出して飲んじゃうかもしれないわよ?』
『………っ』

あり得なくない可能性に言葉に詰まるマーキュリーにヴィーナスはにこっと微笑んだ。

『これは私とマーキュリーだけの秘密ね?』
『…まったく貴女って人は……。それじゃあ私は部屋に戻るわね』
『うん。わざわざ来てもらってありがとう』
『いえ、それじゃおやすみなさい、ヴィーナス』
『おやすみ、マーキュリー』






ダンスパーティーの三日前にその薬を完成させたマーキュリーはヴィーナスの部屋を訪れた。
ちなみに月の王国のパーティーは長く、全行程を踏まえるとほぼ丸一日に及ぶものだった。

その間、来賓者は用意された部屋で休めるが、クイーンやセーラー戦士である彼女達は休む間もないのだ。

『ありがとう。さすがマーキュリーね』
『念の為に言っておくけれど、当然実証はできていないし、はじめから“解毒薬”はないわ。それでも飲むの?』
『もちろん。マーキュリーを信じてるもの』

そう言って薬を受け取るヴィーナスにマーキュリーは苦笑した。

『…その言い方はとってもズルイわ』
『そう?』



そしてダンスパーティー当日。

二人は入れ替わり、無事に任務を終えた。

踊れなかったはずのヴィーナスが“やむを得ず”ダンスを披露したことで、クイーンと一緒に会場内の警護を担当していたジュピターにすぐにばれた。

そしてその結果、二人はクイーンセレニティからとてつもなく叱られたのは言うまでもなかった。





「と、言うわけなんです」
話し終えた亜美と美奈子に大気と夜天は唖然とした。

「それは…まぁ、わかりましたがどうしてまた作ってみたんですか?」
大気が至極もっともな質問を投げかけた。

「えーっと……出来るかなぁ?って思って作ったんです」
「ちゃんと出来てたようですね」
「はい、良かったです」
「さすが亜美ですね」

「ちょっと待て!そこの頭脳派バカップル!!
全然良くないよ!!僕と美奈はどうなるのさ?」
「時間が立てば戻るんでしょ?えーっと……ほぼ一日よね?」
「そうね」

「……水野……」
「……はい」
「冗談じゃないよ!!今すぐ戻してよ!」
「だから解毒薬はないの」

「そもそもなんでそんな物をあんな所に隠してあったのさ!?」
「あー…っと、えっと…
あ、あんまり自信がなかったので、こっそり隠してみました」

「…っ…あんなところに隠すなぁ!!」
「ご、ごめんなさい」

「水野!僕の外見が美奈だからって甘く見てるだろ!」
「見てない!あたしは別に美奈子ちゃんの事も甘く見てないから!」

「夜天、亜美に八つ当たりはやめて下さい。みっともないですよ。
そもそもの原因は食べるなと書かれていたのを食べた自分達のせいでしょう?」

「まさかコーヒーに入れたなんて思わなかったんだよ!
じゃあ何!?このままで明日一日過ごせって言うの!?」
「それしか方法はないでしょう?幸い今夜と明日は二人ともオフでしょう?」
「そういう問題!?」
夜天が大気の発言にすかさずツッコミを入れる。

「一日くらいで薬の効果が切れるのは間違いないんですね?」
「えぇ、それは絶対に大丈夫です。保証します」

「ねぇ、水野の言葉を信じないわけじゃないけど、もし戻れなかったら?」
「もう一度同じ薬を飲めばいいわ」
「え?あるの?」
「あるわよ」

「だったら、一日なんて待たずにそれを今飲めばいいじゃないか!?」
「それは駄目」
「なんで?」
きっぱりと言い切る亜美を夜天が睨んだ。

「どうやっても薬の効果は切れないようになってるのよ。
飲んでも無意味なのよ?」
「夜天君。もう諦めよう?
飲んじゃったものはどうしようもないじゃない?」

「美奈……水野……」
「「なぁに?」」
「元に戻ったら絶対に泣かせてやるからな」
「夜天、愛野さんはともかく亜美を泣かせたら飛ばしますよ?」

「っ…じゃあ僕のこの行き場のないやるせなさはどうしたらいいのさ!」
「愛野さんも言ったように諦めるしかないんじゃないですか?」
サラリと言ってのける大気に夜天はギリッと拳を握り締め叫んだ。

「じゃあ大気がもし水野と入れ替わったらどうすんのさ!
そんな余裕な態度とってられるワケ!?」
思わず夜天が叫ぶ。

「───ふっ」
「っ!」
大気の不敵な笑みに、夜天は聞くんじゃなかったと後悔したが、時すでに遅し。

「そんなの決まってるじゃないですか…色々しますよ
───そう…色々と……ね?」
“にっこり”と笑って言ってのける大気の言葉に、夜天だけでなく亜美と美奈子もひくりと息を飲んだ。

「……水野」
「はい?」
「もうこの薬は作っちゃだめだよ。分かった?」
「はい」
「今あるやつも僕らが戻ったら速攻で処分すること。いい?」
「うん。そうする」
大気の笑顔を見ながら、亜美は素直にこくりと頷いた。

「さて、問題は明日一日どうするかだね…」
「おや?すぐに戻るのは諦めたんですか?」
「薬を作った張本人の水野が無理だって言ってるんだから、もういいよ…」
「ごめんなさい…」

「た・だ・し…僕が元に戻ったら」
「亜美を泣かせたら飛ばすと言ったはずですが?」
「いや、それももういい。
(大気が怖いから)泣かせるのはやめとく。
感情的になってたとは言え、女の子を泣かせるのはどうかと思うからさ…水野」
「はい?」

「僕と美奈のお願いをなんでもひとつずつ聞くこと!いいね?」
「えぇっ!?」
夜天の言葉に驚く亜美だったが、そもそもの原因は自分が作った薬のせいなので仕方ないかと思った。

「え?あたしのお願いも聞いてもらえるの?」
美奈子が意外そうに目を丸くする。

「そうじゃないとわりに合わないでしょ?
あのさぁ、美奈」
夜天が自分の身体を見つめてため息をつく。

「僕は元々、戦士とは言え女性体だったわけだから、美奈の身体でも一日くらいならまぁ別になんとでもなるんだけどさ」
「うん」

「……僕もそうだったんだけどね、女がいきなり男の身体になるのって、思ってるよりずっと大変だよ?」
真剣に言う夜天に美奈子は首を傾げ、大気がこくりと頷く。

「確かにそうですね。
男性体になった時に一番嫌がったのは夜天でしたしね…」
「うん」
「え?なんで?」
「───時間が経てば絶対に意味が分かるからさ」
答えを求める美奈子に夜天はそれだけ答えた。

大気は不思議そうにしている亜美の耳元で何かを囁くと、彼女は驚きつつも妙に納得した様子だった。

「え?なに?」
「……美奈子ちゃん」
亜美が美奈子の手をぎゅっと握った。

大気は“夜天”の手を握る亜美を見て複雑な心境になったが、中身は“美奈子”だし仕方ないかと納得する。

「ーっ、ごめんね」
「えっ?ちょっ…と…えぇっ!?
なんで亜美ちゃん泣きそうなの?
なに?何があるの!?」
「がんばってね」
「???」
亜美からさらに励まされ、美奈子はもうわけがわからない。

なので、とりあえずさっきから思っていた事を言っておこうと決めた。
「亜美ちゃん」
「なぁに?」
「ちっちゃいね」
「っ!?」
「いや、元々亜美ちゃんてあたし達の中でも一番小さいんだけど、目線が夜天君だとなおさら小さい」
「〜っ」

「これは大気さんが愛でたくなる気持ちがより一層わかる。すっごいわかる」
うんうんと頷く美奈子を、亜美が何か言いたそうに見上げる。

「僕は美奈の目線だから、大気がムダにデカく感じるよ」
「ムダにってどういう意味ですか…」
「圧迫感がすごいよ」
「え?そう?あたしは普段そんな風に感じた事ないけど?」
「いつもはもっと目線が近いから、余計にそう感じるだけなんだろうけど…」
「あぁ、なるほど。確かに夜天君の目線だと大気さんを見上げるのに首が疲れないわね」
「でしょ?目線が変わるとこうも違うんだね。ちょっと面白い」

感心したように話す二人の会話を聞きながら大気が慌てたように、亜美を覗き込む。

「亜美、首疲れますか?」
「え?/// うーん…あんまりそんな風に考えた事ないです///」
「そうですか?」
大気が複雑そうな表情を見せた。

二人の様子を見ながら夜天と美奈子がくすくすと笑った。

「大気ってホントに水野バカだよね」
「亜美ちゃんか〜わいい♪」



「まったくあなた達は……
それで?話を戻しますが、明日の学校どうするんですか?」
「そうだね…サボりたいのはやまやまなんだけど……
僕も美奈も行ける時には行っときたいからね…。
とりあえず…美奈がどうするか様子を見よう」
「え?」
「さっき言ったでしょ?時間が経てば分かるってさ」
「あ、うん」

夜天と美奈子、大気と亜美はリビングでテレビを見ながら過ごす事にした。



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