婚約者騒動が解決した週明けの学校の昼休み。
みんなでいつものように昼食をしていた時星野が思い出したように亜美に声をかける。
「そういや水野」
「?」
「一昨日の昼前に自由が丘にいなかったか?」
「あ…うん…いたけど…」
「あんなところで何してたんだ?」
亜美がちらりと大気を見つめると首を振る。
星野達には何も話していないという事だろう。
「えっと…ちょっと人に会う用があって」
「ふーん。なんか元気なかったみたいだけどなんかあったの?」
言葉を受けた夜天にそう聞かれ亜美は「そんなに元気なかったのかしら?」と思う。
「いや、そんな事はなかったんだけど……」
「けど?」
「まぁ…うん。大丈夫だったし…」
「何が?」
夜天の鋭いツッコミに亜美はいたたまれなくなって、ふいと視線を反らせる。
「ねぇ?亜美ちゃん」
「なぁに?美奈子ちゃん」
「あたし達に何か隠してるでしょ?」
――ギクリ
「ううん。別に何も」
「ふ〜ん?へぇ〜?ホントに〜?」
「本当に…」
「亜美ちゃん…何かあったの?」
「ーっ……」
うさぎの心配そうな視線と声に亜美は胸がしめつけられそうになる。
いつだって自分はうさぎにはかなわないのだ。
相手が美奈子やまこと、レイなら頑として口を割らないと言う方法が取れたというのに……。
「観念して話したらどうですか?亜美」
「……」
そこにいたみんなをそろりと見つめると、夜天の「元気がなかった」の言葉があったからか、まことや美奈子も心配そうにしている。
思わずすがるように大気を見つめる。
「そんな目で私を見てもダメですよ?あの件に関しては亜美が悪いです」
きっぱりと言い切った大気に亜美よりも他のメンバーが驚いた。
普段、亜美に甘い大気がそんな風に言うという事はよほどの事があったのだろうと、怖くなった。
「……実は――ね」
ごくりと息を飲むメンバー。
「って、話したいのは山々なんだけど…あと五分くらいでチャイムが鳴るから教室に戻った方がいいと思うの」
亜美の言葉にみんなが腕時計を見ると、確かに五限開始まで五分ほどしかなかった。
「あぁっ!ホントだ。いつの間に」
「えぇっ…気になるよぉ」
「今日はあたし仕事ないから放課後火川神社よっ!」
「ちょっと待ってよ。僕らも気になるんだけど?」
「じゃあ俺達のマンションで集まりゃいいんじゃねーの?」
「あぁ、そうですね」
「え?ちょっと待って。そんなに騒ぐほどの事じゃ――」
なんだか騒ぎが大きくなりそうな予感がした亜美は慌てる。
「亜美」
「はい?」
「本気で騒ぐほどの事じゃないと思ってるんですか?」
「っ、それ…は」
「私はまったくそうは思いませんよ」
「っ…」
「さて、教室に戻りましょうか?」
大気の放つオーラが有無を言わせなかったため、みんなそれ以上は追求できずに放課後を迎えた。
レイには美奈子がメールで連絡を回したため十番高校の校門前で待ち合わせになった。
「さて――亜美ちゃん」
お茶の準備が整った事を確認し、美奈子が切り出す。
「……」
亜美は地べたにクッションを置きそこに座り、ソファにはうさぎ達四人が陣取っている。
ここの主であるライツ三人は壁にもたれ少し離れたところで様子を伺っている。
「話してもらうわよ?」
「……」
亜美はしばらく押し黙っていたが、観念したのかひとつ深呼吸をすると、静かに口を開いた。
「実は、えっと……先々週に母から“婚約者”に会って欲しいって言われて」
『は?』
突然の“婚約者”の言葉に、当人の亜美と事情を知っている大気以外の全員が声を揃えた。
「みなさんそれぞれに言いたい事や聞きたい事はあるでしょうが……まずは亜美の話を最後まで聞いてください。亜美続きを」
「はい。それで一昨日その人に会うために――」
亜美の話を全員が茶化したりせずに神妙な面持ちで聞いていた。
「――と、言うわけなの」
亜美の話を聞いたあと誰も口を開かなかったため、リビングを張り詰めたような静寂が支配した。
「……亜美ちゃん」
うつむいていたうさぎが恐ろしいほど静かな声音で亜美を呼んだ。
「……なぁに?」
「ーっ、なんでっ…なんでなんにも相談してくれなかったのっ!」
パッと顔を上げたうさぎは泣いていた。
「――え?」
亜美はうさぎの涙に驚きのあまり言葉が出てこない。
「亜美ちゃん、うさぎの言う通りよ」
レイがうさぎにハンカチを渡す。
「そうだよ…そんな大事な事…」
「ねぇ、大気さんは知ってたの?」
「いえ」
大気の否定の言葉にみんなが息を飲んで亜美を見つめる。
「仕事に行く時に自由が丘の信号のところで見かけたのと、帰りにちょうどその方の恋人へのプレゼントを一緒に買って出てきたところを目撃したんです」
「それで?」
「驚きつつも様子を伺ってると、その方とは少し話をして別れたので、見失う前に捕獲しました。その後で亜美の家で事情を聞いたんです」
大気の言葉を受けて、星野が口を開く。
「なぁ水野?今回はそいつに結婚を考える相手がいたから特に問題なかったんだよな?」
「え?えぇ」
「じゃあ――もしそいつに恋人がいなくて、水野に惚れて『結婚したい』って言ってたらどうなってたんだ?」
「…………」
「その可能性をまったく考えてなかったんだね?」
黙りこくったところを夜天に言い切られ小さく頷く。
「亜美。私の言った通りでしょう?」
「……」
「ほとんどの人はそんな話を聞けば、まず“そっちの可能性”に思い至りますよ。と、言ったでしょう?」
「…うぅっ…」
「それと、何も相談してもらえなかった事を月野さん達が知ったらショックを受けると思いますよとも言ったでしょう?」
「…っ、だって…最初から断わるつもりだったし、言ったら余計な心配かけるだけだって思っ――」
『バカッ』
「っ!?」
その場にいた全員に声を揃えてバカ呼ばわりされた事に驚いた亜美は目をぱちくりさせる。
「亜美ちゃんのばかぁっ」
うさぎが泣きながら亜美に抱きつく。
「うさぎちゃん?」
「もし亜美ちゃんがその人と結婚しなきゃいけなくなってたら、あたし、心から“おめでとう”なんて、言えないよ…っ」
「っ!」
「ホントよっ!なんでそんな人生が変わるかもしれないような大事な事、誰にも言わないで一人で抱え込んじゃうのよ!」
「レイちゃん…」
「そりゃあ亜美ちゃんは頭もいいし、要領いいからあたし達なんか頼りにならないかもしれないけどさ…水臭いじゃないか!」
「まこちゃん…」
「そもそも!あたし達に言わないのは心配かけたくなかったからでまだ済むかもしれないけどねぇ!恋人である大気さんにまで“婚約者”のことを言わないってどういう事なのよっ!」
「美奈子ちゃん…」
「「「「亜美ちゃんのバカっ」」」」
「……ごめん、なさい」
親友の少女たちの言葉に改めて自分の軽率さを思い知る。
自分の“思い込み”がいかに愚かだったかを知る。
“婚約者”とは結婚を約束しているのだから……もしかすると“麻倉優貴”と結婚することがあり得たかもしれないのだ。
人生が大きく変わっていたかもしれないなんて…思ってなかった。
亜美が本当に要領が良ければこんな事態にはならなかった。
亜美にぎゅっと抱きついたうさぎと亜美を叱った三人を見つめて大気と星野と夜天は苦笑する。
「水野はおだんご達からすっげぇ想われてるって自覚を持てよ?」
「ホントだよ。美奈が本気で怒ったところなんてあんまり見たことないよ?」
「うん…」
亜美がこくんと頷く。
「ねぇ大気さん」
「はい?」
「大気さんはえらく冷静だけど、すんなり納得できたの?」
美奈子の言葉に亜美以外のメンバーが「そう言えば」と言わんばかりに大気を見つめる。
亜美だけが大気を見ずにうつむく。
「まさか。そんな大事な事を黙っていられて、事後説明で納得出来るほど私は寛大でもありませんし、人間ができてもいません」
大気の言葉に全員が亜美に視線をうつす。
「ーっ」
息を飲む亜美に、大気が“にっこり”と微笑む。
「だから亜美はその日のうちに私に叱られましたし、たっぷりと“オシオキ”されましたから――ね?」
「っ//////」
「まぁそうだよね。僕が大気の立場でもそうしてる」
「そりゃそうだよな。俺も絶対にそうなる」
夜天と星野がうんうんと頷く。
「亜美ちゃん」
優しい声音に亜美がそっと顔をあげ、正面から自分に抱きついているうさぎを見つめる。
「あたしは、ううん――あたし達はみんな亜美ちゃんの事大好きなんだよ」
そう言って優しく微笑む。
「亜美ちゃんはあたし達に優しい。優しすぎて迷惑をかけちゃダメだって思ってる」
「っ…」
「いいんだよ」
「え?」
「迷惑かけたっていいんだよ」
「ーっ、でもっ」
「ねぇ、亜美ちゃんはあたし達に勉強を教える事を迷惑だって思う?」
「そんなっ!……そんなふうに思った事なんてないわっ!」
亜美が泣きそうになりながら否定する。
「うん。良かった」
「えっ?」
「そういう事なんだよ。あたしはいつも亜美ちゃんに勉強を教えてもらってるけと、“亜美ちゃんの勉強の邪魔しちゃって迷惑じゃないかな?”って不安になっちゃう時もあるんだよ?
でも亜美ちゃんはあたしが同じところがわからなくて、何回同じ事を聞いたってわかるまでちゃんと教えてくれるでしょ?」
「えぇ」
うさぎも美奈子もきちんと基礎を理解して落ち着いてやれば解けるのだ。
だから、亜美は根気強く教える。
うさぎ達が分からないところをわかるように、どうすればわかりやすいかを考える事は少し楽しくて。
『亜美ちゃんあたしちゃんとわかったよ』と満面の笑顔で言ってもらえる事は本当に嬉しい。
“迷惑”だなんて思った事なんて一度もない。思うわけがない。
「あのね、あたし達も一緒なんだよ。亜美ちゃんが困ってたら力になりたいし、頼ってほしいって思う。
“婚約者”がいたなんて大切なことを言ってもらえなかったらやっぱりさみしいんだよ?
だから、だからね――亜美ちゃん。“迷惑”かけてくれたっていいんだよ?」
そう言って少しさみしそうに微笑むうさぎに、亜美は申し訳なさでいっぱいになる。
もしも、うさぎ達に“婚約者”がいて、何も相談されずに自分一人だけでなんとかしようとしていたら…。
きっと「どうして何も言ってくれなかったの」と、思って、そう言っただろう――さっきのみんなと同じように。
亜美はようやくそれに気付いた。
「ごめんなさい…」
“迷惑”をかけたくないから
“心配”をかけたくないから
“断るだけだから”と勝手に決めつけてしまった。
大気に叱られて、改めてみんなからも叱られるなんていう事は今までなかった。
叱られた事はもちろんだが、それよりも大気の痛みを孕んだ瞳が、レイとまことの泣きそうな声が、美奈子の真剣な怒りが、なによりもうさぎの涙が――本当にこたえた。
「ーっ、本当にごめんなさい」
亜美が涙声で言うと、大気がくすりと笑い亜美に近付き碧い髪をくしゃりと撫でる。
「今回の事でどれだけ大切に想われてるか充分に分かったでしょう?」
大気の言葉に亜美は小さく頷く。
「亜美はもっと自分を過大評価するくらいでいいんですよ」
その言葉にはふるふると小さく否定の意を示す。
「まったく貴女は――」
大気が思わず苦笑する。
「ねぇ、亜美ちゃん」
「なぁに?」
「えいっ!」
――ビシッ
「っ!いっ…たぁい」
「みんなを代表して“愛の天罰”よ!本当だったらデコピン一発じゃあ済まないのよ!」
「うぅっ…」
「さすがリーダーだね?でもね亜美ちゃん、あたし達ホントにショックだったし、怒ってるんだよ?」
「はい…」
「そうだよ〜。もうダメだよ。次があったらまたあたし泣いちゃうからね?」
「お願いだから泣かないで。もうしないから」
「当たり前でしょ!」
「うん。ホントにごめんね」
美奈子、まこと、うさぎ、レイに叱られる亜美を見ながら大気は内心複雑な気持ちになる。
(私に叱られた時よりも、月野さんに泣かれた時の方が亜美には効果的なように思えますね……)
大気は改めて、女性で一番強力なライバルは自身の半身ではなく“月野うさぎ”かもしれないと思った。
と、言うことで後日談をお届けしました。
珍しくみんなから叱られる亜美ちゃんでした。
亜美ちゃんは大気さんに叱られるよりも、うさぎちゃんの涙の方がこたえるだろうなぁと思います。
では、ここまでお読み戴きありがとうございました(^−^)
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