大気×亜美 | ナノ




心日和

「――え?」
亜美は頼子に言われた言葉の意味が分からず、返事が数秒遅れた。

「本気で亜美を“婚約者”にと思っていたなんて、私も本当に知らなかったのよ……」
今、なんて?
「こん…やくしゃ?」
「えぇ」
「どういう、事?」
「実はね――」

頼子が研修生時代からお世話になっている麻倉と言う医師がいた。
亜美も小さい頃に麻倉と何度か顔を合わせており、彼は幼いながらも聡明な亜美の事をいたく気に入ったらしい。

それから十年近く過ぎたある時、頼子が麻倉を含む何人かと食事会に行った時の事だった。
『やぁ、水野君。お嬢さんは元気かい?』
『はい。おかげさまで』
『もう中学だったかな?』
『えぇ、今が中学二年です』
『そうか。いや、本当に素晴らしいお嬢さんだね。この間はチェスの大会で優勝したそうだね』
『えぇ、よく御存知ですね?』
『あぁ、あんなに素晴らしい子が僕の息子の奥さんになってくれたら、こんなに嬉しい事はないと思っていたからね』
『あら、光栄ですわ』
『ははは、ぜひよろしく頼むよ』
その頃、亜美は中学二年で、麻倉の息子は大学一年だった。
頼子は、アルコールも入っていることだし、その場の口約束だと思っていた。
『――えぇ、そうですわね』

そして、先週末の医会に出席した頼子は再び麻倉と再会した。
医会が終わった後、食事に誘われた頼子はそこで度肝を抜かれることとなった。

『お嬢さんは今、高校三年だったね?』
『えぇ』
『そうか、では、そろそろ頃合いだと思うんだが…』
『はい?』
『はははっ、婚約の話だよ』
『…えぇっ…と』
『来週の末にお嬢さんに会いに行くと言っていたので、よろしく伝えておいてくれよ。はははははっ』
『ちょ、ちょっと待って下さい!』
『なに、そんなに難しく考えなくてもいい。会って話をして気が合いそうならそれでいいし、合わないならそれはそれで仕方がないさ』
『ですが…っ』
『別に僕は結婚を強要しようと思ってはいないんだよ』
『はぁ…』
『まずは会うだけ会ってみてくれればいい』
『――分かり、ました』

「と、言うわけなのよ…」
「で、でも」
「私もあぁ言われた以上、どうしても断りきれなくて…会うだけ会って、断ってくれていいから、行ってもらえないかしら?」

頼子を見つめると本当に申し訳なさそうで、亜美は「分かったわ」と、答えるしかなかった。





「亜ー美ちゃん?」
昼休みになっても席から動こうとしない亜美に美奈子が声をかける。
「え?」
「どうかしたのかい?」
まことも心配そうに顔を覗き込む。
「ううん…別に」
「ホントに?なんかあった?元気ないよ?」
こういう時のうさぎは鋭い。
「ホントに大丈夫よ。ちょっとぼんやりしちゃっただけだから」
そう言ってみんなにふわりと笑ってお弁当の入った巾着を取り出すと、お弁当を食べるために屋上に向かう。

「星野は購買にパン買いに行ってるから屋上集合」
「夜天君はあたしの愛妻弁当よ♪」
「愛“妻”?」
「細かい事はいいの!」
「ほら、さっさと屋上行くよ」
今日は大気だけがソロの仕事で休みのために欠席だ。

(大気さんが休みで良かった…こんな状態でどんな顔して会えばいいかわからないもの…)
亜美は一番後ろを歩きながら、考える。

(大気さんにも、みんなにも黙ってよう…)
会うだけ会って、断ればいいと母も言っているし、言い出しっぺの麻倉医師が結婚を強要するわけじゃないと言ってくれているんだしと考え、誰にも言わずに“婚約者”に会う日を迎えた。



「格好、変じゃない?」
「大丈夫よ…亜美本当にごめんなさいね」
「いいってば。それじゃあ行ってきます」
「えぇ、行ってらっしゃい」
母に見送られながら亜美は家を出て待ち合わせ場所に指定されたレストランへ向かう。

母のお世話になっている人の息子だからと、カジュアルで行くわけにも行かず、どうしようか悩んでいた。だからといってきちんとしすぎると誤解を与えかねないともなった。
黒のフレアスカートにピンクのリボンブラウス、ファー付きのダッフルコートを母が選んでくれた。

「はぁっ…」
亜美は小さくため息をつく。
(ああ言ったものの…やっぱり気が重いなぁ……)
元々、人見知りの激しい方で人とのコミュニケーションがうまい方ではない。
おまけに今回は“婚約者”の今まで無縁だった肩書きまであるのだから、なおさら気が重い。

赤信号で立ち止まり、ふと空を仰ぐ。
薄い水色に、うっすらと雲がかかっている。
12月に入り、季節はもうすっかり冬だ。
街の雰囲気はクリスマスムード一色で、今はまだライトアップされていないイルミネーションがなんだか虚しい。

「ん?おい、あれ」
「水野じゃない?」
車の中からふと見知った碧い髪を見かけた星野と夜天。
「え?あぁ、本当ですね」
最近忙しくて、二人でゆっくり過ごせていない彼女の姿に大気はふっと微笑む。
亜美は空を仰いでいてこちらには気づいていないようだ。
「あいつこんな所で何してんだ?」
「大気何か聞いてないの?」
「いえ、特に何も…」
「なんか元気なくね?」
「ケンカでもしてたりする?」
「してませんよ」

信号が青に変わり、大気は車を発進させる。
亜美も信号が変わった事に気付き、横断歩道を渡る。

(亜美?)
「大気、前見ろよ」
「見てますよ」
「目線が前を見てるだけで意識が水野にいってるだろ」
「……」
「大気、運転俺が変わろうか?」
「いえ、大丈夫です。すみません」
大気はそのまま仕事先に向かった。



高級そうなレストランに入り、名前を告げると恭しく個室へと案内される。
そこにはすでに一人の青年がいた。
少し明るい茶色の髪に、こげ茶色の瞳。
ブランドのスーツを着込んでいるが堅苦しい印象はない。
その青年は立ち上がり軽く頭を下げた。
亜美も同じように頭を下げる。

「水野亜美さん――ですね?」
「はい。水野亜美です」
「こんにちは。僕は麻倉――麻倉優貴です」
「はい、初めまして…」
亜美が言うと優貴はくすりと笑った。

「やっぱり覚えてませんよね」
「え?」
「僕と君は会ったことがあるんですよ」
「え?」
亜美は記憶を辿るが、まったく思い出せない。
「まだ君はふたつかみっつで、ずっと小さい時だったから覚えてなくて当然ですよね」
「ごめんなさい」
亜美が申し訳なさそうに謝ると、優貴は笑顔を見せる。
「いや、突然変なことを言ってすみませんでした。気にしないでください」
「あ、はい」
「そんなに緊張しないで、食事でもしながらゆっくりお話ししましょう?」
「……はい」
亜美は戸惑いつつも頷いた。





夕方、仕事が終わった大気は一人で車を運転していた。
昼間に見た元気のなかった亜美の様子が気になって仕方がなかった。

(亜美)

さっき携帯に電話をしたのだが、電源が入っていなかったのか繋がらなかった。
一体何があったのだろう?家に行ってみようかと思いながらふと視線を上げる。

「え?」
大通りに面した世界的に有名な宝飾店から出てきたのは、大気が見間違えるはずがない亜美だった。
そして彼女の後ろから二十歳過ぎの青年が出てきて、亜美と親しげに話をして笑いあった。
「…………」
大気は驚きのあまり某然と様子を眺める事しかできなかった。



「買い物に付き合ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
「いえ、頑張ってくださいね――プロポーズ」
「うん。年が変わる前に彼女に話をするよ」
「はい。それじゃあ、あたしはここで失礼します」
「あぁ、うん。今日は本当にありがとう。父が無理を言って悪かったね」
「いえ、麻倉さんこそわざわざここまで来てくださってありがとうございました」
「いや、水野さんも彼と仲良くね」
「はいっ///」
「それじゃあね」
「はい、失礼します」
亜美は優貴に頭を下げると、彼に背中を向けて歩き出す。





二人で特に会話もなく食事をしていた時の事だった。
『水野さん』
優貴が静かに亜美を呼んだ。
『はい』
『僕が今日君に会いに来たのは、父を諦めさせるためなんだ』
『はい?』
『実は僕には高校の時から付き合ってる女性がいてね』
『そう、なんですか?』
『うん。そもそも父に婚約者がいるって言われた事がなかったわけじゃないんだけど…その、いつもお酒が入ってる時だったからあまり真面目に聞いていなくてね。てっきり父の冗談だと思ってたんだよ。でもどうも本気らしい事が分かってね……』
麻倉はまっすぐに亜美を見つめた。
『実は近いうちに彼女にプロポーズしようと思ってるんだ』
『そうなんですか』
『でもその前に父を納得させないとと思って…ね。「婚約者といっても結婚を強要するわけじゃないから会うだけ会ってこい」と言われてね』
『そうだったんですか』
亜美のホッとしたような反応に優貴はふっと微笑んだ。

『うちの父のわがままに付き合わせてごめんね』
『あ、いえ』
『その様子だと水野さんは素敵な彼がいるんだね?』
『っ/// はい///』
その後、食事を終えた二人は優貴が彼女へのクリスマスプレゼントを探すのに亜美にアドバイスを求めたため宝飾店に行っていたのだ。



(良かった)
はじめはどうやって断る話を切り出そうか悩んでいたが、そんな心配には及ばすにすんで本当に良かった。
突然の“婚約者”の存在と高級レストランなどの出来事があり緊張と疲れがあった。

けれど、亜美は今無性に大気に会いたかった。

(大気さんもうお仕事終わったかしら?電話しようかしら?でもまだお仕事かもしれないからメールの方がいいわよね。
マンションに行って待ってるのはきっと迷惑になるだろうし…)

とりあえず携帯を取り出し電源を入れる――と、同時に携帯が鳴る。
「っ!?」
条件反射で通話ボタンを押し、耳に当てる。
「も、もしもし?」
『もしもし』
「大気さん?」
『ずいぶんと可愛らしい格好をしてますね?』
「え?」

驚いていると、ぐいと強く腕を引かれ――
「きゃっ!?」
強く抱きしめられた。

「どこのどなたとデートだったんですか?」
大気の声に苛立ちが交じっているのが分かる。
「あ…っ」
さっきの優貴とのやりとりを見られていたのだろうとすぐに分かった。
大気になんと言えばいいのか考え、亜美は黙ってしまった。
「せめて言い訳くらいしてください」
大気の辛そうな声が聞こえ亜美はハッと顔をあげる。

痛みを孕んだ瞳が自分を見つめていて、亜美は胸が締め付けられる。
「大気さん」
「……」
「お時間ありますか?」
「えぇ」
「ちゃんとお話ししますから、家に来てもらっても構いませんか?」
「分かりました」
大気の車に乗り込み亜美のマンションに行く。

頼子はすでに仕事に出かけたようで置き手紙だけがテーブルにあった。

「どうだった?メールでいいから連絡してね 母より」

亜美は手紙を読むと、大気に部屋で待ってもらい紅茶を淹れると部屋に戻る。

「お待たせしました」
「いえ、ありがとうございます」
亜美はテーブルを挟んで大気の正面に座ろうとしたが、手招きされ彼の隣に座る。

「……」
「……」
「亜美」
「はい…」
「話してください」
「えっ…と、ちょうど先週のことなんですけど、母から婚約者がいるって言われて…」
「は?」
驚いたように目を丸くする大気に申し訳ないと思いながらも先に説明をした方がいいだろうと判断した亜美は言葉を続ける。
「母が研修生だった頃からお世話になっていた先生の息子さんで…。
その先生も婚約者だからって別に結婚を強要するわけじゃないから、会うだけ会って断ってくれてもいいからって言われたので……それで会ったんです。
それで――」
亜美は今日の事を話す。
「――と、いうわけだったんです、けど…」
「…………」
「大気…さん?」

亜美がおそるおそる大気を見つめると、彼は驚いた表情で自分を見つめていた。

「あの…っ」
「……亜美」
「はい」
「今日の事を知っている人は?」
大気の質問に一瞬息を飲んで応える。
「…母とあたしです」
「月野さんたちは?」
「誰にも何も言ってないです」
「どうして私に言わなかったんですか?」
「それは…ちゃんとお断りするし、言っても余計な心配をかけるだけだし、どう説明したらいいのかわからなかったし…」
「亜美……」
「はい…」
「もし相手が自分を気に入ったら――とかは考えなかったんですか?」
「……え?」
大気は自分の言葉に本気で驚いて目を丸くする亜美を見て、やっぱりなと思った。

亜美の話を聞いていて思った。
向こうに結婚を考える相手がいるから、今回はなんの問題もなくうまくいったが…
どうして亜美は自分が気に入られる可能性をまったく考えていないのか。

無防備極まりない亜美を可愛いと思うが…それはあくまで相手が自分であった場合であって、こんな時はどうしようもなく苛立つ。

「まったく貴女は――」
大気は小さくため息をついて、まっすぐに亜美を見つめる。
「っ!?」
大気のアメジストの瞳に射抜かれた亜美は、身動きができない。
「どうしてそんなに自分の事には疎いんですか?」
「っ…そんな事っ」
「ないですか?本当に?」
「…っ、それ…は」

確かに大気に言われるまでそんな可能性はまったく考えていなかった。
はじめから断るつもりでいたものだから、思いもしなかった。
言われてはじめて、そんな事があり得るのかと思ったほどに……

「ごめんなさい…」
素直に謝る亜美に大気は苦笑する。
「まったく……少しは自覚してください」
「……はい…」
瞳を潤ませる亜美の髪をくしゃりと撫でる。

「亜美」
「はい」
「出かけましょうか?」
「え?」
「デート、しましょう?」
優しく微笑んでそう言われた亜美は一気に赤くなる。
「っ/// で、でも大気さんお仕事でお疲れなんじゃ…」
「そんな格好で他の男とは出かけられて、私とは出かけられないと?」
大気が拗ねるように言うと亜美がぶんぶんと頭を振る。
「えぇっ!?そ、そんな事ないです!」
「では、ドライブでも行きましょうか?」
「はいっ///」

嬉しそうに笑顔を見せる亜美に大気は優しく微笑む。

(まったくどこまで可愛いんですか。そんな無邪気な笑顔を見せられたら甘やかしたくなるじゃないですか。本当に亜美にはかないませんね――とは、言っても……ね)

「亜美」
「はい」
「愛してます」
「あたしも大好きですっ//////」
頬を染める亜美に大気はそっとくちびるを寄せる。
「今夜は覚悟しておいてくださいね?」
「えっ?」
「オシオキ、しますから」
「っ!?」
亜美の反応にくすりと微笑むと小さな手をそっと取った。






お読み戴きありがとうございます。

やだ、私にしては早い更新!それもそのはずで…。
実はこのお話は以前、なぜかキリリクがダブった時に戴いた“もうひとつ”のリクエストです。
その時はリアルタイムでキリ番報告を戴いたので、そちらを優先したんですが、どうしても書きたいネタだったので、密かにこっそり書き進めていました。

なので途中まではできていたのです。だから早く仕上がりました。

「亜美ちゃんに婚約者がいて大気さんの嫉妬話」との事だったんですが……
うちの大気さん亜美ちゃん大好きすぎて甘い人になっちゃってますね〜(・_・;)

ここだけの話、ここでゾイサイトの転生した人物を出そうと考えてたとか……ナイショです…。

では、お付き合いありがとうございます。

追記:後日談を追加しました。



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